神鋼病院内科部長であられた、村田幸生先生が内科の医師としての立場から、「白い巨塔」などのテレビドラマの医師の姿を念頭に現場の医師としての立場から問題意識を提起する形で書き進められています。
「スーパー名医」が医療を壊すの初版が2009年に出版されたので、今から10年以上前に書かれたものと思われます。
現在も医療現場の問題点が時々明るみに出てニュースとして放映されていますが、10年前くらいから医師が医療ミスで訴えられることが多くなったように思います。
それまでは医療裁判などほとんどなく、カルテ開示も難しかったように思いますが、患者が何かにつけ医師を裁判に訴えることが多くなったことに対して、医師と患者の信頼関係が崩れてしまったことへの危機感を書いています。
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医師も人間であり間違いがおこりうるという前提で医療現場を考える
「妊婦受け入れ拒否事件」をニュースで見た記憶がよみがえってきました。著者はその当時は 「ひどいなあ」と思っていたそうですが、「転送の遅れ」を理由に医者の敗訴という結果が出た後は「最善を尽くしたが力及ばず」が認められない今、全くこれまでの経過が分からないハイリスクの妊婦さんを救急で受け入れて、母子ともに助からないのであれば訴えられるのであればよほど自信がなければ受け入れられないという。
医師と患者の信頼関係がこわれた現在の医療崩壊を防ぐには、
わたしは名医ではないが、(たぶん)ヤブ医者でもない、どこにでもいる平凡な一勤務医にすぎない。だが、医療崩壊を止めることができるのは、有名な大学教授や医療評論家でもなければ、「神の手」を持つ名医でもなく、医者の大部分を占めながら特に名を知られることもなく、日々患者さんと接している普通の医者たちであると確信する。
なぜなら、患者の思いを一番近いところで見聞きし、彼らの不満不信の実態を一番よく分かっているのは、ほかならぬ現場の勤務医たちだからだ。
本文より
私はこの言葉を読んでとても納得します。
何故なら、私は若いころから病気がちであり、多くのお医者さんのお世話になってきた経験により納得できるからです。
その数十年の経験から、私なりの医者のかかり方、自分の体を守る方法を考えてきました。
著者である村田幸生医師の書いていることはほとんどのところで納得できますが、著者と同じような考え方で医療を行っている医師ばかりではありません。
たぶん、大方の医師は村田幸生医師のような考え方をしているのではないかと思いますし、私も医師も人間だし、間違いもあるし、疲れている時も、体調が悪い時もあり、いつもいつも上機嫌であるとは限らないと思っています。
しかし、どんなに信頼しようとしても信頼できない医師に巡り合うこともあるし、独善的でこちらの訴えを聞いてくれない医師がいることも現実です。
それまで病気などをしたことがない私が、27歳の時に、不調を訴えて開業医にかかり、改善が見られず、実家に帰り実家の近くの開業医で入院をしても改善するどころか益々悪くなって自主退院をして、その足で他の開業医に行ったところ、かなり悪化していて、このような状態で病気が分からないはずがないといってくれて即入院しました。
しかし、かなり病状が進んでいたために子供を産めない体になりましたが、命だけは助かりました。その開業医は大きな病院に紹介状を書いてくれ、長い入院の末命は助かったという経緯がります。
その後様々な病気をしましたが、納得がいかない時にその道の専門のお医者さんを探して診てもらったおかげで、私も夫もつらい思いを最小限にできています。
信頼できる医師や病院には長いことかかり、転院することは考えませんが、かかっている医師が病気の診断が出来ないと思った時には転院の決断をしますが、それはそれほど簡単なことではありません。
しかし、転院したために視力が改善出来たり、体調を取り戻したりできたことが数回あります。現在のように医療の技術が進んでいる時は、その専門のお医者さんに見ていただくことはお互いに良いことではないかと思っています。
著者が言わんとする医療崩壊はとても納得が出来ます。しかし患者にとっては一つしかない命であることから、医師を訴えるという考え方以前に自分の命、家族の命は自分で守るという積極的な行動をしなければならない時代に来ているのではないかと思います。
そういう考え方からすると、大学病院にかかるのはとても抵抗があるようになっています。難しい手術など未熟な医師に受けたために再手術を受けなければならなかったという経験もしていますし、そのような方にも出会っています。
大学病院の使命は医師の手術を磨く場所と言われればそうなのだろうと思いますが、できればそのような医師の実験台にはなりたくないというのが本音です。
私は父も母も見送ったので、緊急で入院した時に亡くなったとしても、親の場合は医師を攻めるようなこともなかったし、管に繋がれて生きていた方が良いとも思っていません。
数か月前、夫の母が腕が痛いといって外来を受診した結果、昨日まで元気であったにもかかわらず、心筋梗塞であり入院の準備をしているうちに亡くなりました。
91歳でしたが、とても良い死に方で、私もあやかりたいと思いました。人の生死は医療だけで考えてはいけないことも体験からわかっています。
著者が書いているような医療の崩壊をどのようにとらえるかは難しい問題を含んでいると感じています。医師も人間ですしとてもハードな日々を送っていることを感じています。
私も名医と言われる先生に見ていただいたおかげで、視力を失うことから逃れることも出来ましたし、夫も頚椎症性脊髄症の手術を名医と言われる方に執刀していただいたおかげでひどい状態から解放されました。
そのような思いもあって、「スーパー名医」が医療を壊すという題名に惹かれて読むことになりましたが、私が思っていた「スーパー名医」と視点がずれていたようです。
内科医と外科医などそれぞれに思いは異なっているのだろうと思いました。
著者と同じ専門医である糖尿病代謝内科医の先生にも見ていただいていますが、この先生は家に近いこともあり、生きている限りお世話になるだろうと思う先生と巡り合うことが出来て、現在はとても満足しています。
私たちは死ぬ時までお医者さんのお世話にならなければなりません。信頼関係がなかったらよい医療など受けられないということを患者は肝に銘じなくてはいけないというのもまた大切なことだと思います。