川上未映子の短編小説集です。
川上未映子の作品は『ヘヴン』読んで好きになりました。
長編の『夏物の語』に継いで3作目ですが、谷崎潤一郎賞を受賞したという短編小説からは語られない部分から漂ってくる心のひだのようなものが漂っています。
筋という物が殆ど無いところにも匂い出てくる何かが感動を与えてくれるような物語でした。
『愛の夢とか』5篇を読む
とても短い短篇やすこし長いものなど、7篇の物語が入っています。
東日本大震災後に書かれただろう数編があり、どこかに不安感が息づいているようです。
村上春樹の小説はかなり読んでいるのですが、村上春樹の影響を受けたのだろうかと思うような物語もあり、筋書きのない詩のような短編でした。
アイスクリーム熱
毎日同じ時間にアイス買いにくる彼に好感をもち2ヶ月を立った頃に一緒に彼の家に行き、アイスクリームが得意だと言いながら朝の4時までかかっって作ったアイスクリームが失敗に終わり、その後彼はアイスクリームを買いに来なくなったと言うだけの話をまるで夢の中の出来事のように書いて、寂しさを昇華させてしまう作者の力量は、そんな寂しさを何度も経験しただろう作家だけが書ける物語なのだろうと思わされます。
愛の夢とか
夫が忙しく働く専業主婦が、川の近くに家を買って2ヶ月後に地震があり、不安を抱くのですが夫は東京は何の心配もない言われ、会話らしい会話のないまま緊張も不安も薄らいだ頃自宅の玄関にバラの花を買いそれをきっかけに素敵な花で飾リ初めていました。
ある日の昼過ぎお隣の車が出て行った後に60歳代から70前後の奥さんがいて花を褒められたことからピアノの話になり、いつも弾いているのはリストの愛の夢だと教えてくれ、お茶に誘われ、マカロンを買い、サクランボを買って尋ねていくことになります。
家は立派な家具で占められ、お茶の後にピアのを聞いてくれと頼まれるが人の前では最期まで引けないので、週に2回聞きに来てほしい頼まれます。
家にいると毎日練習している音が聞こえますが、何度も何度も行くことになり、13回目にやっと最期までひくことが出来ました。
その後お隣には行くこともなく、車が出ていく音は聞こえてもピアノの音は聞こえなくなっていて、専業主婦のわたしは花に水をやり伸びすぎたアイビーなどを切り、次々と咲いたバラは花を落として8月になっていました。
お互いの過去も現在も見えない中での、彼女がピアノのことでいやな思い出があるためにピアノとお別れするために頑張って弾いているという重い言葉を感じていました。
いちご畑が永遠につづいてゆくのだから
訓練、内部、却下、復讐、決定、などと書かれていて男女の争いの後の部屋の様子や彼の様子が書かれています。
風呂に入った彼が出てきて、いちごを一緒に食べようとするのだが、うまくいかず彼は寝てしまいます。
いちごにミルクをたっぷりかけて食べるのが好きな彼のために用意をしてあげたスプーンも使わず、ミルクもかけずいちごをそのまま食べてしまいます。
ベッドに入った彼の陰で、そのスプーンで彼の鼻を潰す彼女、このけんかは不気味さを醸し出しています。
仲直りできるのか、決定的なけんかなのか誰にも分からないまま、いちごを潰し続けます。
日曜日はどこへ
アイホンのニュースで若い頃からよく読んでいた作家が亡くなったのを知りました。
誰にもそれを共有する人がいなくて、仕事をする気にもなれずバイトを休んでしまいます。
心はどこか不安定になっていて、高校生の頃にその作家の本を読んでいた雨宮くんのことを思い出します。
雨宮くんととは21歳の時に別れていて、それから14年も過ぎていたが、その作家が亡くなったときに良くデートしていた植物園で会おうと約束していたことを思い出しました。
つぎの日曜日に電車で植物園に行って2時間待ったけど彼は来ませんでした。
帰りの電車で、その作家が書いた文庫本を読んでいる登山家らしい人と隣り合わせに座り、言葉を交わした。
3月の毛糸
妊娠8ヶ月の妻は実家で出産しないことに決めたので、実家のあるのある島根に行きその帰りに京都のホテルに泊まっている夜の話です。
赤ちゃんも何もかもが毛糸で出来ていて、3月も毛糸の夢を見たと妻は言います。
仙台に住んでいる彼らのところに地震を心配する電話が入りますが電波が遠く彼らには通じないようです。
これから帰るだろう仙台は地震で壊れています。
真っ正面からそんな地震に切り込んでいますが、不安だけが渦巻いている不思議な物語です。
お花畑自身
専業主婦であるわたしは家の中も庭も気に入った物でしつらえ、そこを手放すことなど考えたことがありませんでした。
しかし、夫が事業に失敗してそこを離れざるを得なくなりました。
借金も残っているので何一つ自由にすることが出来ません。
そこに、若い作詞家だという女性が案内されて一人で見に来ます。
専業主婦の彼女は家のことなど心配したこともなく夫に任せきりだったために附に落ちませんがどうすることも出来ず、その家はそのままその女性が買うことになります。
その後、アパートで暮らすことになった彼女は何時までも諦めきれず、前の家の近くの公園で、自分達の家だったところを見つめています。
ある日、家を買った彼女が出て行くのを見つけ庭に入って植物たちに水をやリに熱中していると、帰っていた彼女と窓越しに見つめ合うことになります。
その現実を認めることが出来るようにと、お花畑の中に埋められることになりますが、お花畑自身になった彼女はテントウムシを見つけ、お花畑と同体になってとても幸せそうです。
十三月怪談
腎臓の難病で妻の寿時子はなくなりますが、その死後の時子が家の中に何時までもふわふわといて夫の潤一の寂しさや時子のやや喪失感を語ります。
それがいくつかの物語になっていてそれなりに時子の魂が浮遊していたのかもしれません。
誰も見たことのない死後の人間が語る物語は一貫していないなりにも現実味がありふわふわとした世界を垣間見せてくれます。
そして、死後の世界から見る淳一の寂しさと、幸せになってほしいという思いとかさなり合いながらもやはり自分のもとに引き寄せて、死後の世界も一緒に生きようとする時子の愛の強さをさりげなく表現できる才能に心打たれます。