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生き方・文化・伝統工芸品

疑うことのできない死が迫っている人に言うべき言葉がない

2015年9月19日

誰もが死と隣り合わせに生きているのですが、先が見えないから私たちは安心して生きていけるのです。

わたしも死と隣り合わせのような病気をしたことがあります。

それでも生きられる可能性があったから、何度も泣きながらも絶対死なないという信念を持つことができたのです。

どのような病気になってもいくばくかの可能性を持つことができれば、私のように死の方に傾いた気持ちも立ち直らせることができます。

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疑うことのできない死が迫っている人に言うべき言葉がない

どのような治療方法もなく、いつ来るかわからない死と向き合って生きなければならなくなったとき、その気持ちを思い見るだけの心を私は持っていないのを感じています。

そのようにして、身近な人を何人か見送ってきましたが、いつもかける言葉はありませんでした。

幼いころから私をかわいがってくれた叔父は、たくさんの友達がいましたが、お見舞いに来ても会うことがないと奥さんは言っていました。

しかし、遠く離れて住んでいた私のところには電話をかけてきて、いつ来るのかと尋ねるのです。

その時は叔父の家と近いところに定年後に住む家を建ててあったので、家に風を通すために時々来ていることを知っての電話でした。

山野草を育てることを趣味にしていましたが、その頃は動くこともできず鉢に咲いた山野草を奥さんに持ってきてもらい見るのを唯一の楽しみにしていました。

治療法がないので、入院はしないで何時間もかけて着替えをして、床に就かないようにしていたようです。

そんな電話で、私に山野草の用土を購入してきて、植え変えてほしいという旨のお電話をもらったとき、少しは様態が良くなっているのかと思っていきましたが、死を前にして鉢植えを地植えにしたり、根の張っているものの植え替えだったりで少しも良くはなっていませんでした。

それよりもかなり前に、私には病気は良くなることはないことを自ら話していたのを聞いて奥さんがびっくりしたと言っていました。

兄弟弟妹が見舞いに来ても、元気そうに振舞ってそのようなことは決して口には出さないと言うのです。

たびたび訪ねて、私は何を話したか覚えていませんが、叔父は形見のように行くたびに珍しい山野草の鉢植えを分けてくれました。

最後に尋ねたのは5月の連休のことでしたが、その時はかなり弱っていて初めて寝ている姿を見ました。

友達のお医者さんが、入院手続きをしてくれて入院したのは次の日です。

病院にお見舞いに行き、次は2週間後に来る旨話したところ、「2週間か」とつぶやきましたが私が会ったのはそれが最後で、2週間後はお葬式になっていました。

もう15年くらい経ちますが忘れることができず、毎年お盆にはお参りに行っています。

今考えると70歳の若い死だったと思い返しています。

そしていま、無二の友人が同じような状態になっていますが、叔父の時よりもやるせないのは私と同年代だという事が大きいのだと感じています。

叔父の時は、私よりもかなり上だったし、私も若かったので苦しかったことには変わりがありませんでしたが、今の気持ちとはかなり違っていたと思い返しています。

その友人も包み欠かさずなんでも話してくれるのですが、私にはかける言葉が見つかりません。

私が死ぬかもしれないと思った時に時々涙を流していたように、涙を流しているようですが、その涙は私の涙とは比べようもないことは私がよく知っています。

かなり前に悟ってはいるようですが、それだからと言って悲しくないはずはありません。

私には病院がどのくらい心のケアをしてくれたのかはわかりませんが、治療を打ち切った時の悲しみは想像を絶するものがあったようです。

私ができることは、私がここにいて一緒に悲しんでいるという思いを伝えること以外にできないのをもどかしく思っています。

私にもいつかはそのような時がやってくるのだという思いがわきますが、やはり現実として感じることができない自分を見つめるほかはありません。

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