下野新聞の連載記事「希望って何ですか 貧困の中の子供」が「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」と「貧困ジャーナリズム大賞」を受けました。
下野新聞社の3記者が根気よく取材した記事を2010年1月1日から6月29日まで連載したもののようです。
私は、そのような記事があるのを知った段階で少し読んだだけなので、ほとんどどのようなことが書かれていたのかわかりませんが、ニュースなどでも取り上げられていたことから、子どもの貧困はなんとかしなければならないといつも思っていました。
そんな折にこのような記事に出会い、少しでも子どもの貧困をなくすために政治家たちが考えるきっかけになってくれればと思いました。
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見えないところで進んでいる子供の貧困
目に見えない場所で進んでいる貧富の差を私はひしひしと感じています。
そして、そのしわ寄せがなんの罪もない子供のところに押し寄せているのです。
少子化と言われなながら、将来を担う子供たちの15.7%(2009年時)が公表されている子供の貧困の数だとすれば見えない数字を入れると大変な数になると思われます。
就職難に加えて、離婚率の高さが子供の貧困を生み出す背景にあるのではないかと推測されますが、離婚した母親が働いて得ることにできる収入ではとても子供を育てることができないのだろうと思います。
昔と違って、現在は貧困家庭がとても見えにくい状態になっているようです。
最近テレビを見ていたら、母親が子供を社会から隔離して生きていたという人のことが放映されていました。
社会と断絶されて大人になった女性の話を聞きながら、現在の社会にこんな子供たちもいるのだという思いに胸を締め付けられました
親子ともども抜け出せない貧困に喘いでいる人たちがこんなに多い中で、子ども手当を裕福な子供にも上げている現状をどのように考えたらよいのかといつも考えてしまいます。
貧富の差が大きくなればなるほど、その歪は子供達に行くのはどこの国でも同じだろうと思います。
しかし成熟した国になればなるほど、それが見えにくくなるのも現状だと思います。
特に日本のような国では、貧困であることを表に出しにくい風潮があるのではないかと思っています。
いまそのような現状から抜け出せるような努力をしないと取り返しがつかない社会になってしまうのではないかという思いがあります。
私はこの記事をつぶさに読みませんでしたが、機会がありましたら読んでみたいと切に思っています。