私は文庫本が発売された2005年前後に田嶋陽子氏の講演会に行ったことがあります。
その当時は、いろいろな方の講演会を開催されていましたが、田島陽子氏の講演会はかなり人気があり、立ち見ばかりでなく、別室でマイクで聞かなければならないほどの人が集まったのを覚えています。
その時の内容は詳らかに覚えていないのですが、この本に書いてあることとあまり違わなかったのではないかと感じました。
著者よりも数年後に生まれた私はそれほど男女差を感じることなく子供時代を過ごせたと思っていたのは、子供時代の環境が大きかったのではないかと思います。
もちろん、男女差という物は大きく横たわっていましたし、女だからという思いを持って成長した事に変わりはなかったと、田嶋氏の本を読みながら感じることは多々ありましたが。
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『愛という名の支配』のあらすじと読後感
ある程度男女差と言うことを意識しながら育ってきましたが、私の母は8人兄弟の長女で第1子であり、かなり支配的だったことと、男の子も虐めてしまうほど活発であったこと、私も長女だったので何かと兄弟の先頭に立っていたことなどが、周りの人から女だからとあまり言われることもなく育ったことが大きいと思います。
そして、あまり活発な性格ではなく、引っ込み思案でいつも本を読んでいるような子供だったことから、女らしくと言うようなしつけを受けることも少なかったのだろうと思います。
『愛という名の支配』のあらすじ
田嶋陽子氏は昭和16年生まれなので、戦中に幼少期を送り、戦後の混乱期に成長したようです。
満州から帰国後、父親の実家、母親の実家にお世話になったときの惨めな気持ちを書いていますが、このような状態に置かれた方の思いはいろいろと読んでいるのでその惨めさは心に響きます。
自分の(この場合は母親の)収入のない惨めさが、その後の人生に大きく影響しているのでしょう。
その当時は、女の子はお嫁に行き、夫の元で家事にいそしみ子育てをするのが普通の女性の生き方だったのでしょうが、著者はそのような生き方を選ぶことに大きな抵抗を感じたようです。
子供の頃から、女性として人に愛されるように躾けられた著者は、大学に行って初めて自由になれたと書いていますが、そんな経験がフェミニズムに目覚めていくことになります。
愛という名の奴隷では結婚した途端に女は男の奴隷になると書いていますが、私も結婚でその現実を目のあたりにしました。
しかし、それが誰もが通る道であるという思いで、家事、育児にいそしみました。今考えてみるとこれが著者の言う「奴隷制度」に入っていたのだろうと思います。
しかし、私は結婚はしなくても子供はほしいと思っていたので、選択肢として結婚を選ばざるを得ませんでした。
もし、本当に男女が平等で、法律の上でも平等だと言うなら、この結婚制度は民主的ではないし、憲法違反でさえあると思います。
著者は書いています。
この本が書かれてから、30年近く過ぎた現在も、夫婦別姓が認められていません。国会で議論はされていますが、法整備に至ったいないのは、この時代から何も変わってはいないのでしょう。
しかし、貧困化が進んだ現在においては、生活のために女性も働かざるを得なくなり、多くの女性が働いています。
そのような状態は、新自由主義がすすんだ結果、契約社員、派遣社員などが多くなり、女性も働かざるを得なくなったという事情はあるにせよ、女性も経済力を持つことは出来るようになったが、家事労働はその家なりに異なっているように思われます。
ハイヒールを履く女性についても書いていますが、まさに今、働く女性がハイヒールを履く不都合が問題になっています。
差別的な文化の束縛から解きはなたれって自由に生きたければ、まず自分の美意識のチェックから始めることです。お仕着せの美意識ではなく、自分なりの美意識を見つけて育て、それを生きる方がはるかに個性的で現代風でステキだと思います。
そして母親は、自分の母親にされたように教育熱心になって行くと言います。親が煩く言ったからと言って、決して子供は勉強をするわけではないことがわかっていながら言ってしまう親の気持ちは理解できます。
私は親に勉強を強いられたことはありませんが、やはり娘は放っておけなかった事については苦い思いが残っていますが、今考えても何も言わないでおくことは出来なかっただろうという思いはあります。
頭ではわかっていながら口を出してしまうと言うことは、娘が成長した今でも私の中で解決できなかった思いとしての凝っています。
しかし、女だからとかとかあまり言いませんでしたし、大学に入り家を離れてからは、ほとんど口出しをしたことがありません。
そんな娘が、恋愛をして結婚、相手が結婚した途端、隷属を強いられたようで、悩んだ末に離婚してしまいました。娘には男女平等という思いが植え付けられていたのだと思います。
その後、再婚して幸せに暮らしていますし、それらはすべて自分で選んだ道なので、何の後悔もないようです。
それは、男性と同じように収入があったから、苦労しないですんだのであって、女性の自立を促した育て方と関係あるのかもしれませんが、娘は自分で勝取った物のように思っているようで、私たちの手を煩わせることなくすべて一人で解決しました。
今は心だけが繋がっているような親子関係ですが、わたしはそれで良かったと思っています。
私は、仕事を辞めて結婚して、子育てという道を選びましたが、仕事をしていないことにかなり悩み、焦りました。そして一人前の収入はないながらも仕事をして、収入を得ることが出来たときはやっと一人前になったと思いました。
田嶋陽子さんのように、女性の先を行くような生き方とはとても遠いですが、女性が仕事で生きがいを持てる素晴らしさは身をもって感じています。
まだまだ、夫婦別姓すら出来ない日本で、働く女性たちが生き生きと働けるような社会になってほしいと願っています。
『愛という名の支配』の感想
昭和22年に日本国憲法が制定され、それまでの封建社会から形の植えでは大きく変わることになりますが、その思想は70数年過ぎた現在もあまり変わったとは言えず、現在は後退している感さえ感じられます。
私は幸運にも小学生の時クラス編成をしても何故か同じ先生に受け持たれることになり、その先生は女性も男性に負けずに生きていくようにと言う考えの持ち主だったことから、あまり女性差別という思いをすることがなく育ちました。
家の中や学校ではそのような区別はありませんでしたが、村社会の中では根深く、よその人から注意を受け、いやな思いをしたことは今でも心の中に澱のように残っています。
田島陽子さんのように、母親から女らしくしないとお嫁のもらい手がないからと厳しく躾けられたという記憶はないものの、本ばかり読んでいた私は、よその人から結婚しにくいだろうというような事は言われたことはあります。
しかし、表面は内気でおとなしく、本も好きだが、手芸や裁縫、編み物などが好きだったことから、女らしい子供だとみられることも多かったような気がします。
著者は幼い頃、大人の言うことを聞くことが良いことだと思って育てられたために抑圧を感じた子供時代を送ったようですが、私はとても頑固で言うことを聞かなく、扱いにくい子供だったと思われながら育った経験を思い出すことが多いので、あまり抑圧的なしつけを受けた覚えはありません。
そんなことからフェミニストという観念を持たずに育ったことになります。フェミニストと戦うほどの積極性もなく、内気だったためと家の仕事が好きだったことから家事をいやだとはおもわないまま、収入がないことの焦りだけは感じていました。
性格的なものもあり、男女差を感じないまま、公務員という職業に就いたことから、ほかの方よりは男女差で悩んだことは少なかったのではないかと思っています。
そうは行っても、まだまだ男女差は多く残っている日本で、少しでも女性が生きやすくなってほしいと願っています。