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『遠い山なみの光』カズオ・イシグロ著 小野寺健訳

2019年9月25日

『女たちの遠い夏』を改題した、3冊目の日本語訳で、「早川書房」から刊行された作品を読みました。

原作との違いなどもあるようですが、私は原作を読むことができないので、訳文からのあらすじと感想を書くことにしました。

この作品は、デビュー長編であり、王立文学協会賞を授賞したということです。

ノーベル賞作家のカズオ・イシグロの作品は、「日の名残り」、「わたしを離さないで」に次いで読んだのは3作目です。

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『遠い山なみの光』のあらすじと読書感想

カズオ・イシグロは日本人の父母を持つ作家ですが、5歳の時に渡英しているので、作品はすべて英語で書かれていますが、両親が日本人であることから、日英の文化を背景にして育っているようです。

英国人との間の娘、ニキがロンドンから会いに来てくれたところから、長崎時代を思い起こすという形で書かれています。

そのような点では「日の名残り」の書き方とよく似ているように思いました。

『遠い山なみの光』あらすじ

イギリスに来てから生まれた娘のニキが4月の初めに私に会いに来ました。戦後の長崎で生まれた景子は部屋に閉じこもるようになり、家を出てマンチェスターの部屋で自殺してしまっています。

ニキはロンドンに住んでいて、ボーイフレンドもいるようで、電話が頻繁にかかてきますが、聞こえないようにドアを閉めて話しています。そのニキとの会話から、長崎に住んでいたころのことを思い出していました。

それは戦後の長崎での出来事で、戦後の最悪の時期は過ぎていて、悦子は夫と二人でアパートに住み、夫たちは拡張を続ける会社に勤めていて景気が上向いているときでした。

そのアパートから見えるところに戦災にもブルドーザーにも壊されなかった戦前の村の家が一件残っていて、アメリカ車が出入りし、母子が住んでいるという噂を聞くようになっていました。

その人が佐知子で娘は万里子と言い悦子は知り合いになります。万里子は猫が好きでよくかわいがっています。東京から長崎の叔父の家に越してきて、その家から猫を連れてきたといいます。

悦子は妊娠していて3ヶ月から4ヶ月になっていました。悦子の家族の話は出てこないので、戦争で亡くなっていたのかもしれません。緒方さんのところにお世話になっていたようで、その息子の二郎と結婚したといういきさつがあるようです。

悦子の家族、友達になった佐知子と彼女の娘の万里子との会話と風景は、どこか靄がかかっているような空気が流れていて被爆した長崎の空気と生きのこった人たちの暮らしが言外からも見えてくるようですが、作者は詳しいことを何も書いていません。

佐知子はとても良い暮らしをしていたようだが、夫を戦争で亡くし、今は生活に困っているのでうどん屋さんの仕事を紹介してほしいといいます。

うどん屋をしている藤原さんは、悦子の母親の親友で戦前はとても良い暮らしをしていた人のようですが、長男だけを残し家族3人を失っていました。

悦子にも好きだったらしい人がいたが、亡くなってしまい、今の夫とはさほどの愛着を持っていないように感じられます。

夏になったころに、悦子の夫の父親が泊りに来ました。夫より先に知り合いになっていたので、お義父さんとは呼べず緒方さんと呼んでいました。

校長先生をしていて戦後退職した緒方さんと遠藤博士を、夫の友達で共産主義になった松田重夫が、教師たちが出している雑誌に批判的に書いていると怒っています。

選挙で奥さんが夫と違った党に入れることにもかなりこだわていることから、戦前の思想をかたくなに守っている人のようです。

そのようなことから、世話をしてあげたと思っていた松田重夫が共産党員になり、自分と全く違った思想を持っていることに緒方さんは理解ができず、松田重夫の家を訪ねていきますが、戦争中には許されない思想の持ち主だった人を投獄に追いやった過去を問われることになります。

はっきりとその違いを悟った緒方さんは、「若い者には自信があるな。わたしも昔は同じようなものだったのだろう。自分の思想を確信していたのだ。」と言い、時代の変化を感じることになります。

戦前からの思想や考え方は、戦後には大きく変わり、遠藤博士と緒方さんは教師を辞めざるを得なかったようです。そのような時代の変化は「日の名残り」にも書いてあり、同じような流れを踏んでいるようです。

その晩、佐知子が訪ねてきて万里子がいないといい、一緒に探しに行くと川の向こう岸の土手になる川っぷちぎりぎりの夕闇の中に荷物のように転がって見えたのが万里子でした。

水溜りに倒れていたのでドレスが片側泥水に浸かっていて、腿の内側にできた傷から血が出ていまいた。「どうしたの?」と佐和子が聞いても万里子は黙って母親を見つめていて、そっぽを向いて歩きだしたその足取りはしっかりしていました。いつも勝手に出歩いている母親を批判しているようです

佐知子は、万里子と一緒にアメリカに行くというのでした。アメリカに行けばなんでもできるし、万里子は働くことも映画女優にだってなれるというのですが万里子はそれが面白くなさそうでした。

その後、佐知子はいなくなってしまったフランクを探しに行ったが見つからないようでした。その間万里子を見てあげていた悦子は蜘蛛のことで言い合いをして出て行ってしまった万里子を探しに行ったが、足首に縄が絡まっていたこと、その後もサンダルに絡まていた縄を持っていて万里子にいぶかしまれたこととは、景子の自殺がつながりを持っているように感じられます。

何度も裏切られながらも、フランクを忘れられずにアメリカ行きを夢見る佐知子と、フランクを嫌う万里子母子の溝は埋まらないまま何もかも失った戦後の長崎の悲しみがしみとおります。

叔父の家に行くといい、猫を連れて行ってもよいと言われた万里子だったが、また話が変わったようで、神戸に行き、そこからフランクとアメリカに行くと言って荷造りをしていた時、万里子が猫を持って行ってもよいと言ったと駄々をこねていました。

佐知子は、木箱に入った猫を川に沈めてしまいます。万里子が恐れている女が子供を殺した方法でした。流れていく猫を追って駆け出して行った万里子を、悦子を探しに行きました。

万里子はフランクをとても嫌っていましたし、佐知子も子供がいることを幸せだと何度もいいながらも、行けるかどうかも分からないアメリカ行きに賭けるしかないようでした。

戦争で傷ついた長崎の戦後の悦子の周りの人々の会話を中心に回想する形で書かれた物語で、佐知子と万里子の母子の寂しさが悦子との会話の中で薄闇のように語られています。

そして、その時に身籠っていた景子がのちに自殺してししてしまったことを語る悦子は、万里子も景子も同じだったという思いが根底にあるように見えます。

しかし、ニキが「お母さまは景子のためにできるだけのことをしたわ。お母さまを責められる人はいないわよ。お母さまのしたことは正しかったのよ。ただ漠然と生きているわけにはいかないもの。」と言う言葉から悦子のは言い尽くせない思いをニキは感じているようです。

なぜ夫と別れてイギリス人と結婚したかなど何も書いてありませんが、「何年か後に訪れたあの危機の時にも、彼がこの時と同じ対応をしなかったら、私は長崎を離れなかったかもしれないのだ。」と書いていることから、夫の二郎が何か厄介な問題が持ち上がった時、いつも、いい加減なことを言ってあいまいにしてしまう性格だったと感じられます。

そして、理由は分からないが、景子はそのころから心がやんでいて、イギリスに行って引きこもりになった後、マンチェスターの部屋で自殺してしまったのです。

親は親としての生き方があり、子供の人生すべてを背負いきれないのは、いつの時代でも同じなのかもしれません。

ニキは「なぜ、結婚しなきゃならないの?ばかげているわよ。女はもっと目をさまさなきゃだめよ。みんな人生はただ結婚してうじゃうじゃ子供を産むものだと思っているけど。」という考えの持ち主に成長していました。

佐知子と万里子と悦子の三人が、ケーブルカーで長崎の丘の上に登った時の様子が、唯一明るさを感じさせてくれ、『遠い山なみの光』に反映されている小説だと感じながら読み終えました。

『遠い山なみの光』の読後感

カズオ・イシグロが、父母と一緒にイギリスにわたったのが5歳の時だったので、デビュー作を長崎に選ぶことには必然性のようなものを感じます。

戦争の傷跡が大きかった長崎は復興の速度が早かったとはいえ、家族を失った多くの人の悲しみをまとった街で、そこでの生活は大変だったのでしょうが抑えられた言葉で語っています。

大切な人を失ってしまった悦子は、助けられた緒方さんの家で生活し、その息子と結婚、子供が生まれるのを楽しみに生活していますが、そこからは本当の幸せを見出すことができなかったようです。

アパートで暮らしながら、佐知子と万里子母子との会話もどこか悲しげで、薄闇に包まれえいるようですし、会話で成り立っている小説の中で、会話はいつもちぐはぐです。

景子を知らないイギリスの夫は景子とニキとは性格が全く違っていると言っていたが、二人はとてもよく似ていたと悦子は思うのです。二人は揃って癇癪もちであり、執着心強く一旦怒り出すとよその子とは違って容易なことではおさまらず、一日中機嫌が悪いくらいだったと回想しています。

それなのに、一人は明るく自信のある女になり、一人はどこまでも不幸になっていったあげく、自ら命を絶ってしまったのです。

そんな時、思いは佐知子と万里子へと思いをはせるのです。万里子の描写がとても詳しいことにより、景子と万里子がどこかでかぶって見えてしまうことがあるくらいです。

この小説は、ほとんどが会話から成り立っていますが、最初から佐知子の万里子に対するやり取りに違和感が感じられ、万里子に同情しがちな悦子の対応が目立ちます。

戦後の母子の寂しさをどこにも放つことができない生活の中で生きていた万里子が、なぜか景子とだぶって見えてしまいます。

一度ざっと読んでみて、もう一度読み直した時に、様々な仕掛けがあるようでとても難しく解釈の仕方がいくつもあるように感じました。

知識人の中で、マルクスの本が読まれ、そのことが分かっただけで投獄された時代であったことなども、考えながら読む必要がありますし、緒方さんはそのようなことに異を唱える立場でした。

そのようなことから、読者は立場により違った読み方にならざるを得ないようです。

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