益子町は益子焼を主力産業として、年間約200万人の観光客で賑わっています。
現在窯元や陶芸販売店の数は約350軒にのぼります。
益子は陶芸を目指す方を温かく迎えてくれるところなので、様々なところから陶芸家が集まっています。
益子焼はそれまで、日用品の陶器を作ってきましたが、人間国宝の浜田庄司の影響を受けて大きく成長しました。
浜田庄司が亡くなった後は、伝統的手法を守る作家と独自の作風を確立する作家が連立し、素晴らしい作家が益子町を中心に活躍するようになりました。
益子焼のカタログでもわかるかと思いますが、作風の違いは様々な方の用途や好みを満足してくれることと思います。
好きな益子焼のお皿に入れただけで、料理引き立つこと請け合いです。
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栃木県の民芸陶器 益子焼
私は窯元の中では益子焼に一番近いところで成長したので、子供のころから益子焼については知っていました。
人間国宝の浜田庄司が活躍しているたころで、益子焼が注目されている時代だったので、友人の知り合いの窯元を何度も訪ねて歩きました。
私の周りには益子焼のファンがたくさんいたので、見て歩いたのはほとんどが窯元で連れて行ってくれた方が窯元の知り合いだったことから、購入できないような高価なものを作っているところから湯呑のようなものをいただいてきたこともあります。
そのようなことからその当時の有名な作家の名前とその作家が作ったものは見分けがある程度つくようになりました。
陶磁器の大好きな私は益子焼ばかりでなく、いろいろな産地の食器を持っていましたが、益子焼が占める割合は多くなっています。
益子焼の有名な作家加守田章二が亡くなり、人間国宝浜田庄司が亡くなる前に私は宮城県に移り住んでいましたが、時折訪れた益子では若い作家が様々な手法で作った陶器が並ぶようになっていました。
浜田庄司の模倣品のような作品もあることはありましたが、それまでとは雰囲気の異なった作品になっていきました。
模倣品ではないそれらの作品の中には私の好きなものも含まれていたので、時折益子の共販センターなどを覗いていました。
益子というところは新人が入りやすい風土だったので、作陶に興味を持った方が塚本製陶所や栃木県窯業指導所で技術を磨いて独立していきました。
益子焼はそのようなところなので、たくさんの作家が様々な作品を作っているので、お気に入りの作家を見つける楽しみもありますし、価格もかなり幅がありますので、安価なものでも手作りのものを楽しむことができるところです。