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『海』小川洋子著ー短編集

2001年から2006年にかけた書いた7作の短編集『海』は2006年10月に発行されたので、もう20年も前の作品です。

数ページのものから少し長いものまであり、著者らしい感性が感じられる作品ばかりです。

誰もが心に持っていながらほとんど気ないないまま過ごしているような心のひだを拾い上げ、読者の心に迫ってくる作者の力量が短篇集の中にちりばめられています。

『海』短篇集のあらすじと感想

立場も年齢も異なる人とのふとした出会いから、心をが触れあうひとときをさりげなく描きながら、読者に感動を与えてくれる短篇集です。

そのどれもが個性的な主人公であったり、子供であったりしますが、年齢を超えて心が通じ合う物語は、人間の不思議さを垣間見せてくれます。

海のあらすじ

泉さんの実家に結婚の申し込みにいく途中、泉さんがローカルバスに酔ってしまいかなり遅れたので、着いたときには泉さんの家族が全員家の前で出迎えてくれました。

泉さんは酔ったために口数が少なかったのですが、両親、祖母、弟に歓待を受け、泉さんが小さな弟と呼んでいた、背の高いがっしりとした弟の部屋で寝ることになります。

弟が楽器奏者であると言ったのに、部屋には音楽に関わるものは何も見当たりません。架空の楽器である「鳴鱗琴」という楽器の奏者だと言うことです。

「鳴鱗琴」の奏者は世の中で僕ひとりだといいます。

演奏を聴きたいというと、海からの風が吹かないと音が出ないと言いますが、僕が聞いてみたいというと。

小さな弟は胸の前に両腕を持ち上げ、頬を膨らませ、唇をすぼめた。そうしてから腕の中の暗闇に、そっと息を吹き込んだ。

口笛とも違う、歌声とも違う、かすかだけど揺るぎない響きが聞こえてきた。それは海の底から長い時間を経て、ようやくたどり着いたという安堵と、さらに遠くへ旅だってゆこうとする果てのなさの、両方を合せ持っていた。

彼の唇は、僕の愛する泉さんの唇とそっくり同じ唇をしていたという表現がとても素敵だと思いました。

僕は弟が眠るのを確かめて、「鳴鱗琴」の箱を胸に引き寄せてじっとしていて、そのまま元に戻します。

風薫るウィーンの旅六日間

家庭教師のアルバイトをしてお金を貯め、二十歳の誕生記念に申し込んだフリープランタイプのウィーンの旅だったが、同室となった琴子さんの道案内をする羽目になり、養老院の付属病院で死の床についている琴子さんの昔の恋人に会いに行くことになってしまいます。

病室に案内されると、ベッドは十六台あり、かなり末期的な人々専用の病室で、眠っているのか意識がないのかも分からないような状態の人ばかりでした。

誰が誰か見分けがつかないので、ヨハンさんを名前を頼りに探すと、琴子さんが名札を見つけました。

琴子さんが話しかけても反応がありません。私がキスをするように言うと恥ずかしがっていた琴子さんがキスをしても反応がありません。

次の日も、次の日も琴子さんに付き添って病院に行かざるを得なくなり、琴子さんが手を握ったり、ガーゼで口を湿らせたりしているのに付き添うことになります。

ヨハンさんが亡くなったのは、帰る日の前日でした。

空になったベッドの名札を手に取ってみると、「ジョシュア」と書いてあり、隣のベッドをみると「ヨハン」さんの名札が下がっていました。

ヨハンさんも見分けがつかないくらい老い衰えていたが、まだ死んではいませんでした。

バタフライ和文タイプ事務所

大学のすぐ近くにあるバタフライ和文タイプ事務所には、医学部の大学院生が学会発表用の原稿をもって訪ねてきます。

タイピストとして勤め始めた私が活字が欠けてしまった時、三階の倉庫に活字監理人が、活字に埋もれて一人で活字を管理しているのを知りました。

この物語は、そこでの顔の見えない活字管理人との会話が中心になっていますが、活字と会話からエロチックな描写が際立ちます。

性的な活字から想像を膨らませるような活字監理人との会話は、大人の女性ならではの描写なのだと思いました。

銀色のかぎ針

岡山駅から出発したマインライナーが動き出すとまもなく、向かいに座った老婦人は魔法のような早さで編み物を始めるのをみて、祖母が家族のためにいろいろなものを編んでいたのを思い出します。

毛糸で編んだものはほどいていろいろなものに生まれ変わります。

私もきれいな模様を描きながら編んでいる祖母に教えてもらったがうまく行かなかったことなどを思い出します。

鷲羽山のトンネルを抜け、瀨戸大橋が見え、海が広がると皆が窓に顔を寄せて小さな感嘆しているなか、老婦人の手元のかぎ針が海に反射する日差しを受けてキラキラ光っているのが印象的です。

夫人に声を掛けられて私は「祖母の13回忌の法要に」と答えます。

缶入りドロップ

わずか2ページほどの短編ですが、幼稚園バスの運転手になった60歳代の男性と幼稚園児のほのかなやりとりが書かれています。

子供たちが泣いたときに、好きなドロップを出してあげるために彼は数個のドロップを買い、中身を分けてポケってに入れておき、子供が望むドロップを手品のように出したあげるのです。

ひよこトラック

男は町に一つだけあるホテルのドアマンをしていて定年間近でした。

それまで住んでいたアパートで諍いがあり追い出されたため、少し遠かったが一軒家の二階に下宿することになりました。

そこには太った未亡人と六歳の一言も話さない孫娘が住んでいました。

その孫娘が男に蝉の抜け殻をくれ、その後いろいろな抜け殻をくれますが、シマヘビの抜け殻もありました。

その後針箱と卵を黙って持ってきたのをみて、男は針で穴を開け、嫌いな生卵を吸い出し抜け殻にしてあげました。

家の前のガタガタ道をひよこトラックが走ってくるのを三度目にみたとき、トラックは横転して、ひよこが飛び出していました。

運転手がけがをしているようなので、介抱してしながら目を上げると、少女が恐怖に立ちすくんでいるひよこを胸に抱き渦を巻いたひよこたちを誘導していました。

「駄目よ。そっちに行っては。車がきたら跳ねられてしまう。この木陰に集まって。怖がらなくてもいいのよ。すぐに助けが来るから、なんの心配もいらないの」

少女が聞かせてくれたその声が本当のプレゼントだと思います。そして、その声はいつまでも男の胸の中で響いていました。

ガイド

ママは10年近く前、赤ん坊の僕を連れてパパと離婚し、町に2人しかいない公認ガイドとして働きながら生計を立てていました。

その夜も、僕は料理の下準備をしてママを待っていたのですが、帰ってきたママは集合用の旗をなくしたといって不機嫌でした。

そのためかどうか分かりませんが、僕は運悪くレストとランに自転車を突っ込み、頭にけがをして、チェーンが切れてしまいました。

そして、母の唯一の友人のシャツ屋のおばさんに頭のけがの手当をしてもらいました。

停電の日が、ママの所用時間の長い湖水地帯と川下りの仕事と重なってしまい、付いてきてほしいと言われ一緒に行くことにしました。

隣に座ったのは、杖を持った初老の紳士で、車の中で待つつもりでしたが、誘われて一緒にツアーに参加することになってしまいました。

その人は昔は詩人だったが、今は「題名屋」をやっていて、人々が語る物語に題名をつけるのが仕事だと言います。

遊覧船に乗る時間がきて、ママは旗代わりに折りたたみ傘を振っているのが見え、乗り場は混雑していました。

船に乗り、ママが人数を数えたところ、1人たりないのがわかり、それが先ほどの小父さんだと分かりました。

母は慌てていたので、「僕が次の船着き場で降り、小父さんを探してタクシーで終点まで先回りする」といい戻ると小父さんは悠然とそこで景色を眺めていました。

タクシー運転手に話し、船よりも先に付くように頼み、何度も母から聞いて覚えていたガイドの役目をしました。

男は僕にお礼をしたいと言うので、今日の僕の一日に題名をつけてほしいというと、「思い出を持たない人間はいない」と付けてくれました。

次の日、シャツ屋により、ママから稼いだお金だといい、集合旗を作ってもらうことにします。

『海』短篇集 感想

『バタフライ和文タイプ事務所』以外は年齢の異なった人との心温まる物語です。

著者の短篇は初めてでしたが、長編とは違った雰囲気を楽しむことができまました。

忘れてしまうような日常を切り取って、そこにひかりをあて、紡いでいく手法に引き寄せられる時、魂に灯りがともるのを感じました。

それがあり得ないことであっても、いつの間にか引きつけられるのは作者の手腕なのでしょう。

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