2012年12月発行の平野啓一郎氏の著著です。
自死をを選んだ主人公が生き返り、自分は誰かに殺されたのだと思いが強く自殺を認められなかったが、分人という考え方の中から、自分は自殺をしたが死にたかったわけではなかったという思いを強くします。
自分のそしてその他の様々な人の分人を探し当て、自分が自殺したことに納得していきます。
今に続く著者の作品には分人とと言う概念が大きな位置を占めていると思っているが、この物語の中はとりわけ分人をテーマにしているのではないかと思いながら読みました。
『空白を満たしなさい』のあらすじと感想
徹生は会社の屋上から飛び降りて自殺していたが、3年後に会社の会議室で寝ていて甦生しました。
家に帰り妻の千佳はもちろんで会う人すべての人に訝しまれ、驚かれますが、その時期にはかなりの甦生者が出て、甦生の会などもできてテレビにも取り上げられ、ある程度社会にも認識されるようになっていきます。
この物語はその甦生と言うことを主題にしているのではなくそれを通して、人はなぜ自殺をするのかと言うことを探ることが目的であり、それを説明するために、誰の中にもある分人をテーマーにしています。
生前の徹生は仕事も忙しく、様々なことはあってもそれほど不満を抱えていたとは思っていませんでした。
ただ、気味の悪い第一発見者である佐伯が思ってもいないようなことを徹生に話したことにより、思ってもいないような自分の心をのぞき込まざるを得なくなり毛嫌いしていた彼に殺されたと思い込んでいたが、調べ行くうちに彼の分人をも感じざるを得なくなります。
著者はその人の中にある分人という考え方にかなりこだわっています。
わたしも著者の作品を読むようになって、自分の中の分人が多く占めているのを認めることができるようになりました。
考えてみれば、子ども、夫、ひとりひとりの友達に、それほど親しくない人に対して、自分の気持ちや言葉を使い分けているのだろうと思います。
それだけでなく、その時々によって例えば夫に対しても違った見方、とても良い人だと思ったり、悪いところばかりが目についたりとそんな日常の中でで、時々の評価をしています。
自分に対してさえ、良いところを見ることができるとき、いやなところばかりが見えてしまったり本当にやっかいだと思います。
徹生は自分は妻、子供、家庭生活、生活に対して満足していたとの思いから、甦生しても自分が自殺したとはどうしても思うことができません。
誰かに殺されたという思いが消えない中で、自分の記憶をただって行き、防犯カメラを見せられたりした後に、生きたいと思いながら死んでいったことを悟ります。
それは、人はなぜ、死を選んでしまうのだろうかという、という問いになっているのでしょうか。
しかし、甦生した人たちが、消えていくのを知ったとき、自分も死の世界に戻らざるを得ないことを知ったとき、なぜ死んだのだろうとの後悔にさいなまれます。
誰にでも訪れる死生観を違った目線で書いて読む者にいかに生きるべきか問いかけています。
『空白を満たしなさい』の感想
全編は少し長いような思いで読みましたが、途中から人間の生き方、死にたいという気持ちも思い出せないほど簡単に死んでしまう人間は分人という存在故であり人には自分にも他の人にもそれぞれの分人があり、その人のすべてを知ることは不可能なのではないかと思わされました。
自分のことも分からないし、まして人のことをすべて知ることなどかなわないし、一緒に暮らしている家族のことさえ本当に知ることなどできないと思って生きていくほかはないのだしょう。
今日の自分と明日の自分と、家族ひとりひとり、友人ひとりひとりについてもその優しさの中にそれらをくみ取りつつ生きていけば、許せることも増えていくし、その違いを見つめることもできそうな気がしました。