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『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』 岸見一郎著ー本当にトラウマはないのか

過去の出来事に関連性を持たないというアドラー心理学は、トラウマを否定しているがトラウマは否定しきれるのだろうか。

私は、大きなトラウマを感じたことはないと思っていますが、もし大変な経験をすることになってそのために体調を崩すこともあるのではないかと言う思いはぬぐいきれません。

私の悩みなどは、生きていれば誰でも経験するような悩みでも、忘れられないことがいくつかあります。

自分では完全主義だとは思っていませんが、夫に聞くとそのように言うのでそのようなことが影響しているのかもしれません。

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嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え

若いころは、嫌なことがあっても自分の至らなさを思うことが多く、人を恨んだり悪く思ってはいけないと思ってきました。

しかし、それでは自分が辛過ぎたり、理不尽に思うことがふえるようになってしまったので自分を責めないことにしました。

明らかに自分に落ち度があった時には非を認めますが、理不尽な事に出会った時は、そのことから遠ざかるようにするようになりました。

自分を受け入れて生きやすい生き方を選ぶことができるようになってからは、生きることがかなり楽になりました。

自分が心地よいと思える仕事や趣味を選ぶようにしてからは、くよくよ悩むことは少なくなりましたが、考え方の違いからどうしても受け入れることができなことも当然あります。

そのようなときに、その時限りですむ人であったら、自然に疎遠になれますから問題はありませんが、どうしてもかかわりを持たないわけにいかない人の時はかなり悩むことになります。

そんなときの対応の仕方はアドラー心理学はシンプルに教えてくれますが、ユング派などの考え方では、それまでに育った環境が問題視されることが多いようです。

親子の関係などについてはかなり違った対応をするようですが、絶えられないような暴力をこうむったことのない私にはあまり分からないことが多すぎます。

私も人並みに親に反抗して育ちましたし、子供のころは親が好きだと思ったこともありませんでしたし、なんとなく批判的に見つめていました。

しかし、子供は親を越えて育っていくものだと思っているので、友達のような親と言うよりは、子供が越えなければと思える親になるべきだとそのころから思っていました。

私の親は、終戦とともに生き方と思想ががらりと変わってしまったので、はっきりとした生き方が分からなかったのだろうと思ったものです。

そのような関係なので、親子の対立は当たり前のことと思ってきましたが、成長してからはそのことでこだわりを持つと言う事もありませんでした。

そして両親がある程度の年齢になってからは、出来る限りのことはしてあげたと思うようになりました。

私も子供に、自分の生き方を犠牲にしてまで看てほしいとは思っていないので、私のできる限りの生活をして、自分が倒れないように生きたいと思っていますが、こればかりはどうなることかわかりません。

十人十色と言いますので、それぞれに性格も考え方も違っているので、過去の出来事からどのように立ち直るかと言うフロイト心理学も、今現在だけを考えるアドラーの心理学も、私には納得が出来るところがありますので、相性と言うものもあるのではないかと思ってしまいました。

このようなことを書いている私自身、フロイトもユングもアドラーもすべて理解できるほどには読み込んではいませんが、それでも現在自分が信じられる生き方を選ぶほかはないのだと思っています。


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