写真を始めたのは冬に入る季節でした。
我が家の車は冬タイヤもはいていなかったので、私の好きな奥日光にも行くことが出来ませんでした。
写真の本などで渡良瀬遊水地の名前をたびたび目にしていたので行ってみることにしたが、ただただ広いばかりの葦原に何を写したらよいかさまよっていた時、川沿いに見えた魚網が印象的でした。
渡良瀬遊水地は、深い歴史を持つ場所えもあり、今でも何を写したらよいか迷うことばかりだが、いつか自分の心を写しだせるようになればと願っています。
暮れていく
川に立てられた魚網はところどころ破れているが
逆光の光はそれをも美しく描き
水の下の虚像も現の形と一つになして
きれいなひし形を描き出している
今暮れようとしている川面は少しさざ波を立てて虚を教えているかのようだが
私は虚も現もない世界を見た思いだった
光と影
冬の低い光が踏みしめられた橋に影を落とし
その直線の影は私を誘っているのかもしれない
橋の向こうにはかすかな光が見え
その光に誘われるように私は渡って行った
水を汲みだす
大雨は小さな船にも降り注ぎ
男はその泥水を必死に掻き出していた
写真を写しても良いですかと大声で聞いた私に
いいよとという声を投げかけて
泥水を掻き出す手は休めなかった
撮影地: 渡良瀬遊水地
渡良瀬遊水地は、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県の県境にまたがる面積33k㎡の日本最大の遊水地です。
明治23年(1890)の洪水以後、渡良瀬川沿岸は、足尾銅山の鉱毒被害を受け、大きな社会問題となり、鉱毒防止対策と利根川・渡良瀬川の治水を目的に、谷中村を移転し、明治43年(1910)から大正11年(1922)にかけて藤岡町の台地を開削して渡良瀬川を赤麻沼に流し、思川・巴波川の改修も行って築造されました。
現在のハート型の谷中湖(渡良瀬貯水池)は平成 2年(1990)渡良瀬遊水池総合開発事業によって建設したもので、洪水調節だけでなく、首都圏への都市用水の役割も果たしています。
現在の渡良瀬遊水地は、水面をわたる風や陽ざしに輝く緑は自然そのもので、さまざまなアウトドア・スポーツに格好の地となっています。
しかし、かってここには、日本の公害闘争の原点といわれる足尾銅山鉱毒事件の犠牲となった、谷中村廃村の歴史が刻み込まれているのも忘れてはいけない現実です。