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本・読書感想・映画

『老人力』 赤瀬川源平著ー老人力生かして認知症予防

2015年8月22日

新聞で落合恵子さんのエッセイを読んでいたら、赤瀬川原平さんの「老人力」のことに触れていたので早速アマゾンを検索して、1999年1月20日初版第8刷発行の{老人力」の単行本を購入しました。

その後文庫本にもなっていて、その当時ベストセラーになった本です。

たくさん発行された本のためか、アマゾンで『老人力』の中古品が1円で出品されていて + ¥ 257 関東への配送料でした

こんな値段で購入してよいのかと思いながら申し込んで届いた本は経年を感じさせるだけで、数回読んだと思えるくらいきれいな本でした。

「老人力」という言葉はは1999年にかけて、社会現象と言えるほどの流行語となったようですが、私はこの時期とても忙しかったので、新聞の書評やその他には目を通していたのですが、購入して読むことができない時期にあたっていました。

そのままずるずるときて、急に読みたくなって購入して読んでみましたが、今まさに「老人力」と呼ばれるにふさわしい年齢にいることを納得しないではいられませんでした。

赤瀬川原平さんは昨年亡くなりましたが、私はこの本を書いた当時の赤瀬川さんよりは少し上の年代になっています。

「老人力」という言葉を発案したのは、赤瀬川と同じく路上観察学会に所属する藤森照信と南伸坊である。

二人は路上観察学会の合宿で相部屋になった際、自分らも相応に歳をとったし一回り年上の赤瀬川をボケ老人呼ばわりはまずかろうという話になり、「ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に、老人力、なんてどうだろう。いいねえ、老人力」とこの言葉を思いついたという。

そして翌朝、朝食の席で学会の一同にこの新語を紹介し、大いに喝采を受けた。ネタにされた赤瀬川もこの言葉を気に入り、東京新聞の文化欄に「老人力」を説明するエッセーを寄稿した。

これが活字としての初出である。

著作『老人力』は筑摩書房はじまって以来最高のベストセラーとなり、「老人力」は同年の流行語大賞を受賞。

ウィキペディアフリーー百科事典より

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老人力から認知症へ、現代は認知症介護が問題化している

私もかなり老人力が付いてきていて、認知症の心配をしなければならない年齢になってきました。

老人力と認知症は別の問題でありながら、一歩間違うと認知症と診断されかねない問題も含んでいますが、若年性認知症もありますので、年齢ばかりが問題となるわけでもないようです。

母も老人性うつ病から認知症にと移行して、かなり悪化したので他人事とは思えないのですが、かなり身近で認知症の母を見ていながら、認知症のことがさほどわかったとは思えないのを不思議に感じています。

認知症といってもひとくくりにできない症状があるようで、母を見ていた私には本で読んだ症状、人から聞いた症状などとかなりかけ離れた母の症状にかなり戸惑いました。

母は認知症といっても亡くなる寸前まで、様々な記憶が戻ってくることがあり、最後まで私のことは分かっていましたし、トイレも訴えることができました。

それが救いでもあり、可哀想でもあったのですが、母も旅立って1年が過ぎました。

母を看取った後は私自身が老人力を発揮して、もの探しを頻繁にするようになりました。

夫の定年前まではほとんどのものは私が整理していたのですが、二人で片づけるのですから始末が悪く、常にもの探しをするようになりました。

また、お互いが頭ではわかっていても言葉が出てこなくて、「あれ」「あのひと」などの言葉が頻繁に出てきます。

特にパソコンを使うようになって漢字が書けなくなり、病院に行った時の病歴などや病状を書くときは大変です。

夫と話している時ばかりでなく、同年代の友人との会話もこんな感じになっていて、私ばかりではないのだと安心するのが常になってきました。

亡母が88歳のころ老人性うつ病とも認知症とも思えるような症状になり、アルツハイマーの検査に連れて行ったことがあります。

その検査の一部始終を見ていて、私にもできないことが多く、かなりショックだったことがありますが、母は老人性うつ病だったようで、やる気力もなく検査にならないと精神科を受診になりました。

そん時に老人性うつ病も認知症を伴うことが多く、うつ病の改善とともに認知症の改善も見られる可能性もあるようなことを教えていただきましたが、うつ病に理解のない同居家族の中で悪化の一途たどりました。

離れて住んでいた私にはなすすべもなく見守るのみでした。

老人力が付いて来れば生きることが楽になる

これまでも忘れることは多かったのですが、気が付くとかなりいろいろなことを忘れてしまうようになりました。

最初は「夫との間で言った」「言わない」を繰り返していたのですが、この頃はそのようなことはどうでもよくなって、お互い、聞いていなかったのか、忘れたのかの境目もなくなりつつありますが、大切なことだと困ることも出てきます。

私も夫も突発性難聴を患い、夫は右耳が全然聞こえないといいますが、私は右耳が遠くはなっていますが聞こえにくい程度です。

そのような状態で話しているのですから、聞いていなかったのか、聞こえなかったのかの区別もつきにくくなっています。

結局大切なことは何度も念を押し、後は適当にせざるを得ません。

お互いに認知症の介護問題を抱え込まないように気を付けなければならないと思っています。

適当が普通になるとお互い自分の好きなことに精を出すことになり、楽に生きることができるようになりました。

できないことが多くなってくると好きなことだけして嫌いなことは断ることも上手にできるようになってきます。

若いときは生きがい探しをしたり、生きている意味のようなものを求めたり、人間関係に悩んだりと神経が尖っていたような気がします。

老人力が身につけば今現在が大切であって、ほかのことはどうでもよくなってきているとの思いも多くなりましたが、そのようにうまくいかないこともあるのが生きているということかも知れません。

前向きに老人力をパワーとしてとらえて生きることを楽しみ、老人性うつ病や認知症にならない生き方ができたらと、老人性うつ病と認知症で母を見送った私は思っています。

とりあえず、身の回りを整理して今現在を生きることに力を注ぐことができるようにと考えています。

若いときのように「あれも、これも」と思わなくなった分だけ気が楽で、忘れることができるようになった分、いろいろと深く考えることができるようになった気がしています。

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