1999年4月20日第1刷発行の『スプートニクの恋人』を読んだ。
22年前に発行された本で、『ねじまき鳥クロニクル』の後、『海辺のカフカ』の2年前の発行となっている、中編小説という位置付けになるのだろうか。
『ねじまき鳥クロニクル』も『海辺のカフカ』も読んでいたのだが、『スプートニクの恋人』はなぜか読むことなく過ぎてしまい、今回読むことになった作品になる。
1999年といえば、村上春樹50歳、成熟という言葉は当てはまらないかもしれないが、とても自然に読める作品になっていると思いながら読んだ。
読んでいる時は詳しいことは分からなかったが、そのような年代に書いたのではないかという私の思いは当たっていた。
作品を年代別に読んでいくと、書いた時期がなんとなく分かります。
『スプートニクの恋人』のあらすじと感想
『スプートニクの恋人』には今まで読んだ小説の中に出てきたような事柄が出て来るのだが、それが違った役割をしていて、決して重複していると感じられないのはさすがと言うほかはないと思う。
この作品も他作品と違わず平易な文章ではあるが、比喩を多用していて内容は難解なのだろうが、私はかなりの村上作品を読んできたので、現在は理解できるようになったと思う。
しかし読後の感動に反して、作品について書こうとすると何を書いたら良いか言葉が見つからないない、やはり村上作品の奥は深いと思ってしまう。
『スプートニクの恋人』のあらすじ
ぼくは大学を卒業した後、小学校の教師となり3年目で24歳、2年で同じ大学を退学したスミレは22歳で、小説を書いてぼくは好きだが、スミレは男性には興味がないようだった。
そのスミレが17歳年上の既婚女性のミュウに激しい恋心を抱き、彼女の誘いに乗って小説を書くのを止めて彼女の会社に勤めることになる。
すみれの引っ越しを手伝うが、その後スミレはミュウの仕事についていきヨーロッパを旅行しているという手紙が来た。
7歳年上で、彼の生徒の母親である恋人が訪ねて来た日の、夜中の午前2時にギリシャのミュウから、すぐに来てほしいと電話があった。
電話がうまく繋がらないので要件は分からなかったが、朝になってすぐに飛行場に行きその島に着いた。
ぼくに会ったミュウは、すみれが煙のように消えてしまったと言った。
ミュウは25歳の時パリでピアノの勉強をしていたが、小さなスイスの町で父親の商談をまとめ、その町にそのまま暮らしていたときにラテン系の50歳前後の男と出会う。
その男とよく出会うようになり、その町を変に感じていた頃、自分の部屋がよく見える観覧車に乗ったが夜になってしまい、観覧車の上に取り残されしまう。双眼鏡で覗くと自分の部屋でその男に抱かれているのだ。今着ている洋服と同じものを着て。
その後気を失い、気が付いたときは病院のベッドで目を覚ます。ミュウは白髪になっていて、半分はあちら側に行ってしまった。
そして、その半分のミュウと寝たすみれは、あちら側に行ってしまったのかもしれない、と思った。
すみれを捜すことができなかったぼくは、日本に帰ってきて2学期が始まった2度目の日曜日、ガールフレンドから電話がある。
息子のにんじんが万引きをして、スーパーマーケットにいるので来てほしいという。
クーラーが故障しているという、保安室に入ると、にんじんはホッチキス8個を万引きしたという。3度目と言うことで警備員はかなりしつこかった。
なんとか解放され、ガールフレンドである母親に家に帰っていてほしいと言い、ぼくは、にんじんに子供の頃のことを話して彼女の家に行った。
この最終章ががとても良いと私は思った。
そして、どこかに書いてあったように、すみれからの真夜中の電話で物語は終わる。
『スプートニクの恋人』感想
アンデルセン文学賞を受賞したことを彷彿とさせる作品だと思った。
村上作品が、アンデルセンにとても近いと『スプートニクの恋人』を読んでいて感じた。
怖くて、美しい作品だと思った。
そして、私にんじんの出てくるは最期の方のがとても好きです。