ノーベル文学賞の候補になった三島由紀夫は、日本だけではなく海外にも認められた作家です。
幼少から詩や俳句などを書き、国内外の書物を読んで16歳には小説が掲載されるようになります。
45歳で自刃するまで多くの小説、劇曲、随筆を書き数々の受賞をしています。
『豊饒の海』は三島由紀夫の最後の長編大作で、「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の4巻で構成されます。
それは、輪廻転生をテーマにした壮大な物語です。
『豊饒の海(1)』「春の雪」あらすじと感想
三島由紀夫の小説は「潮騒」を若いころに読んだだけでなぜか遠ざけてきたのですが、豊穣の海を読んで虜になってしまいました。
優雅な文章と奥深い思索はとても魅力的で、今まで読まなかったことを悔いるものでした。
この小説は時代が明治から大正へと変わっていくなか、貴族社会で悩みながら生きた若者が恋を通して破滅へと向かって行く様を描いています。
『豊饒の海(1)』「春の雪」あらすじ
裕福な松枝侯爵家の嫡男として生まれた清顕を、父は自分の家系に欠けていた雅に憧れ公家の綾倉家に預けたのです。
綾倉家は和歌と蹴鞠の家と知られ、2つ年上の聡子にかわいがられながら、共に和歌などを学び美しい少年となって18歳になっていました。
孤立していく清彰は学習院で本多繁邦とだけ親しく付き合いました。
美しく育った聡子は清彰に思いを寄せていますが、清彰はからかわれていると感じ素っ気なくします。
お互いに誤解をもったまま、聡子は松枝侯爵家の取り持ちによって桐院宮治典王殿下との結婚が決まったのです。
清彰はその時になって聡子を愛していること知り蓼科の手引きで逢瀬を重ねることになります。
燃え上がる二人の逢瀬は誰にも止めることができない禁断の恋でしたが、本多はそんな二人を暖かく守ります。
妊娠してしまった聡子を途方に暮れて見守る綾倉家に、松枝侯爵は大阪で処置をすることにして旅の途中を心配して大阪から森博士を伴ったのです。
処置が終わり静養した後、聡子は母と月修寺にと向かいます。
母が起きたとき、聡子は髪を下ろした後で、門跡から月修寺の御附弟に迎え入れたいとのことでした。
説得をしようとして綾倉伯爵夫妻とと松枝夫人が月修寺に行ったときには、聡子は剃髪をしていたのです。
清彰は見張られ、聡子からの手紙も来ないままに無気力に日が過ぎていったが思いあまって本多からお金を借り、家出をして大阪に宿を取り、月修寺に行ったのですが聡子に会うことはできませんでした。
何度も何度も訪ねても会うことはかなわず、風邪をこじらせて、本多のところに電報を打ちます。本多が聡子に会いに行っても会うことはかないませんでした。
病が重くなり、寝台車で帰る車中に夢日記を本多にあげてほしいと母への書き置きをして、帰った2日後に20歳で亡くなります。
車中での苦しみの中で本多に「今夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言った言葉は本多の生涯を左右することになります。
豊饒の海(1)』「春の雪」感想
この小説の中からも、三島は天皇を頂点とした国家をよしとしたのだろうと思います。
自決した前年、東大全共闘討論会に出席した時の映像の映画を見たが、考え方の異なる若者達と言葉を尽くす三島の態度は立派としか言いようがありませんでした。
右翼思想も左翼思想も、真剣に国家について考えた当時のことは時代の流れの中で現代に生きる私たちも真剣に考えなければならないと思います。
それは、現在の政治、国の行方を考える時、何かが見えてくるのかもしれません。
そしてその中から現在という時代を検証することは、今を生きている私たちが思い見ることなのかもしれません。
今の時代に三島由紀夫という人間が生きていたら、どのように思うのか知りたいと思います。