高名な歌人で細胞学者でもある永田和弘が同じく高名な歌人で妻の河野裕子の乳癌の闘病記を書いたものです。
歌に興味のある方ならだれでも知っているような著名な歌人で二人ともに歌会始の撰者やNHKの短歌講師などのをなさっていたほかたくさんお著書がある方です。
この本は河野裕子が乳癌だとわかってからの10年間の壮絶な闘病生活を歌を交えて書いた短歌を交えたエッセイです。
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壮絶な葛藤と愛の歌の数々ー第29回講談社エッセイ賞受賞
歌で結ばれ、相聞歌を歌い続けてきた二人の歌人は十数冊にも及ぶ歌集を出版してたくさんの賞に輝いている稀有な夫婦だと誰もが認められていますし、戦後の花壇の中心を歩んできた歌人です。
私も若かったときに短歌になじんでいましたので、二人の歌集はかなり読んでいますし、家にもあります。
歌で結ばれ誰もが羨むような夫婦であっても、癌という病に侵された妻は、心の不安定を夫や家族にぶつけるようになり壮絶な数年を余すことなく夫である永田和弘は書いています。
京都大学の教授という立場から学会やさまざまな会合に出かけ、また短歌の結社「塔」の主宰であってみればで出歩くのも多く、河野裕子は手術後の体調不良にいたたまれなかった気持ちだったのだろうと思います。
この孤独感は私も経験したことがあるので痛いほどわかりますが、永田は後で書いていますが、その当時はそれほどのこととはわかっていなかったのだろうと思います。
これほど愛し合っていて、寝るのも惜しんで話し合う夫婦でさえ、人の気持ちがすべてわかるということはなかったのでしょうし、またあってもいつもそばにいられるような状態でなかったことでしょう。
どんな病気でも手術後は不安定な気持ちになるものですが、癌という命にかかわる病気であってみればなおさらだと思います。
そんな時期が過ぎて、心が落ち着いてきた手術後8年目に再発することになります。
その時は河野裕子は慌てず、治療をしながら宮中歌会始詠進歌撰者であったので宮中歌会初めさまざまな行事にすべて出席して精力的に作歌に取り組むようになり、夫の永田和弘のほうが心をかき乱されることが多くなったと書いています。
時間がないと知った河野裕子は精力的に歌を作りその間に数冊の歌集を出版し「母系」が「超空賞」「斎藤茂吉賞」を受賞しています。
また「葦舟」は小野市詩歌文学賞を受賞し、戦後歌人としての大きな業績を残しました。
モルヒネを最低限にして、前日まで歌を作った河野裕子は偉大な歌人であっったと誰もが思うことだろうしこれらの歌はのちまで読み継がれるのだろうと思っています。
最後に亡くなる前日に口頭筆記での歌を書いておきたいと思います。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 裕子
さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ 裕子