東京新聞社社会部記者の望月衣塑子さんが2014年4月第2次安倍内閣の下で事実状解禁になった武器輸出の動きを丁寧な取材のもとに書いたのがこの本です。
2016年7月10日に初版発行されていたようですが、私はモリカケ問題で、臆することなく菅官房長官に質問をしていた望月さんがひときわ目立ったことから多くの人に知られるようになったころ(2017年)、『武器輸出と日本企業』という本を書いていたことを知りました。
一定の条件の下で武器輸出が可能となる「防衛装備移転三原則」が閣議決定されたことを受けて日本は武器輸出国となっていきます。
日本の武器が戦争になぜ加担するのか、戦争はなぜやめられないかをこの本から考えたいと思います。
デュアルユース(軍事用・民生用双方にも用いることの出来る技術)という考えで開発をする研究者
日本は世界の唯一の核被爆国であり、九条を守るために、安倍政権が「防衛装備移転三原則」を閣議決定するまでは原則武器輸出は禁止されていました。しかし武器輸出が解禁されて、防衛相の外局に防衛装備庁2015年10月1日新たに発足し、武器の研究開発から設計、量産、調達、輸出などを担うことになりました。
武器産業にかかわる企業は、利益からも良心からも迷いながらの出発となったようで、作者の取材も思うように進まなかったようですが、少しづつ重たい口を開いてくれるようになったとのことです。第二次世界大戦での苦悩は多くの人々の心にわだかまりとなって残っているでしょうし、戦争に加担するもの造りを喜んでする人はいないのでしょう。
デュアルユースという考え方の元、東大をはじめ研究資金が欲しい大学が軍需研究を容認するに至り、アメリカのロスアンゼルスで開催されてロボコンに日本チームも参加しました。
そのような中、防衛省は2015年度から、民間や大学の持つ最先端の科学技術を防衛整備品に活用することを目的とする「安全保障技術推進制度」を立ち上げます。大学や研究機関から応募を募り、研究が採択されれば、年間最大3000万円の資金を3年にわたって受けられるというものです。
大学、JKXA(宇宙航空研究開発機構)、JAMSTEC(海洋研究開発機構)、理化学研究所(理研)などかなりの機関が、防衛装備品の研究には違和感を覚えるもののデュアルユースという考えの元研究費用の魅力に勝てず応募しているようです。
私は第2次世界大戦のとき、東大や京大が武器開発に力を貸した苦い経験を思い出さずにはいられませんでした。
現在世界の戦闘地区では開発が進んだドローンや無人戦闘機などで民間人が犠牲になっている事例が多くあると言います。牧草の刈り入れをしていた12歳のパキスタン人ナビラ・レフマンさんは、無人攻撃機による誤爆で祖母を失い、自身も右手を負傷したと言います。
このような無人戦闘機で命を落としている人は後を絶たないようです。日本の自衛隊も無人航空機、遠隔操縦観測システム、無人偵察機システムなどを利用しているというが、現在はもっと多くの無人機を利用しているかもしれないとこのようなことに無知な私は推測しています。
技術の開発は早い。この先多くの戦闘機が無人化していくことと思うが、誤爆による民間人の被害も後を絶たないようです。安倍総理は憲法を改正して戦争のできる国にするのが悲願のようですが、私たち国民はなぜ戦争をしなければいけないのかを真剣に考える必要があると同時に、日本が開発した防衛装備品が、紛争地にと向かい人の命を奪いかねないことを真剣に考えなければなりません。
アメリカなどで無人戦闘機を操縦して人の命を奪っている方の中には、精神に異常をきたしている方も多いといいます。第2次世界大戦の規模をはるかに超える戦闘機で人の命を奪うことなど到底許されることではありません。
現在も私たちの見えないところで行われているし、日本の自衛隊も戦闘に巻き込まれたというような日報も出てきていることを考えた時に、他人ごとではない現実が見えてきます。
科学技術は平和に利用してほしい
電気製品をはじめ私たちの生活の中でも、遠隔操作ができるような製品が数多くあり生活を豊かにしてくれえいます。しかし反面それらが戦闘機と化した時には人の命を奪うことになってしまうのです。
遠隔操作とはいえ、人の命を奪うことに加担しなければならない人は、被害者と同じように精神の異常をきたす人も増えるのです。
政治家は、そのようなことを真剣に考えて2度と国民の幸せを奪うことがあってはいけないと思います。現在戦争の悲惨者を知っている世代は数少なくなっています。
そのような時代だからこそ、研究者も第2次世界大戦で戦争のために人々に残虐な行為をした鉄を度と踏まないでほしいと切に願っています。
この本は現在進行形の日本の武器輸出を書いているもので、それから2年が過ぎています。アメリカから多額の武器購入などのニュースも聞く現在にどのような進行形で進んでいるのだろうと思いをもって読み終えました。