『豊穣の海』「春の雪」に続く2巻目「奔馬」です。
時代も昭和になって、財界が巨峰の富を得るようになった時代背景があります。
三島由紀夫の自殺も、「奔馬」の主人公飯沼勲の起こした事件も私には肯えることではないのに、華麗な文章でつづる物語に私は深いところで感動していました。
『豊饒の海(2)』「奔馬」のあらすじと感想
清彰が20歳で亡くなってから18年後、38歳の控訴院判事となった本多繁邦の前に生まれ変わりの飯沼勲が現れます。
5.15事件が起こり、太平洋戦争前の日本が不穏な空気につつまれ始める頃を時代背景にしています。
又、「奔馬」の題材は、昭和初期に起こった血盟団事件をヒントにしていて、三島は取材のため1966年(昭和41年)8月に奈良県の大神神社と、熊本県の新開皇大神宮、桜山神社を訪れているということです。
『豊饒の海(2)』「奔馬」のあらすじ
松枝清彰が激しい恋に破れて病気で亡くなったが、その生まれ代わりは、書生だった飯沼の息子勲だったのです。
院長から剣道の試合で挨拶することになっていたのだが、仕事の都合で行けなくなってしまったからと本多に行ってはくれないかという話がありました。
奈良県大神神社で、神前奉納県道試合があり、東京の大学の優秀選手も集まるのだという。
その試合で清彰の書生だった飯沼の息子勲を見いだしたのです。
そして、一般の人は入れないというお山に誘われて登ったとき、滝を浴びている勲の脇腹の3つのほくろを見ることになりました。
その時「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言った清彰の別れの言葉を思い出していたのです。
飯沼勲は「新風連史話」に心酔し、仲間を募り革命を起こそうとしています。
しかし、勲に思いを寄せていた槇子の密告により計画は破綻します。
槇子は飯沼勲の父に電話をして、父茂之に告げたのでした。
それにより、飯沼勲他、一斉検挙となってしまいました。
本多は飯沼勲を助けるために判事を止め、弁護士となり上京するのです。
本多の力のもと、全員の刑を免除するという判決が下ったのです。
祝い席で酩酊した勲についていった本多は「ずっと南だ。ずっと暑い。・・・・南の国の薔薇の光りの中で。・・・・」という寝言を聞いた。
その後に勲が単独で財界の巨頭・蔵原を暗殺し、割腹自殺を遂げてしまいます。
『豊饒の海(2)』「奔馬」感想
痩身で虚弱体質の三島は30歳の時、週3回のボディビル練習を始めたと言うことで、硬質な文体をさらに鍛え上げ、「肉体改造」のみならず文体も練磨し〈自己改造〉を行ない自衛隊入隊、「盾の会」を結成、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決しました。
私はこのニュースを驚いて聞きましたが、その死をを今に至るまで理解できていません。
今回、死の直前に書いたと言われる『豊穣の海4巻』を読み、三島の精神は少し分かったように感じましたがそれでも私の理解は超えたところでの行為のように感じました。
しかし、文学者としての三島由紀夫は、私が思っていた以上に魅力的であり、今後も読み継いでいく作家の一人となったことは同時代を生きた私には嬉しいことでした。