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「母の介護」 一覧

私の母は87歳で急に体調が乱れ、気力、体力も落ちて何もできない状態になってしまいました。

離れて住んでいた私は、家族が多く家で仕事をしている実家に頻繁にいくこともできず遠くから様子を見て言いましたが、何度か会ううちに老人性うつ病ではないかと思いました。

しかし家族でもない私がでしゃばるわけにもいかないので、相談されたときに一度お医者さんに連れて行ったらと言いましたが、連れて行く気配はありません。

見かねて連れて行きましたが、総合診療科に回され基礎検診をして、こちらの話を聞いてはくれましたが、体は異常がないことだけで先には進めませんでした。

後で認知症やうつ病を疑って電話した時には、精神科や神経内科は予約制になっていて1カ月くらい待たなければならなかったことがわかりました。

薬もいただかないで帰ってきたのですが、その後は寂しくて一人でいられないようになり、私のところにも頻繁に電話がかかってきますが、家の人は動く様子もないので、うつ病を診てもらうために精神科と認知症の検査のために神経内科の予約を取り私と母の病院通いが始まりました。

私が体力がないので、1ヶ月に一度の病院の日は妹にも来てもらい、実家まで20キロありますが夫に運転を頼み送り迎えでの行き帰り80キロの病院通いが始まりました。

そのような母の介護の記録をまとめることにしました。

10年後に介護難民が45万人ー母を看取った私も介護難民の予備軍

2018/6/7  

介護難民とは介護が必要な高齢者であっても、家庭でも施設でも病院でも介護を受けることが出来ないもののことであり、私たちにとってももっと若い方にとっても大きな社会問題となりますが、今現在も見えないところで ...

失って感じることの多い母の偉大さー母の1周忌

2018/9/23  

母が亡くなって1年が過ぎようとしている今日の日曜日に1回忌が営まれました。 93歳まで生きた母ですが、思いはどんどん大きくなっていきます。 子供の頃も、私が結婚してからも母を偉大だとか、立派だとかは感 ...

認知症の母の終末期と向き合った経験からケアを考える

誰にでもやってくる終末期をどのように迎えるべきなのか、介護問題を含めて考えなければならない時が来ていると思います。

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「女三界に家なし」という時代を生き抜いた亡母を時々思う

2018/6/7  

「女三界に家なし」という時代を生き抜いた亡母の笑顔を見たいと思いながら、数年間を過ごしてきましたが、かなわないまま逝かせてしまったことがいつまでも心に残っています。

年齢的には大往生だと思うが、今でも母がかわいそう

2018/6/7  

老人性うつ病がどんなにつらい病気か、周りの人に理解してもらうことがないまま、亡くなった母が今でもかわいそうでなりません。
もう書くのは止めようと思いながら、また愚痴を書いてしまいました。

人間らしい最期を迎えるってとても難しい

2018/6/7  

老人性うつ病になって、認知症が入り、とっても寂しかった母の晩年でしたが、母はすべてを許して生きる生き方を教えてくれたように思います。

自宅介護の限界を考えながらの母を介護

2018/6/7  

寝たきりの父は母が数年間在宅で看ましたが、老老介護であったこともありとても大変だったようですが、もう少し環境が整っていれば、父にとっても母にとっても最高だったと思います。
母は介護者がいませんでしたから、とってもかわいそうでしたが、最後は施設で見ていただき、それが最高だったと思っています。

病気になってから笑顔は見られなかったが、遺影の母は微笑んでいた

2018/6/7  

母が老人性うつ病になって、病気が治ったら以前のような笑顔が見られることを願って病院通いをしましたが、かなわないまま亡くなってしまいました。 母は美人ではありませんでしたが、優しい笑顔が素敵だったと私は ...

亡母の納骨は日本列島が台風の影響を受けた日に濡れずに終わった

2018/6/7  

近辺でも台風の影響が出た台風の日が母の納骨の日でした。
関係者はかなり心配しましたが、外の儀式のときは降られず、いつもよりも涼しい中で終えることができました。
いつも、人の心配をしていた母が、雨をよけてくれたような気がしました。

高齢者介護(老人性うつ病や認知症)は家族の意識を変える教育が大切

老人性うつ病で認知症の母の介護にかからって、介護者の教育の大切さを実感しました。
看護者は初期状態から、責任を持ってみなければなりませんからとても大変ですが、知識の有無は介護をするためには大切なことだと思いました。

母が誰彼の手をつかんで離さなくなったのは私が入院してからだった

老人性うつ病や認知症の介護老人を抱えたときは、負担位ならない程度にやさしくしてあげることは基本だと思います。
それが出来なければ、あらゆる手を尽くして専門家にお願いするほかはないと母の介護を通して思いました。

亡母のおかげで終の棲家のわが家が建った

2018/6/7  

夫が転勤族でしたが、終の棲家は関東近辺に住みたいと言う事で、遠い赴任先に居ながら、家を建てることができたのも母のおかげでした。
そのお礼に買ってあげた、結婚式用の洋服はお気に入りでたくさんの孫の結婚式に着ました。
その洋服とともに亡母は天に昇って行ってしまいました。

月明かりで草を取っていた母

2018/6/7  

8人兄弟の一番上で、7人兄弟の一番上の父と結婚した母は姉御肌のようなところがあり、面倒見がよく誰にでも好かれる人でした。
性格に表裏がなく、若いころは父と夫婦げんかをするのを見るのが嫌でしたが、私たちの成長とともに余計なことを言わない母になり、月明りで草をとっていた光景が忘れられません。

母が亡くなって―主介護者でない実の娘でも母の介護に口出しもできなかった

2018/6/7  

思い上がりかもしれませんが、母には出来る限りのことをしたと思っていても時々涙ぐんでしまいます。
私の力の及ばないところで、してあげたいことがいっぱいあったことがそんな思いになるのかもしれません。
自分の力ではどうにもならないことが多いとつくづく思うこのごろです。

母は愛を持って全てを許して生きるすべを知っていた

2018/6/7  

いつもいつも家族のことを思って生きてきた母の気持ちが、死んだ後に伝わってきました。
可愛がっていた祖孫は成長して、それぞれに自分の進む道を見つけ始めています。
幼かった頃に、心から愛してくれる人がたくさんいた子供たちは幸せだと思いました。

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