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広告 政治・社会問題

憲法についてー内田 樹氏講演の記事から

2018年の5月に日仏会館で憲法についての講演したときの講演の内容を2019年3月31日の「 BLOGOS(ブロゴス)」で読みました。

護憲派はなぜ「弱い」のかという問題について書かれているのですが、著者と同じくらいの年代のために憲法について掘り下げて考えたことがなく、改憲派が多くなったことに戸惑いを覚えながらもなぜなのかを、表面的にしかとらえることができていなかったのですが、この記事を読んで納得できることがかなりありました。

日本国憲法を下記のように位置づけています。私たちの時代に生まれたものにとって日本国憲法はリアルあり、それを「空語」だと思ったことがく、憲法は山や海のような自然物と同じようなものだからです。生まれた時からそこにあったという感覚を私たちの年代の人は持っていることを気づかされました。

私たちの年代の人は、そのような空気の中で育ってきたが、若い人はそのようなリアリティは感じない。憲法観も育った年代によって異なるようです。

現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということです。だから、この空語を充たさなければいけない、ということです。

と内田氏は言います。

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日本国憲法という「空語は」は満たさなければならない

私たちの世代は親や教師から、戦争のない平和の尊さを空気のように教え込まれてきました。戦争に行った人も身近にいましたが、その人たちは戦争の惨さをあえて語らなかったように記憶しています。

リアルな言葉を聞かないまでもその空気感から私も太平洋戦争に負けてよかったと思いながら成長してきました。そんなことから平和のありがたさ、憲法のすばらしさを疑うことなく信じて育ってきたのですが、それ以後の若い人はそのような空気が薄れた時代に育ってきているということに私も気が付けなかったことを改めて感じました。

そして、歴史修正主義が大きなうねりとなっている現在の社会を受け入れがたく思うのは、戦争で傷ついた人たちがほとんどいなくなった時に、リアルを知らなかった人の中には「日本の汚点は許しがたい」という気持ちになってしまった人が多くなて来たのでしょう。

押しつけ憲法だから改憲しなければならないともっともらしく言うのを聞いても現憲法に対して疑義を感じることがありませんでしたが、さすがに『国体論―菊と星条旗』 白井聡著を読んだときは、日本は独立国ではないのだと強く感じました。そして主権も「日本国民」というにはほど遠いと認めざるを得ませんでした。

現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということを痛感しました。日本国憲法は押しつけ憲法だといわれるゆえんもその成り立ちが検証されていないことにあるようです。

最高法規の制定過程がどういうものだったのかについて国民的な合意が存在しないことが問題であり、日本国憲法が制定されたときには「主権が国民であることを宣言していますが、憲法制定時には「日本国民」というものはなく、公布前日の11月2日までは、列島に存在したのは「大日本帝国臣民」だったということが憲法の脆弱性につながっているといいます。

今まで考えたこともない定義に驚くとともに納得してしまいました。

また、アメリカでも「法の下で万民が平等である」と謳っていますが、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いており、奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃなく、独立宣言から200年経っているし、今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃないのですが、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいないといいます。

世界中底の国でも制定されたときは、「絵に描いた餅」であるが、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけだったのが日本ではできていない、そのことが護憲派の弱みになっているといいます。

憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。

そして、戦中派が子供たちに伝えなかった節度と、気づかいが、その後の歴史修正主義者や改憲派の登場の素地を作ってしまったという。そして私たちの世代が、その憲法を「自然物」のように見なしていたのは、子どもたちにはできるだけ何も言わずにおこうとした先行世代の黙契の力であり、憲法に力があったわけではなく、この憲法は素晴らしいものだと信じていた人たちの思いに力があったからだといいます。

彼戦中派の生身が憲法の力を担保していたのですから、その人たちが死んでいなくなってしまったとたんに、僕たちの手元には、保証人を失った一片の契約書のごときものとして日本国憲法が残されたということになります。

リアルな戦争体験者がいなくなった今、「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。「護憲運動の劣勢」という現実を受け入れるところから始めるしかないという。

正しいだけでは自存できない。絶えず憲法に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、死文に過ぎない。

死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗です。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、そのことを語らないんです、護憲派は。憲法はそれ自体では空語だということを認めたがらない。憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死し、倒れてしまうという切迫した危機感を僕は護憲派にあまり感じることができないのです。危機を感じるためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならない。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていたけれど、口にはしなかった。でも、知っていた。僕たちは、この憲法が空語だということを知らずに来た。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。

だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならない。戦中派がしたように、今度は僕たちが憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての僕の基本的なスタンスです。

最後のほうはうまく伝えることができす、抜粋ばかりになってしまいましたが、改憲派が、歴史修正派が増えてきたことの意味と私たちが真剣に取り組まなければならない日本の現状に思い至りました。


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