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喜多院五百羅漢の表情を写す

喜多院には下記のような知識のみで行ったのですが、羅漢たちは実にさまざまな姿態で寛いでいました。

人間世界の凝縮のような仏たちの形、たくさんの羅漢の周りを何度かめぐり、この物言わぬ羅漢たちの心を見つめたいと思いました。

埼玉県の川越市の喜多院は、かの金地院崇伝とならんで、徳川時代の最大の政僧である天海の寺である。

天海は、天台、真言を学び、のちに、独自の神仏習合の思想をつくり、家康を東照大権現として神仏化した大怪僧である。

この喜多院は、さすがに天海の寺らしく、かつての栄光をしのばせるさまざまな豪奢な遺品がたくさんあるが、その寺の一隅に、この五百羅漢像なるものがある。

これはまったく幕府の威光とは別なところでできたものである。

まったく民衆の力による、新しい一つの信仰、あるいは芸術の誕生がそこにある。一個一個は、一時にできあがったものではない。

民衆は一個一個の製作を、名も知られぬ何人かの芸術家に託した。

それによって彼らの父母や近親者の霊をとむらうとともに、一つの庶民信仰をそこに確認したのである。

ここに漂っているのは、何ともいえぬユーモアである。日本の民衆のなかにある笑いが、ここに、もっとも明らかに露出したのである。

「羅漢 仏と人のあいだ」 梅原猛 講談社現代新書 から抜粋

喜多院の五百羅漢

幸せ

   

永久の幸せがここにある 

永久の幸せなど親子の間にもあるはずがないと知った仏師の作なのかもしれない

ここにきてこの羅漢に会ったときだけでも人は幸せになれる 

親の愛はすべての欲を凌駕し無心であるが 

その心さえも悲しみの中で消え去り 

憎しみに変わる時もあることを知った時 

ここにきて祈ってほしい

喜多院の五百羅漢

一人思う

 

この人は何を思っているのだろうか 

どこかで会ったことのあるようなこの表情 

何か思いだしているような 

ささやかな未来を思い見ているような 

どこかで会ったようなこの表情は私の心をとらえる

喜多院の五百羅漢

   

二人への愛

 

抱かれているのは弟 

まだ幼い兄は弟に奪われた胸が恋しくて 

よじ登ろうとしている

どちらへの愛も変わりはないが

小さなものをいたわる親の愛などを知ろうはずもない兄は 

ひたすらにしがみ付く

   

喜多院

埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。
埼玉県川越市小仙波町1-20-1

 

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