
母のお葬式に数十年ぶりに甥とゆっくり話をすることができました。
彼は第二次ベビーブームと言われたころに生まれ、大学進学の時期を迎えたときは、ほとんどの大学が2ケタの倍率になっていました。
ほんの少しの点数の差で、希望している大学に入れない時代で、大学浪人がとても多かった時代でした。
2流、3流と言われた大学は、推薦入学が多かったこともあり、浪人しても合格することが難しく、入りたい学部よりも入りやすい学部を選ぶ方も多くなっていました。
しかしどんなに無名な大学であっても好きな学部に入った彼は、就職でも有名な会社には入ることができませんでしたが、好きな分野に就職できたものの、不満が多かったようです。
不満を持ちながらも技術を盗んで辞めた
辞めたいと思った時に、その段階でやめては使い物にならないから、仕事をとことん覚えてから止めるようにと諭してくれた上司がいたようです。
もともと電気が大好きで、小さいときから電気回路を使ったおもちゃなども作っていた彼は、その技術を覚えることも容易にできたようです。
そしてその分野でどこででも仕事ができると思った時点で、派遣会社に入り、すぐに大手の企業に派遣されたと言います。
同じような電気の回路を使った仕事で開発部門だったようですが、すぐに戦力になり貴重な人材になったようです。
一流の国立大学卒で採用されてきても、仕事ができるとは限らないと彼は言います。
その会社に、すぐに本採用になり10年前後が過ぎていますが、ずっと同じ分野で仕事をしていて、仕事が面白くて仕方がないと言っていました。
彼は運が良かったと言いますが、それは求め続けた結果であり、自分が好きなことがわかっていたから得ることができたものだと思っています。
学部はどこでも良いから、有名大学にはいると言う事を聞くたびに、何か間違っているのではないかといつも思い続けています。
何をしたいか突き詰めて考えることがない限り、好きな仕事など選ぶことなどできないのではないかと思います。
娘も小さいころから職業を選んでした
娘は本を読むのが大好きな子供でしたが、与えられた勉強はあまりしませんでした。理系が苦手だと思っていましたが、何の勉強もしないのに現在はハードソフト両面からパソコンに精通しているので、さほど苦手ではなかったのかもしれません。
医療関係の仕事がしたいと子供のころから思っていたようですが、文系の方が得意なことから先生に文系を勧められたが、文系はしたいことがないと泣いていました。
結局苦手な薬学部を受けて薬剤師になっていますが、パソコンはハードもソフトも独学でほとんど治してしまうのですからさほど理系が苦手ということもなかったのでしょう。
本が好きでたくさん読んでいたことから、読解力があることが強みだったのではないかと思っています。
娘は好きなことが出来て充実した日を送っているので、先生の勧めよりも自分の好きな道を選んだことが良かったのだろうと思っています。

