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『家族』 という名の孤独 斎藤 学著|家族の温もりに酔うのは危険である

精神科医である斉藤 学氏はアルコール依存、児童虐待、過食症などに取り組み、精神医としての目からそれらの病気が家族依存から生まれるとしています。

アルコール依存症を父親に持った娘はかなり高い割合でアルコール依存症の夫を選んでいるといいます。

自分の回りの不器用そうで自分の助けがないと生きられないような男を選んで20年ほど過ぎるとアルコール依存症になっていたというのです。

それを斉藤 学氏は「人は同じ人間関係を繰り返す。それがどんなに過酷なものであっても繰り返すのは不思議なことのようであるが、それなりの必然性があると書いています。

「家族」という名の孤独は今から20年ほど前に出版されてベストセラーになった本で、家族問題を多角的にとらえている内容の豊かな本ですが、その中の一部を紹介しながら考えてみたいと思います。

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家族の中でも人は孤独を知り、他人との関係を大切にしなければならない

弱い男は自分を鼓舞するように家族に暴力をふるう。

息子は自分を理解してくれない母を殴り、夫は母のようにいたわってくれない妻に復讐するといいます。

ほとんどの場合妻は泣き寝入りをしてしまうようで、表面に出ないと言われています。

公共の場所でトイレに入るとDVの方のホットラインの電話番号が目につきますが、そのくらい家庭内暴力は内在しているということなのだと思い知らされます。

この本が書かれた20年前は子供の引きこもり問題や家庭内暴力の問題が大きく取り上げられることが多かったことを記憶していますが、現在はもっと過酷な問題の陰に隠れて家庭内暴力は見えにくくなっているのでしょうか。

ある女性は30年間アルコール中毒で暴言と暴力の絶え間ない夫と暮らしてきて、舅、姑に仕えながら2人の子供を育てあげた後に家を出て、離婚しようとしたが、家庭裁判所も弁護士もアルコール依存症のことなどさっぱい分かっていなかったために裁判に負け、家を追い出されたといいます。

お手伝いさんをしながら、2度目の離婚裁判では弁護士を慎重に選んだことで自分の主張が認められました。

その後この女性は美しくなり、結婚していなかったかっての同級生と会い、同棲することになり普通の男の優しさを初めて知ったといいますから、よほど感覚的に麻痺していたようです。

依存しない家庭はそれぞれが孤独を抱えながらもほかの家族を大切にできるような関係を築いていかなければと考えさせられました。

子供を愛せない母親たち

女性は女性として生まれただけで母性本能を備えていて自分の子供を持ちたがり、子供のために自分のすべてをささげるものであるという信仰のようなものがあるといいます。

このことは女性である私自身はかなり納得できるものもありますが、すべての女性には当てはまらないようですし、そのように感じていた私にとっても子育ては大変なものでした。

どのようにしても泣き止まない子供に腹も立ちましたし、昼夜を問わず子育てに追われて、夜中に泣き出す子供を夫に泣き止ますように言われたことは今でも覚えています。

泣いている子供の声を子守歌のように聞きながら眠っていたこともあったと思い返しています。

現在はかなりわかってきている人も多いかもしれませんが、誰もが育児だけに没頭できないのも現実だと思います。

私の子育ては実家からも遠い地で、頼りになるのは夫だけという環境の中でしたが、夫は企業戦士と化していつ帰ってくるかもわからない状況の中で奮闘したので助けてくれる人をいつも求めていました。

そのような苦しい子育てだったにも関わらず、子供の性格というものは天性のものが大きいようで自己主張のできる活発な子供に育ってくれたことで肩の荷を下ろしています。

私自身の子育ては反省点が多い、子育てだったのですが・・・・

母と娘の危うい関係

母と娘の間というのは、心理的距離を取りにくい。

娘、特に一人娘や長女となると、母親はまるで自分の体の延長のように娘を感じてしまうようだ。

自分の一部なのだから、自分と同じように感じているはずと考える。

自分の喜びは娘の喜び、自分の嘆きは娘の嘆きと思うから、夫への愚痴などがあれば、思う存分垂れ流す。

娘がそれを聞いて、どのように感じるかには思い至らない。それほどの一体感のなかに、入り込みがちなのである。

優しい娘、母の苦労を自分の苦労とする娘たちもまた、自分の気持ちは母に通じているはずと思い込み、こうしてこの娘の人生は母に侵入され、乗っ取られる。

第五章 母と娘の「危うい関係」より抜粋

作者は母に飲み込まれてしまう前述のような関係が一番危険だと言っているのです。

私の周りにもこのような母娘の関係に見える人たちがいて、私が親に反発しながら大人となってきた過程と照らし合わせながら、危うい感じは持つのだが、娘を持つ身としてはうらやましくも感じてしまいます。

私は母に育てられたように娘を育てたのではないかと時折思い返しています。

母は良い親でもなく、反抗する娘に戸惑っているばかりでしたが、最終的には私のすべての自由な生き方を受容してくれたので、愛情を信じることができていました。

娘が私のことをどのように思っているかはわかりませんが、ある年齢になった時点からは黙って見つめてきたと思っています。

私は溺れそうになった娘が戻ってくることのできる渚であればよいと思っています。

もう溺れそうになることもないだろう娘は社会の中で生きがいを持って生きているのでその邪魔をしないように気を付けなければならないと思い始めています。

大学生になってから一度も一緒に生活したことのない娘と一つ屋根の下で暮らすことなど考えられなくなってしまいました。

母と娘の「危うい関係」の末尾で筆者は下記のように書いています。

丈夫な父親は年ごろになった娘に捨てられ、汚がられ、うっとうしがられ、理解不能な「オジン」として遠ざけられる。これが父親の仕事である。

母親は、年ごろになった娘に意地悪な継母として捨てられ、情緒的に「殺される」のが良い。

これが娘が家を出、自分の世界を持ち、自分の大切な人を探すエネルギーをつくる。

第五章 母と娘の「危うい関係」より抜粋

親はとても寂しいものですが、ほかの動物がそうであるように子離れをしなければならない時期を見極めなければならないようです。

自分たちの子供であっても、一つの人格としてとらえたときに自分との違いは、見えるのだから他者として扱わなければならないようです。

これからの親子関係はどのようになるのだろうか

この本の中に出てくる事柄は20数年前のことで、かなり多くの家庭の女性は専業主婦だった時代ですが、現在は働き方はさまざまですが、外で働いている主婦が多くなっていますし、少しずつではありますが、男性も家事をするようになってきているように見受けられます。

第九章で少子化と中高年の離婚の増加にふれて、合計特殊出産率を上げるためには、北欧諸国のように女性が結婚しないでも子供を生み育てればよいと書いています。

20数年たった今でも日本はそのような選択肢は少なく、離婚後の子育ての中で貧困にあえいでいる人が多いのが現状のようです。

前の記事「不妊治療で悩む人の陰で子供を希望しない独身男女が10%超」というように少子化がますます進んでいるようです。

結婚しない人も増えている中で今後の日本はどのような方向に向いていくのか心配になることもあります。

「家族」という名の孤独はかなり読み応えのある本ですが、最終章の抜粋を書いて終わりたいと思います。

人は少々ブルーな気分で、適度な寂しさを抱えながら生きるのがいい。そんな日々の中でこそ、もう一人の人との出会いが何物にも代えがたい温もりになるし、道端の緑の芽吹きに奇跡を感じることができるようになる。

家族に包まれることは恵みだが、家族の温もりに酔うのは危険である。

人は人の群れの中で、真の孤独を感じる。そしてその孤独の痛みが、他人との関係を大切にさせる。

家族の中で人は孤独を知り、他人を求める自己を知る。

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