
メニエール病と診断されたときは、仕事が残っていたのでどうしようという思いもありましたが、それが終わってから入院したいと言ったら先生から叱られました。
なんとかやりくりをして、入院して体を休めることが出来るとわかった時は、かなりほっとしたので疲れていたようです。
体が悲鳴を上げたのだろうと今は思っています。
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夫の転勤での引っ越し、娘の結婚式など物理的な忙しさの他、心のストレスも限界になっていた
定年まで8年近くあったが、良い土地があったので、300キロ離れたところに家を建てることにして、2週間に1度くらい通っていて、やっと家が建ち娘の結婚も決まりなんとなくあわただしい日を送っていました。
そんな折、転勤が決まり、引っ越すことになったので、建てた家に大きなものは引っ越して、転勤先には最小限生活できるものを運びましたが、その時も持ち家に住んでいたので、荷物がかなり増えていて、両方の家の荷物のかたずけは車での300キロの行き来でかなり疲れました。
その後間もなく娘の結婚式、、新しく建てた家の庭造りを土曜日、日曜日にして、5月の連休はずっと庭作りをして連休最後の日に疲れた体で姪の結婚式に出て、転勤先の会社の近くの家に帰った夜に片方の耳が聞こえなくなり、次の朝にめまいで起きられなくなって、メニエールと診断されました。
体の丈夫でない私にとってはかなりの重労働でしたが、しないわけにはいかないことばかりでした。
それらの体力的な疲れの他に、なんとなく引き合わせて結婚した方が、うまくいかずもめにもめていたので、その仲立ちで心身ともに疲れていました。
娘の結婚と離婚騒動の中で、なすすべもない忙しい日々で、私の体が悲鳴をあげたのかもしれません。
耳鼻科の先生に安静が大切だと言われたときに、体も心も休みたがっていました。
転勤間もなく、様子の分からない場所での入院になりましたが、病院生活は私の体を休めてくれました。
メニエール病はストレルが、引き金になると言いますが、自分でも納得のいく状態でした。
家で期間を限られた仕事をしながら、心身ともに疲れていたことから、適度に休みながらの生活が望ましいことを知りましたが、性格的なこともあり、無理を続けてしまっています。



