入院が決まり案内された病室は6人部屋で、私は空いていた真ん中のベッドでした。
入り口はご高齢の方二人がほとんど寝ていて、若い方が一人と私と同じくらいの年齢の方が3人でしたので、すぐにうちとけることがことが出来ました。
その時はかなり疲れていたので、入院することが出来てほっとできるような気持でした。
スポンサーリンク
メニエール病での入院生活
メニエール病は私一人で後はそれぞれに異なる耳鼻科の病気のようでした。
ステロイドの点滴だと思いますが、すぐに始まりました。
飲み薬メリスロンとアデホスコーワ顆粒を処方されて、1週間くらいは点滴がありましたが、その後はこれと言っての治療はなく、薬を飲んで休んでいるだけでした。
今になって考えるとその当時の入院期間は長かったようで、特に精神的な疲れが主原因と言われるメニエール病は精神安定のためにも入院治療の期間が長かったようです。
その当時の大部屋にはテレビが1台しかなく、エアホンで聞くのではなく音を大きくして見ている人がいると、テレビの音が割れるように響いて耳の閉塞感とともに落ち着きませんでした。
そのような症状は初めてのものだったので、気分が悪く落ち着きませんでしたが、1週間ぐらいでかなり慣れることが出来ました。
午前中は点滴をしているので寝ていましたが、午後からは起きて病室の人といろいろな話をしていました。
それまで読みたいと思っていた本をどっさり持ち込みましたが、6人部屋は落ち着いて読書ができる環境ではありませんでした。
とてもひどい眩暈で入院したので、それが良くなるとなんとなく退屈で退院したくなりましたが退院の許可は出ませんでした。
このような性格が、メニエール病に繋がっていたようで、最初に診察してくださった先生に見抜かれていました。
点滴が終わると朝の診察以外は何もすることがなく階段の上り下りをしたり、屋上で少し体を動かしていましたが、自分でもかなり太ってきたのが感じられました。
それがステロイドの薬の副作用だったことは後で知ることになります。
それまでもあまり丈夫ではなかったこから体を気にしない習慣がついていたことから、薬を飲んでいる限りは体調不良は1週間くらいできえました。
1週間に1回くらい暗室での眩暈の検査に呼ばれてしましたが、私は眩暈は慣れているので、耳に水を入れて眩暈を起こさせたり、ブランコのようなものに乗ってゆすられたりしても、それが人工的に起こしている眩暈だとわかっているので、怖くはありませんでした。
検査に来る人の中には、最後までできない人や助けてと叫ぶ人もいるということでした。
そして検査をしてくれている方に眩暈がありますかとのんきに聞いたりしていましたが、「ありますけどわからないのなら気にしなくてもいいです。」などと言われるくらい、眩暈は日常的になっていたのかもしれません。
聞こえなくなっていた左耳はも難聴が少し残りましたが、かなり良くなってきているようでした。
入院3週間目のころに実家に電話を入れたら、父が何度目かの脳梗塞を起こして入院しているとのことでした。
かなり大変なようでしたので、退院許可をいただき退院して200キロくらい離れた実家に近い病院に駆けつけました。
私が入院したことを知っていた父はとても喜んでくれましたが、その時より手足が不自由になり、5年くらいの寝たきりの生活の後亡くなりました。
さすがに病院からの直行の見舞いは疲れてふらふらになりました。