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母の介護

老人性うつ病・認知症の高齢者に声をかけてください

2013年10月17日

認知症・老人性うつ病の患者さんとかかわりのある方、できるだけ声をかけてあげてください。

性格にもよりと思いますが、声をかけることは、病気の進行を遅らせてくれるとともにお互いが気持ちよく付き合えると私は信じています。

これはわかっていながらも、離れ住んでいたためにできなかった私の述懐になっています。

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老人性うつ病・認知症の方への声掛けは症状を和らげると思う

母は87歳ごろから急にイライラ感が募るようになり、ふさぎ込んだり、泣いたりすることも多くなり、物忘れもひどくなってきました。

20キロも離れている私は運転もできず、車しか交通手段のない所に母は弟夫婦と孫、曾孫との大家族の中に住んでいました。

母が病気になるまでは、家族関係はよく、孫は母が育てたし、曾孫もめんどうを見てあげていたので、本当に母の老後は心配ないというくらい母は幸せでした。

穏やかだった母が、急に人が変ったようになり、体調不良を訴えるようになったので家族は内科には連れて行ったようですが、血液検査などをして異常がないと言われ、不調時には医者には連れて行っていたようです。

私はうつ病を疑っていましたので、精神科の受診を勧めたのですが、家の方は連れて行きませんでした。

そして母に聞いたところ「頭がボーっとして何もしたくないし、体がとてもつらいと言います。

そこまで来た時に私はほおっておけなくなり、大病院の物忘れ外来と精神科を予約して連れて行くことしました。

そのころの母は家に居場所がない状態になっていて、近所の方の勧めもあり、デイサービスに通い始めたようでした。

もともと社交的だった母ですが、そのころはデイサービスにも行きたくないようでしたが、無理に行かされるという感じで行っていたようです。

そのころに家の方が声をかけてくれればと思いましたが、心配して夫の車で行く私は義妹から母の愚痴ばかり聞かされて何も言えない始末でした。

そして病院の予約日が来ましたが、そのころの母は本当に気力もなく、アルツハイマーの検査も、MRI の検査もできる状態でなく、老人性うつ病ではないかと言う事で精神科で抗鬱剤を処方されました。

老人性うつ病はアルツハイマーと間違われやすいと聞いていましたが、認知症の症状もかなり出てきて私にはどちらの病気もあるのではないかと思うような状態でした。

抗鬱剤を飲み始めてから、鬱の状態は徐々になくなり認知症の症状が多くなってきていましたが、物忘れがひどいものの意思疎通は普通にできるようになり、嫌がっていたデイサービスは楽しくなっていきました。

しかし一人でいることが出来ず、いつもだけかを呼んでいますし、近所の友だちや、私のところに電話ををかけてきて遊びに来るようにと言うようになりました。

今になって思えばそのころは電話が掛けられたのだと不思議な思いがします。

そのころの家の人は、母が同じことを言うのとうるさくなっていたので、母を避けるようになり気が付くと母は一人ぼっちで寂しいと言っていました。

そしてデイサービスなどのことも、私のことなのに相談もなく決められてしまうし、デイサービスで楽しかったことを話しても誰も聞いてくれないと言っていました。

そのころはデイサービスも週に2日くらいでしたし、家にいて私に来るようにと電話が毎日のようにあったので、かわいそうで夫に頼んでかなり行っていたと思います。

私もうるさいとは思いましたが、できる限り話を聞いてあげていましたが、忙しくしている家の方に頼むことは出来ず、ケアーマネージャーさんに言ってほしいと頼んだことがありましたが、無理だと断られました。

鬱症状が軽減されてからは、デイサービスがとても楽しくなり、みんなが声をかけてくれたり、褒められたりしていると嬉しそうでした。

しかしデイサービス以外の日は一人で寂しくてどうしようもないようなので、デイサービスに行きたいのと聞いて見ましたら行きたいと言う事でした。

その時期には動こうとしない家族に、嫌がられながらもデイサ-ビスの日にちを増やしてほしと私が無理に頼んでデイサービスの日を増やしてもらいました。

夫に車の運転を頼んでその後4年近く、病院通いを引き受けて、帰りに我が家に連れてきて夕方まで遊んで送っていくということが4年近く続き、日増しに認知症の症状も悪化していきましたが、全然話をかけない家族が送っていった時に、私がしっていることばかりの、母の愚痴を聞かされるのがとても辛くなっていました。

そんなに大変だったら、施設に入れたらというのですが、それもしないしただただ愚痴ばかりを聞かされて、運転をしてくれていた夫ともども本当に嫌な思いをしていました。

家で全然話を聞いてもらえないので、わが家に来たときも一時も私たちを放さなくなり、デイサービスでもいつも人を呼んでいるようになっていきました。

このような状態は多かれ少なかれあるようですが、日増しにそのような状態が募っていく母を見ているのがつらい日々でしたが私が網膜剥離になってしまい、緊急入院・手術になり母の病院通いが出来なくなりました。

私ももっと早く良くなるかと思っていましたが、2か月後バックル感染になってしまい再手術になり、視力が戻らない状態が長くなって母に会いに行くこともできなくなってしまいました。

一度、デイサービス中の母を訪ねたときは元気そうだったので安心していましたが、その後ショートステイ中の母に会いに行った時は時は、びっくりするような状態になっていました。

薬はその後は内科の病院でもらってきていると言うことで、連れて行ってもいないようでした。

その時お会いしたショートステイの責任者の方が、一日中付きっきりで面倒を見なければならなく、とてもひどい状態だと言われました。

この状態だったら引き受けてくれる施設もないのではないかと言われました。

しばらく母の面倒を見て、いったんは帰り、次の日も行ってみましたが同じような症状で、手に負えない状態でした。

こんな状態の母を連れてくるわけにもいかずお願いしてきましたが、母は人が大好きだった人ですので、これは家での孤独感がとてもひどかったのではないかとしか私には思えませんでした。

それまで何年間も、家では誰も話してくれなくてさびしいと言っていたのを聞きながらも、どうしようもなかった私の無力さだけが悔やまれます。

その思いは母が体調を崩したときからありましたが、現在も心の痛みとして持ち続けています。

往復2時間かかりますが、次の日も行きたかったのですが、私が膀胱炎になってしまい寝込んでしまう体力のなさがとても悔しいと思いますが、現在は運転を頼んでいた夫の頚椎症性脊髄症が進行中で、とても混雑している専門病院での手術待ちになっています。

八方塞がりの状態の中でも、母のことを考えると眠れなくなります。

苦労した母が笑顔を取り戻してくれるまで、、母に会いに行こうと思う毎日ですが、思うようにならない情けなさばかりが募ります。

高齢者が体調を崩して介護が必要になったら、無理に家で見る必要はないと思いますが、できる限りやさしい声をかけて見守っていただきたいというのが私の願いです。

私は最初からわかっていながらできなくて、母にとてもつらい思いをさせてしまいました。

今後はこのような高齢者が増えることと思いますが、ご家族の方は様々な支援を利用しながらも心だけは笑顔で接してほしいと思います。

その点介護現場の方は、本当に大変なお仕事の中で、とても優しく接してくださるていますので感謝の申し上げようもないくらいです。

家族との接点を担っているケアマネージャーさんが家族の啓蒙ができることと、何もわからない家族の啓蒙の機会がもう少し増えることを願っています。

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