
角田光代氏の作品を読むのは初めてのような気がします。初めての本だと思いながら読んでいくと初めてではない本を読み返していることが多々あります。
この本も読み始めてなぜかいつか読んだような錯覚になっているので、どこかで解説を読んだか、作品を読んだのか思い出せませんが、初めて読んだとは思えないまま読み進みました。
知らないままに奥さんのいる人と恋愛関係になり、妊娠した希和子は相手に請われるままに中絶をするが、本当はその子を産まなかったことが悔やまれたのだろう。
不倫相手の赤ちゃんを見るだけのつもりで入ったその家から、赤ちゃんを連れだしてしまいました。
その逃亡の様子を書いたのが、この小説です。
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八日目の蝉とは余計に生きたために見ることになった風景
0章は赤ちゃんを連れだすまで、1章は赤ちゃんを育てながらの逃亡の3年7ヶ月日々を2章は成長し、大学生になった薫こと秋山恵理菜の私生活と誘拐犯の野々宮希和子のことが交互に書かれています。
1章あらすじ
赤ちゃんを見るだけのつもりだったが、希和子はいつの間にか抱っこして出てきてしましまいました。自分が生もうとした赤ちゃんの名前にと考えていた薫という名前を付けて、借りていたアパートを引っ越し友人の家に数日いた後に名古屋に行き、立ち退きを迫られていた民家に居候し、あやしい集団宗教のようなエンジェルホームに身を寄せて暮らします。
役所の指導が入いることを知り、逃げようとすると一緒にその施設に入った久美が実家の小豆島の家の住所を書いたものをくれたので、小豆島に行くことにし、宮田京子という名前で久美の実家のそうめん屋さんで働き始めます。
赤ちゃんだった薫は3歳半に成長して本当の親子のように暮らしていましたが、こころはいつ逮捕されて薫と引き離されるか穏やかではありません。
罪深い心とは裏腹に子供の成長を見つめながら、子供と暮らすためにはどんな困難も引き受けることをいとわないくらいの強さは子供を育てたことのある人には納得できるものかもしれません。
サスペンスのような逃亡劇を鮮やかなタッチで書くストリーを読みながら、いつまでも逃げおおせるのではないかと思わされていましたが、祭りの写真に写された写真が入選し、大きく新聞に載ってしまいます。
それを見た、不倫相手で薫の父親の秋山丈博が警察に届けたようで、警察の手が回ってしまいます。感づいた希和子は逃げようとフェリー乗り場についたところを逮捕され、薫と離されてしまいます。
2章あらすじ
大学生になった秋山恵理菜は、親の反対を押し切って家を出てアパート住まいをしながら大学に通っていますが、最初にアルバイトをしていた時、塾の講師をしていた岸田さんと出会い恋愛関係になってしまいました。
自分を誘拐した犯人のように妻子ある人と恋愛関係になったことに自己嫌悪を感じながらも別れられないまま、その人と同じように妊娠してしまうのです。
そして、その人と同じような罪を負わないためにも子供を産むことに決めます。それを両親に告げた時に母親には気が狂ったように攻められました。
父も母も恵理菜もその事件から逃避していて、良い関係を築けないままの時間を過ごしていたのです。起こってしまったことは時間が過ぎても、元どうりになることはないのでしょう。
薫だったころに自然たっぷりの穏やかな島で友達と一緒に、蝉の殻を並べて遊んでいた時、蝉は7年間土に潜っていて出てきて7日目で死ぬと教えられました。
この物語の底に流れているのは、7日目に死ねずに8日目を生きた蝉になぞらえて、家に戻った後の時間を生きているのは、その後の恵理菜であり母であり、父であること、そして誘拐犯である希和子であることが底辺に流れています。
母として慕っていた人が誘拐犯として捕まり、多くの取材を受けて、色眼鏡で見られて引っ越しをし、学校でもいじめにあい普通ではない育ち方をしたことで、家族の中でも社会の中で孤立することになります。その事件の大方のことは図書館で読んで知っていましたが、そのことが父にも母にもなじめない距離を作っていましたが、その過去は父母にも同じように錘になっていました。
そんなある日、希和子が赤ちゃんの薫を連れて逃亡中に入っていたエンジェルホーム一緒だったという10歳くらい年上の千草が訪ねてきて、ホームのことを調べて書いているという。
千草も女性だけのホームで育ったことに傷ついており、本当のことを知りたいと調べていて、恵理菜に会いに来たようです。やはり8日目の蝉のような違和感のある生き方をしているようです。
恵理菜は妊娠したかもしれないことを最初に打ち明けたのが千草であり、安定期になったらホームと小豆島を訪ねようということになりました。
エンジェルホームを塀の外から見て、女性だけのホームで成長して別世界で暮らすようになった千草もまた自分と同じなのだと思うことが出来ました。
その晩、ホテルで千草が恵理菜のおなかに顔を埋めて恵理菜か赤ちゃんかわからない心音を聞いた時に、8日目の蝉は、他の人が見られないことを見られるかもしれないのだから目をつぶらないで見なくてはいけないと言う。それを聞いた時、誘拐犯であった野々宮希和子も父や母も八日目を懸命に生きているのだと思うことが出来ました。
次の朝、東京に帰ろうと思ていた気持ちを千草に押されて小豆島に向かいますが、そこでおぼろげに知っている風景と自分を知っている人たちと会うのがとても怖くなってしまっていました。
新幹線に乗りタクシーで岡山港に向かいフェリー乗り場がら船で向かい、小豆島の穏やかな海と風景を目にした時、この風景を子供に見せてあげたかったのだと思います。
悪い人という烙印を押されて、憎むほかなかった希和子のもとに何度帰りたいと思っただろうとその人の愛を感じ、父も母も誰も憎んでいないことを知るのでした。
刑務所から出てきた希和子は小豆島にと向かったのだが、フェリーに乗ることが出来ず、近辺で働きながら、フェリーの待合室で行き来する客を眺め、薫の面影を追うような日々を送っていて、その日もお互いに知らないままにフェリーの待合室ですれ違っていたのでした。
罪とは何だろうと思うようなタッチで書かれた美しい愛情の物語ですが、あらゆる人間の生き方は闇と光を織り交ぜた蝉のようなものかもしれないと思いました。