絨毛上皮腫は発病すると血行性転移のため転移が早く特に肺への転移が多いと聞いていまたので、居てもたってもいられず退院した午後に国立病院に行きましたが、午後は診察がないとのことで帰ってきて、次の日に診察を受けました。
入院することは分かっていたので、入院の準備をしていきましたが、即入院になりました。
化学療法は先の病院で早期に行ってくれていたので、HCG の値は平常値まで下がっていました。
担当医から、「赤ちゃんが欲しいですか」と聞かれたので、「ほしい」というと子宮摘出手術はしない方向で治療が勧められ、化学療法で入院治療が行われました。
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科学療法ではよくならず、子宮摘出手術を受ける
同じ病気の方も数人入院していましたが、薬の副作用で口内炎がひどくなり注射にしているという方もいましたが、私は何の副作用も出ませんでした。
しかし、1ヶ月以上過ぎても出血は止まりませんでした。
そんなことから、子宮摘出の手術を受けることになりましたが、これは前に見ていただいた産婦人科のお医者さんもそうするほかはないと言う事でしたので仕方がなかったのかもしれません。
子供が一人いましたが、もう一人ほしかった私にはとても悲しいことでした。
同じ日に子宮筋腫で手術を受けた人は40歳を過ぎていましたが、子供が産めなくなると思うと眠れない日が続いたと言っていたので、30歳にもならなかった私にとっては、たとえようもなく悲しく、一人で涙を流していました。
長女が2歳を迎えるころに、子宮摘出と卵巣を片方摘出する手術を受けました。
HCG の値は平常値が続いていましたが、子宮の状態はもとに戻ることはなかったようでした。
子宮と卵巣を摘出すれば、後は検査を1年間続けて異常がなければ、治癒と言う事になると言われ、手術後は抜糸して間もなく退院できました。
産婦人科医がもっと早く病気を見つけてくれていたら、私は普通の体に戻れたのかもしれませんが、病気を見つけることが出来ない産婦人科に行ったのは自分なのですから仕方がありません。
その後は、あまり治らないときには転院をすること、手術をするときは経験豊かな医師を探すことにしていますが、探す間もなく緊急手術になってしまった網膜剥離の手術では、信頼が出来ないお医者さんになってしまったために手術後に転院しましたら、バックル感染になっていたという事もありました。
医者も人間ですから、間違いがあるのは仕方がないと思いながらも、一つしかない命は自分で守らなければならないとつくづく思わされた出来事でした。