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『ことり』小川洋子著

小川洋子さんの優しいまなざしと独特の感性に惹かれて、『博士の愛した数式』『猫を抱いて象と泳ぐ』に次ぐ3冊目『ことり』を読みました。

2012年11月発売なので発売順に読んだことになります。

『ことり』はことり小父さんの一生が静かに流れていく物語で、このような設定でここまで生きることの意味を問うことのできる作家は初めて出会ったように感じました。

『ことり』のあらすじと感想

社会の片隅で、ことりのさえずりに耳を傾けながらひっそりと生きる兄弟の一生は決して淋しくもなく、優しさに満ちています。

生きることの幸せを優しいタッチで描く著者は、このような幸せな生き方もあると言うことを教えてくれます。

コロナ禍で静かに生きざるを得ない子供たち、そして大人の方にもおすすめしたいと思いながら読みいました。

『ことり』のあらすじ

ことりの小父さんが孤独死ししているのを発見したのは、新聞の集金人でした。

死後数日過ぎていて、ことりの籠をを抱えていてことりは元気でしたが、何気なく籠の戸を警察官が開けるときれいな声で鳴きながら空に飛び立っていきました。

ことりの小父さんと呼ばれるようになったのは、お兄さんがが亡くなった後にいつもお兄さんときていた幼稚園の鳥小屋を掃除していたときに、園児たちにことりの小父さんと呼ばれていたことによります。

お兄さんはことりの言葉が分かるくらい小鳥たちを理解していました。

幼稚園が孤児園だったころから、小父さんはお兄さんに連れられて、幼稚園の鳥小屋でお兄さんに鳥についての話を誰にも分からない言葉で教わりました。

7つ年上のお兄さんが11歳を過ぎたころから自分が編み出した言葉で話し始めたので、小父さんが物心ついたころにはすでにその言葉で話していました。その言葉は誰にも通じなかったのですが、弟の小父さんだけは理解できていました。

母は心配して病院で入院検査、精神分析などあらゆる手立てをしたが、元の言葉は戻りませんでした。母はイライラしたり、泣いたりして投げやりにしたりせず、生涯優しく接し続けました。

一つの希望がさしたのは弟には兄の言葉が分かっていると気づいたときでした。

父は大学関係の職場で労働法を専門としていたが、息子に対して恐れているようで、学術文献を取寄せたり専門教育を受けた家庭教師を見つけてきたりしましたが、効果はありませんでした。

弟の小父さんには普通に聞き取れる言葉だった兄が亡くなって、録音しておかなかったことが心残りでしたが、そんなことを考える必要なないくらい叔父さんには理解できたのです。

聞くことと話すことは別で、それを再現して教えることは難しかったのですが、兄の言葉は小鳥のさえずりに一番近いと小父さんは思いました。

お兄さんが出かけるのは、水曜日に青空商店に棒つきキャンディーの ”ポーポー” を買いにに行くときだけでした。 ”ポーポー” だけは、 ”ポーポー” であり続けました。

”ポーポー” を愛した理由は、メーカーのシンボルマークがことりだったからだと思われました。

キャンディーの紙が沢山たまったとき、お兄さんはそれをきれいにに貼り合わせ、ことりのブローチをつくって母の誕生日にプレゼントしました。

母の胸には黄色のことりのブローチがいつもついていたが、これが母親の最後の誕生日となり、難しい血液の病気で母親は死んでしまい、その9年後定年退職を目前に父親がゼミの学生や助手たちと民宿で合宿中に海で溺れて死んでしまいました。

その時、お兄さんは29歳、小父さんは22歳になっていました。

小父さんは家から自転車で10分くらいのところにある金属加工会社の監理人として働きました。

そこは地元の素封家が所有していた別荘で、会社が買い取り、接待用に回収したもので、斜面になった日当たりのよい庭はバラ園になっていました。

小父さんお仕事はいつゲストがきても良いように、そこをベストの状態に保っておくことでした。いろいろな業者連絡したり、発注伝票を書いたりするだけで動き回るのは外部の人でした。

週末の休みは掃除をしたり料理をしたり、図書館に行くくらいで、夜はお兄さんとラジオを聞いて同じような日々が過ぎていきました。

庭にはリンゴと餌箱を置いたので、いろいろな小鳥がきて囀っていました。

小父さんはついて行けないが、水曜日には青空薬局に衣替えした後もおいてあるポーポーをお兄さんは買いに行きました。

そして、その包み紙がたまるとことりがつくられ、母親の写真の前に飾られて増えていきました。

有給休暇がたまったので旅行に行こうとお兄さんに話したとき、あまり乗り気ではないようでしたが、プランを聞いて、旅行バッグに様々なものを詰め込み、ボストンバッグ3つにもなってしまい、重い荷物を提げて出かけたのですが、バスにも乗らずにお兄さんは帰ると言って帰ってきてしまいました。

それ以後、年に1、2度旅行の予定を立て、荷物を詰めるだけで旅行をした気分になりそれだけで幸せでした。

お兄さんはひとりでも来ていたようですが、土曜日に小父さんが仕事を終わった後にフェンス越しに、幼稚園の鳥小屋のことりを見に行くと、お兄さんがいろいろなことを教えてくれました。

お兄さんが行くと、小鳥たちはとてもきれいな声でさえずりました。「ことりの歌は全部、愛の歌だ」と教えてくれました。

お兄さんは中年を過ぎたころから体の不調を訴えるようになり、ある日、幼稚園の裏門の前で倒れていたのを幼稚園の園長先生が見つけて、救急車を呼んでくれたのですが心臓発作で亡くなっていたと言うことでした。

小鳥たちが非常事態を知らせようとしきりに鳴いていたと言うことでした。

お兄さんが体を預けてことりを見ていたフェンスのへこみはそのまま残っていて、小父さんは時々そこに体を滑り込ませていたが、ある日園長先生に声を掛けられ、鳥小屋掃除を申し出たのでした。

仕事と、鳥小屋掃除のほかに図書館に行くような生活が続いていたが、鳥の本ばかり借りていた小父さんの様子を見ていたようなカウンターの中の司書の女の子に声を掛けられ、淡い恋のような心を抱き、ゲストハウスに案内したり、図書館で話すのを楽しみにしていたが、あるときから彼女は辞めてしまい会うこともなくなってしまいます。

小父さんは、50代半ばを過ぎたころから、年々頭痛が酷くなり、痛み止めがなくては仕事に行けないような日が多くなり、青空薬局で鎮痛剤と鎮痛作用のある湿布買うことが多くなっていました。

そんな中、小さな女の子が誘拐され、河原敷公園の草むらでひとりで泣いていたところを発見されたということから警察が捜査していると言うニュースを読みました。

その後、警察官ふたりが事情を聞きにに訪ねてきました。ゲストハウスに行く前に幼稚園に行くと鍵がかかっていて入れなくなっていました。

新しい園長が出てきて、園以外の人が入ると不安を感じる保護者もいるといわれ、南京錠は自分を閉め出すためのものだと言うことを悟りました。

小父さんは自分が幼児連れ去り事件に関わっていると噂されていることに少しずつ気づき始めていました。

ゲストハウスは、幼稚園のことりが見えるところを通って行くと近いのだが、遠回りしていくようになりました。

しかしどうしても見てみたいときは早朝に寄りましたが、鳥小屋は酷い状態になって、ついに取り壊されていました。

ゲストハウスは定年後も嘱託として働いていたが、急遽、会社がゲストハウスを手放すことになり、、それを機に退職することになりました。会社側は事務的に更新をしない旨を伝えてきたが、子供の連れ去りと関係があるのかもしれないと思いました。

幼児連れ去り事件の犯人が見つかったと新聞に載ったのは、みんながその事件を忘れたころでした。

仕事を辞めた小父さんは頭痛に悩まされる日が多くなり、生きる世界が狭くなり図書館、役所、河原敷と青空薬局に薬を買いに行くくらいでした。

珍しく頭がすっきりした春の盛りの朝、バードテーブルからは小鳥のたちの気配が聞こえていました。その時何か異質な音が聞こえたので、余計な物音をさせないように南のカーテンを開けるとサンダルのへこんだところにメジロの幼鳥がいました。窓にぶつかり落ちたようでした。

段ボールの中に毛布を敷き動物病院に連れて行くと、左の翼を骨折していたようで、獣医師は翼を胴体ごと巻き付けてくれ、脳しんとうを起こしたようなので、しばらく安静にして消化のよいエサをやるようにと言われました。

帰り道、青空薬局により、ミルクとスポイトを買って急いで帰り、粟ををすり鉢ですりミルクを振りかけ、お湯で溶かしてスポイトで口に入れるのですがかなり難しくメジロの子はイライラしました。

それからは、メジロが最優先の生活が続き、メジロも日々に快復し、ある晴れた朝、メジロは求愛の鳴き方をしようとしているのだと小父さんは気付きました。

あいにく庭にはメジロがいなかったのでお兄さんに教わったメジロの鳴き方で鳴いて見せました。メジロは最初はなかなかできなかったのですが、諦めずに一生懸命鳴き、だんだん上手になっていきました。

骨折のテープが外せる日になり、獣医さんに放してもよいかと尋ねると少し力がついてからの方がよいとのことで、鳥かごを買ってきてその中で飼うことになりました。

メジロは日に日に美しさを増した声でさえずるようになりました。

その声を聞きつけた男が不意に声を掛けてきて、その泣き声に惚れ、ゆずってほしいといいます。

そしてメジロの泣き合わせ会に誘われ、行ったのですがそのむごさにその会場を逃げ出してきて、小父さんはメジロの籠を抱いたまま2度と目覚めない眠りにと落ちていきました。

『ことり』感想

ひっそりとこの世の片隅で生きているような家族を描いていますが、決して寂しさは感じられず、ほっこりとした暖かさが伝わってきます。

この兄弟の母親のように子育てができたら、現在のようなギスギスした社会にはならないような気がしました。

誰もが理解できないような言葉を話すようになった息子に対して、心配はするが、決して無理強いすることなく温かく守ることができるのはとても素敵なことです。

お兄さんが弟である小父さんにしか通じない言葉を話し始めたのは、小鳥の世界に入ってしまったからなのでしょうか。

お兄さんが亡くなってから、小鳥を通じてお兄さんと話をする小父さんは、ほっこりとした恋をしたり、小鳥と共に楽しく暮らせるようになったのですが、子供たちとのつながりを持ったことから子供を誘拐したような疑いをかけられてしまうように、現実の世界は叔父さんには厳しいものだったのかもしれません。

小鳥を抱いてひっそりと亡くなった小父さんを小鳥はお兄さんところに連れて行ってくれたのかもしれません。

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