立憲民主党党首 枝野幸男の妻枝野和子さんが、枝野氏と結婚してからの20年間を政治家の妻としての日々や夫、子供たちへの思いを描いたものです。
私が枝野という政治家を知ったのは、東日本大震災の時官房長官として毎日のように記者会見をしていた姿を見たことに始まります。
それまでは、適当に新聞やテレビで見たいた政治ですが、本当に政治に関心を持ち始めたのは、自民党安倍政権下で森友事件が問題になってからのことです。
それ以降は、できる限りテレビで放映される国会中継は見るようになり、分からないままにも政治に関心を持つようになりました。
そのような中、野党となった民進党と与党の安倍政権の有様を、とても辛い思いで見てきました。
政治を外から見ているだけでも辛い日々だったのですから、政治家を支える夫人としてはさぞ大変だったことだろうと思いながら読み始めましたが、しっかりと政治家の妻として生きている様には覚悟のようなものを感じました。
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『枝野家のひみつ』の感想
枝野議員と知り合ったのは和子さんが28歳5歳年上とのことなので枝野氏は33歳くらいだったろうから議員になったばかりだったのでしょうが、実直な人間性に惹かれて結婚することになります。
日本航空のスチュワーデスをしていた和子さんは、横柄な代議士や秘書を目の当たりに見ることが多かったようですが、枝野氏にはそのようなところが全くなく、現在に至るまで感情的に怒るという姿を見たことがないと書いています。
冷静で理論的で政治にだけ濃い男だと、20年連れ添った奥さんが書いているのを見て、不思議と納得出来るのです。現在もネットで叩かれてばかりいるのを見てどんなにいやな思いをしているのかと思っていましたが、そんなことはほとんど気にしていないようです。
新婚旅行はアメリカに行ったが、英語が苦手な枝野氏は奥さんの後からちんまりとついてくるだけ、という。ハワイに行ってレンタカーを借りてドライブしたときも運転をしない枝野は奥さんの運転でナビも見てくれず、奥さんが一人で頑張って旅をするようです。買い物嫌い、家では何を言われても気にしないが洗濯だけは上手に干して、たたんでくれるようです。
政治のこと以外は全く興味がないようですが、NHKの合唱コンクールで優勝したようで、洋楽はあまり興味がないようだがカラオケは大好きなので、選挙で声がかれると言うことはないようです。
政治家の奥さんになって、ビラ配り、ポスター貼り、戸別訪問などそれほど大変だと思わずに出来たのも、スチュワーデスをしていたという経験が生きているのかもしれません。
子供が恵まれずに33歳で不妊治療を始めますが、かなり辛い思いをして双子の男の子が生まれますが、その途中で枝野と朝まで喧嘩をして枝野が過ったこと、何度も流産をしたこと、病院を替えたことなどご苦労をしたことなどさりげないタッチで描かれています。
東日本大震災の時は、枝野が帰ってきたのは10日後の二時間だけだったと言うことです。いつ帰ってきても良いようにと大好物の餃子を用意しておいたというのも宇都宮育ちの枝野氏らしい微笑ましい思いがしました。
官邸はごった返していて、幹部以外はおにぎりくらいしか食べられず、げっそりしている人のためにお弁当の差し入れをしたり大変だったようですが、あの時はニュースで見ただけでもなれない対応で本当に大変だったと思わされました。
そんな中、枝野は家族をシンガポールに脱出させたというデマが広がっていたのです。他党の議員が演説でそのようなデマを流したようです。一度流れたデマはなかなか信用されることがなく、その後はパスポートを持って歩くようになった書いています。
議員宿舎の様子もさらりと書いていますが、原口議員の奥様とも親しくなさっていて、急に亡くなられ忘れることが出来ないことなど書いたありました。
議員宿舎にはすべての党の方が住まわれていて、悲喜こもごものようです。選挙で負ければ出て行かなければならず、国会で見る多くの人達が住んでいると思うととても大変だろうと思わされますが、それらをさらりと書いていることも私には驚きです。
2017年の民進党の分裂、枝野が一人で立憲民主党をたち上げたとき、奥さんは記者会見で初めて知ったとか、その後、ほとんど帰ることがなく、たまに帰っても風呂に入って寝るだけという感じで、選書最終日に帰ってきたときには今までにない応援に涙が出たと言います。
あの選挙は忘れることが出来ない方が多かった選挙になるのだろうと思います。私もネットで演説を見ていましたが、すごい観衆で涙を流して聞き惚れている方も多く、私はネットを見ながら涙ぐんでいました。
それから3年が過ぎ、その感動を忘れたように叩く人も現れ、世の中の無情さを感じていますが、枝野議員はそんなことには冷静に向き合うことが出来る人のようです。
この本を読み、枝野代表のご家族の様子を知ったとき、応援をしてくれる奥様、選挙応援団の次男たちの応援があればこそ、怒濤のように様々な問題が押し寄せる、国会議員という仕事を頑張ることが出来るのだろうと思うことが出来ました。
いつかの記者会見で、「一番大切なものは何ですか」と聞かれた枝野代表が、「子供です」と答えるのを聞いて、家族を大切に出来ない人間が、政治家として国民を幸せにすることなど出来ないのではないかと誇らしく思ったことがありました。
いつも冷静、沈着に物事を考える政治家枝野幸男代表が、新自由主義の自己責任の社会から「支え合う社会へ」と日本を作り替えてくれることを願っています。

