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『私は親に殺された』小石川真美著

幼少期からの両親による言葉の暴力を受け、親の顔色をうかがいながら勉強に精を出し、東大医学部に合格するも「境界性人格障害」「うつ病」になり、ベンゾジアゼピン系安定剤による薬物中毒に陥りますが強靱な精神力で医学部を卒業医師として働くことになります。

しかし、 「境界性人格障害」 のため友人関係で失敗することも多く、医師を続けながらも精神科入院8回、自殺未遂30回という壮絶な事件を繰返し、38歳で信頼できる精神科の医師と巡り会い、薬を止めることに成功したようです。

『私は親に殺された』あらすじと感想

自分が幼少期に受けた虐待を、心の中に閉じ込めて成人した両親は、その怒りを子供に還すのが子供への虐待だと言うことです。

無意識であっても、意識的でも、何も抵抗のできない子供にとってはとても辛いことで、それにより心の病を発症する人も多いのではないかと思いました。

すべての親も子供も完全な人間は1人もいないので、多かれ少なかれそのような問題が起こることは考えないといけないのでしょうが、それにどのように向き合えば良いかの示唆を与えてくれる本ではないかと読み終わって考えています。

もちろん、子供であった時代、親である私の人生にも苦い思いは湧いてきました。

『私は親に殺された』あらすじ

親は自分が育てられたように育てると言いますが、著者の父も母もあまり恵まれた育ち方をしていないようで、その心の傷を自分の子供に向けて、生きている価値のない人間だと言い続け言葉の虐待を続けていたようです。

物心ついたときから生そのものを否定されて育った著者は、得意だった勉強に逃げ込み、それを認められることが生きている価値のすべてのような環境で育ちますが、17歳の時に友達から、いつもおどおどしているが、別に変わったいるわけでなく普通だと言われたときに自分は駄目な人間だと思っていた価値観を覆され、かなりショックを受けたと言います。

その時に、自分が、 「境界性人格障害」 だと感じ、勉強に支障が出て、東大3類(医学部)に入る成績だったのが、少し落ちたために、2類に入り、途中から医学部に入ることになり医師になります。

その間にも、 「境界性人格障害」 のためにいろいろとあったようですが、卒業し小児科の心臓班に入りに入り、尊敬していた先輩医師と深い仲になったがその先輩は家庭持ちであり、振られた時奥さんに電話をしたと書いていますが、このような行為に出るのも 「境界性人格障害」 と言う病気が関係していたのでしょうか。

東大の小児科を止めらされ、心臓病で有名な東京女子医科大に行くことになりますが、その頃から精神的に不安定になり、精神病の強制入院や自殺未遂を繰返すようになります。

退院してもうつ病が酷くなり、朝起きられなくなったために仕事にも支障が出て、自殺未遂を繰返すようになり、薬が増えると共に体調はますます悪くなり、精神科入院8回、自殺未遂30回という信じられないような行動が繰り替えられますが、その間も親の言葉の虐待や行動制限などが続きます。

その時点で、 「境界性人格障害」 や「うつ病」が、幼少からの親の虐待であることが分かれば、快復したのでしょうが、担当した精神医からはそのようなことは聞いたもらえなかったようです。

いつも付き添ってくる親の立派な行為を医師は疑うこともなかったようですが、快復に繋がったのは37歳の時に、天野先生にであったことだと書いています。

天野先生は、それまでの精神的な病は生育環境にあると認めてくれた初めての先生で、薬剤と会わせ幼少期からのつらさをきちんと聞いてくれたことでかなり改善することができたのです。

両親にも、それらについて話してくれたようですが、それで親が変わるわけではなく、著者はやっと親から独立する道を選ぶことができるようになったと書きます。

そして、精神の安定と健康を急速に快復した著者は4~5種類飲んでいたBZ系薬を一つずつ中止し、ソラナックスだけになったときにそれを止める苦しみを書いています。

それを止めることは、禁断症状が出てとても大変だったと書いています。

私も身近に医療関係者がいるのですが、この当時は手軽に処方したようですが、現在は BZ系薬 はあまり処方しないようななったという話を聞いたことがあります。

そして、天野先生の外来を止める少し前に、先生にお願いして両親との絶縁手続きをとっていただくことにし、ダウン症の弟を引き取り、穏やかに医師としての日常を過ごせるようになったと書いています。

親であれ、子供であれ、人はの性格はは誰1人同じではありませんが、親による幼少期からの虐待でこれほど苦しい人生を歩まなければならなかった著者は、親にこのような育て方をしないでほしいという思いでこれらのことを書いたと言うことです。

誰しも親を憎まなければならないのは辛いことだと思いますが、自分が普通に生きるためには親との絶縁という方法も仕方がないのかもしれません。

うつ病の症状は多くの人に知られていると思いますが、境界性人格障害についてはこちらのページを参考にさせていただきました。

幼い時期は母親との愛情関係を築くのに重要な時期であることは言うまでもありませんが、仮に安定的な関係が築けない場合、その後の自己の確立や感情のコントロールに大きく影響を及ぼし、人格形成に関わることが解明されてきています。子どもが成長してもなお、母親離れ・子離れがうまくできず、親子ともに依存している状態(共依存)にある人や、成長の課程で親が子供を褒めたり認めたりせず、欠点ばかり指摘して子供を否定し続け、子どもが親の価値観に合わせ過ぎた「真面目な優等生」で育ってしまった場合など、本人の自己否定感が強くなり、幸せを感じることができにくくなっている人も発症しやすいでしょう。

このように、遺伝的な要因をもった人が、育った環境によって境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)を引き起こすことが多いようです。

『私は親に殺された』感想

親の決めたレールの通りに歩まなければならない子供は、能力はあればまだしももしなかったらどうなるのだろうかと思わされました。

著者のように能力があり、親に反抗できる強さもあるのにこれほど辛い思いをしなければならないのに、能力もなく反抗もできなかったらどうなるのだろうかと考えると暗澹たる思いになります。

私の両親も、夫の両親も、進路については子供の能力に応じて進ませてくれた家に育ったものにとっては、その係累はそれぞれの子供たちも能力に応じて進路を決めています。

東大に行った人や、東大の医学部ではないが、国立の医学部に自分から目指したものなど様々ですが、東京に住んでいるわけでもなかったので、塾に行くこともなくそれぞれの道を歩んでいます。

私も理系が得意だったのですが、結局したい仕事が見つからず、長いこと自分探しをするはめになってなってしまいました。

その時は親がしいたレールを歩めればどんなに楽かと考えたこともありますが、この自伝を読んで、そんな生やさしいものではないことを知りました。

それでも、親は子供に期待をするものですが、親の思うように子供が進んでくれることなど無理ではないかと言うのが私の考え方でした。

私が親から虐待を受けた記憶は覚えておらず、反抗ばかりしていた記憶が多いことを考えると、著者とは真逆の育てられ方をしたと思いますが、それでも自己肯定感のある子供時代を送ったという記憶がないのは私の気弱さだったのかもしれません。

子供は私と正反対のような性格で、思い道理になどできない強さを持っていました。

かなり育てるのが難しかったので、このような子は成人すれば1人で何でできるようになるのだろうと思っていたところ、高校卒業後家を離れてからは、私は手も口も出すことがないくらい独立してくれました。

しかし、高校を卒業するまでは、厳しく叱ったこともあるので、子供にとって忘れることができないようなことがなかったとは言い切れませんし、反省することもあります。

私もかなり感情的になったこともあったように思いますし、どのように子供を育てれば良いかは、今になっても答えが出てきていません。

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