つわりがひどく縫うインしていましたが、良くなる気配がなく、退院したその日の午後にほかの産婦人科を受診しました。
診察の結果、すぐに胞状奇胎と診断され、これだけ症状が出ているのに今迄の産婦人科は何をやっていたのだろうと怒っていました。
考えてみると、1ヶ月以上も流産をしないように処置をしてくれていたために、ぶどうの房状の絨毛の異常増殖でお腹がかなり膨れていました。
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即入院強制流産の処置
即入院、子宮内掻爬は出来ない状態にまで進んでいたため人工的に流産を促したため、かなり時間がかかってしまいました。
妊娠中絶が難しいくらいの状態まで房状の絨毛の異常増殖が進んでいたようです。
その産婦人科のお医者さんはとても良い先生でしたが、はっきりと絨毛上皮腫になった場合、転移が早く大変な事になると私の前ではっきり言いました。
今考えると、それまで見ていただいていた医者にとても腹を立てていて、医者として許せなかったようです。
私は小さな子供を抱えて死ぬのだろうかと思うと入院したベッドの中で涙が止まりませんでした。
だれか話してくれたのか、夜になってから先生が肺のレントゲンを持ってきてまだ肺はきれいだからと説明してくれました。
次の日から大きく育った胎児の堕胎はこのようにするのだろうという感じで流産を促しましたがかなり日にちがかかりました。
ここまで来たら泣いてばかりはいられませんから、生き抜く覚悟をして食事もしっかり摂りました。
やっとの思いで増殖したぶどう状のものを出すことが出来ましたが、家族は見たようですが私は見ていないのでどのようになっていたかはわかりませんが、かなり増殖していたと言っている先生の声は聞こえました。
- 1つの卵子に2つの精子が侵入
- 受精時に卵由来の核が不活化、精子由来の核のみが分裂し増殖
のように2つの原因があるようですが、私はかなり増殖してしまっていたようでどちらか聞くこともできませんでした。
数日後2度目の子宮内容除去術を行いましたが早い段階から化学療法を取り入れてくださったようで、そのころにはhCGの値はが少なくなっていました。
そこの産婦人科はほとんどの入院患者が出産で、最初は一人で入っていた部屋に出産の患者が入ってきて陣痛に苦しんでいるのを見ているのはとてもつらい思いがありました。
出産以外の入院患者は私一人という感じで、2度の子宮内容除去術が終わり落ち着いた頃に、私の実家からはかなりありましたが、その近辺では一番大きな病院に紹介状を書いてくださり、その後の治療はそちらでしてもらうようにと言われました。
今考えても私はその先生に命を助けていただき、こうして生きていられるのだという思いがあります。
同じ市内で産婦人科をしていて、かなりわかっていると思われる先生の治療を患者の前で怒ることが出来るお医者さんは信用するに足ると今でも思っています。
その後何度かそのような場面を経験しましたが、理不尽な言い方で私が叱られるという事も幾度もありましたし、同業の医者をしかる先生とも出会いましたが、自信のあるお医者さんは言う事もきちんというのだということが分かったので、その後の医者選びの指針となっています。