1933年週刊文春から独立し作家に転身し、政界、財界、芸能界などの多数のルポルタージュや小説を執筆する作家、大下英二が立憲民主党を立ち上げた枝野幸男代表の少年時代から政治に寄せた思い、1993年日本新党から立候補して当選、総選挙後、非自民・非共産連立の細川内閣が誕生して、与党としての出発した当時からの枝野の取材を交えながら政治家として真価を書いたものがこの本です。
その時代は政権交代が続き、今から見れば政治の激動の時代でしたが、長期政権となった安倍政権のの時代に比べてとても良い時代だったと思い起してながらこの本を読みました。
枝野立つ
安倍政権が進めようとしている憲法改正、半年以上続くモリカケ問題、共謀罪法を強行採決して通常国会の会期が終了し、都議選で自民党はも民進党も大敗し、小池知事率いる都民ファーストが議席を大幅に増やしました。
自民党の大敗にもかかわれず、民進党が受け皿にもなれないことで、民進党内では執行部の責任問題が大きくなり、野田幹事長が辞任、蓮舫代表も辞任の決断をすることになり民進党も代表選が行われることになりました。
民主党代表選から立憲民主党大躍進の衆議院選
2017年2月森友問題が取り上げられてから、新聞、テレビなどでかなり注意深く見るようになりました。それまでは日曜討論やテレビなどでおおざっぱな政治ニュースを見るくらいでそれほど関心がある方ではありませんでした。
それらを丹念に見ることで、政権与党の安倍政権がかなり強引にものごとを決めていく様子と誰が見てもおかしいと思えるような答弁をしていること、官僚までが信じられないような答弁を繰り返しています。
その後、加計問題までもが追及されるようになり、ますます虚偽答弁と思われるような答弁になっていきます。追及する方は私にはまっとうに見えるのですが、メディアなどは追及に問題があるというようなことを書き、民進党の支持は下降するばかりです。
今まで自宅では2紙位しか読んだことがなかったのですが、新聞によって書いてあることがかなり違っています。そんなことから、デジタル新聞を2紙契約し、ほかは数記事読めるように会員登録をして読み漁りました。
そのような中で、自民党ばかりでなく、民進党も支持したいと思えるような政党でないことが分かってきました。そんな時蓮舫が代表を辞任、代表戦が行われることになります。枝野幸男と前川誠二との一騎討ちの末、前原が代表に就任、そのどさくさまぎれの時安倍総理は衆議院を解散に打って出ます。
前原代表が、小池が立ち上げた希望の党に民進党が全員合流を打ち出したが、全員合流できるほど甘いものではなく、排除問題が上がってきました。
そのようなことから、「枝野立て」の声に枝野と長妻たちが立憲民主党立ち上げ、15議席から55議席をとれたことは奇跡と感じても良い数字でした。
自公与党政権委は3分の2以上を許してしまいましたが、希望の党が伸びない中で野党が議席を減らさないですんだことはとても嬉しいことでした。誰もが出来たばかりの立憲民主党が野党第一党になるとは思っていなかったでしょう。
そのような現状を、新聞では知りえない枝野をめぐる議員たちとの苦悩を丁寧に取材をして取り上げていることで、この本は政治家の内面の苦悩や決断など様々なことを伝えていて興味深く読むことが出来ました。
人間関係、根回し、今までに培ってきた信頼なくして、このような結果は出ないことが分かりましたが、その裏で民進党の分断が起きてしまったことは否めません。しかし、分断前の民進党を見ていても、私たち国民の素人にさえ、うまくいかないことは目に見えていたので、私をはじめ投票する党がなかった国民にとっては、立憲民主党は多くの方の受け皿になったことは間違いありません。
しかし野党として大きくまとまり、安倍政権を倒すにはどのような道があるのかは、私たちにも見えてこないのが現実です。立憲民主党は立ち上がったものの、組織は弱く、お金もない状態で、時間をかけて党を大きく育てないことには、巨額のお金と組織を持つ自民党には立ちいかないのが現状なのでしょう。
枝野幸男の少年時代から民主党政権で官房長官になるまで
幸男という名前は、父方の祖父が、尊敬していた政治家「尾崎幸雄」に因んでつけた名前だといいます。そのようなことを聞いていた枝野幸男は幼いころから政治が大好きな少年だったようで、30歳前に日本新党から衆議院議員に初当選、総選挙後、非自民・非共産連立の細川内閣が誕生し、与党として政治家になります。
1994年6月、自社さ連立の村山内閣が発足、政策調査会副会長に就きます。1996年1月には橋本連立内閣が成立、薬害エイズ問題に取り組んだ菅直人をサポートします。
1996年旧民主党結成に参加し、2009年9月に鳩山由紀夫内閣が発足するまで野党として活躍することとなり、その間の様々な党役員を経験しますが、それらについては著書に詳しく書いたあります。
菅内閣では幹事長になり、改造内閣で、官房長官になり東日本大震災の対応に負われたことは有名なことでその時寝ずに対応したしたことで「枝野寝ろ」とハッシュタグが立ち、立憲民主党立ち上げの時の「枝野立て」に繋がります。
東日本大震災では省庁の情報や東電の情報が上がらず、かなり苦労したようですが、今になって東電が非を認めるということもありました。想像を絶する被害に対応が遅れたことや初めての経験で誰もが手探りの状態だったにもかかわらず、現在までその時の対応の悪さを叩かれることになってしまいます。そしてそれが立憲民主党で原発ゼロを目指すことに繋がります。
そのように枝野幸男は内閣や民主党、民進党の中枢として働き政治に精通してきました。著者は枝野のまわりの人たちも丁寧に描き、その中で枝野が果たしてきたことを書いていることから、枝野が歩んできた政治家としての激動期が分かります。
この激動期を見てきた国民が、政治の安定を願い、腐敗した安倍政権を支持していますが、この本はさらに日本を良くしようと頑張った政治家の名前が多数出てきます。この本を読んで、安倍政権の元で何をしても許されるというような風潮が出ていることは、安定政権と言いながら、努力を放棄している姿にしか見えません。
立憲民主党のさらなる闘い
立憲民主党を率いる枝野代表の政策や考え方はある程度分かるものの、安倍政権を倒し政権をとることを考えれば大変な問題を数多く抱えています。主義主張の合わない政党と一緒になっても国民は認めないでしょう。しかし、今の立憲民主党の人数ではできることが限られています。もう少し大きな大義を掲げて、野党各党を束ねてほしいと望む声がある一方で、人数だけ増やしても、まとまりのなかった民進党に戻ってしまうのではないかという危機感を抱くのは枝野代表のみでなく、国民の思いも一緒です。
希望の党も行った元民進党と参議院議員が、国民民主党をたちあげたが、支持率は1%にも満たないし、政治姿勢もどこかちぐはぐで元民進党と同じ体質のような気がします。
国見民主党には優秀な議員が多いからこそ、一丸となって安倍政権に立ち向かてほしいと思う国民の思いは置き去りにされたままの状態が続いています。いつになく、国民は政治に関心を寄せているのですが、政治家は国民の声にこたえられないという不毛を感じざるを得ません。
政治を長く見てきた大下英治氏の取材から、多くを学ぶことが出来ました。