おかれたところで咲きなさい
咲くということは、仕方がないと諦めることではありません
それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人も幸せにするることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いではなかったと、証明することなのです
大きな文字で読みやすい 置かれた場所で咲きなさい
は上記の詩が表題になった、シスター渡辺和子さんの体験や生い立ちから紡ぎだされた珠玉の言葉が詰まっている本です。
ご自分が実践なさったり、体験なさったりしたことが書かれているので、とても説得力のあります。
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「置かれた場所で咲きなさい」 シスター渡辺和子著の読後感
私はこのような生き方を書いてある本は若いころからたくさん読んできました。
若いときは、本当に心にしみる思いで読み、書き留めておいたこともありました。
そのような本が私の生きる支えになったことも幾度となくありました。
しかし、長く生きていると、同じようなことが書いてある本に何度も出会うことになります。
そんな時に忘れかけていた言葉に出会い、思いは秘めていたのに実行できないことがいかに多いことか気づかされました。
それに、若いころのように、素直に心に落ちてこないことも多くなってきます。
若いころは、許せないのは自分が悪いのだと思って、悩んだこともありますが今は、どんなに考えても許すことのできないことも抱えてしまうこともあります。
そして、そんな自分をいたわれるようになって、生き方が楽になった部分も出てきました。
すべての人の置かれた立場も思いも同じではないことを承知の上で、受け入れることのできない人や物事が出てくるのは仕方がないと思えるようになったことを、私は成長したことだと現在の自分に言い聞かせています。
そんなことを考えながら、マザーテレサが講演をなさった後でカルカッタに行きたいと言った学生にマザーテレサが「大切なのは、カルカッタに行くことより、あなたの周辺にあるカルカッタに気づいて、そこで喜んで働くことなのですよ」と話されたという言葉でした。
私は何をしていますと言っている方の中で、目の前にいる認知症や、老人性うつ病の寂しい高齢者に冷たい人がいかに多いかを感じています。
寂しくて仕方のない高齢者は身の回りに沢山いますし、7人に一人と言われる、子供の貧困の問題も考えなければならないことです。
そのようなところにどのようなやさしさを届けてあげたらよいか、考えなければならないと思っています。

