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『経済学は悲しみを分かち合うために』神野直彦著ー人間を幸福にする経済をめざして

財政学(社会財政学)の第一人者である神野直彦氏の自伝であるが、東京大学から財政学を学んだ著者の語る自伝は財政学が多くの分野を占めながらも、生い立ちから生き方にまで及び、愛情に恵まれて研究を続けた様子がうかがえます。

そして、財政学と共に生きた著者からは、多くの財政経済学を学ぶことができ、素人の私でも生きるために必要な経済学の大切さを感じることができるのです。

それは、専門書とは違った書き方で財政学を説いていることばかりでなく、文章がとても読みやすいことにもあるようです。

1946年生まれの著者は大学のゼミなどを通して多くの人材を育て、その多くの方が日本で活躍していることに心強さを感じることができました。

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『経済学は悲しみを分かち合うために』あらすじと感想

幼少期から多くの人に愛されとても恵まれた生い立ちだったようですが、それでも生きている限り悲しみは存在し、それを分かち合うことでしか人間は幸せになれないという原点から、経済学(財政学)を学ぶことにしたようです。

また「お金で買えないものこそ大切にしなさい」と幼き頃の母の教えも、著者の原点になっていたと書いています。

美しく、聡明な奥さんと巡り会い、尊敬する佐藤進氏から教えを請い、多くの研究仲間にも恵まれ、多くの学生を受け入れて育てた神野氏は老いてもなお謙虚にこれからの人生を財政学に身を委ねることと思われます。

ただ悲しいことは、現在は新自由主義の考え方が世界にまた日本を席巻していることに少なからず、危惧を抱いているようです。

序章 自分の「生」と「思想」に向き合う

老いた母や妻の母が若く逝ったこと、師の佐藤進氏や畏敬する宇沢弘文氏の死をを通して著者の生き方と思想を説いています。

佐藤先生の後継者として、人間は「分かち合い」ながら生きていく人間観に立ち「愛とやさしさ」を財政学で語る指命があると感じることになったと書いています。

第1章 破局に向かう世界で―――経済学はいま

戦後の日本は未来を信じられた時代だったが、ケインズ福祉国家が終わり、失われた30年の時代に入り、歴史の峠に直面し誰もが未来におびえているのが現在であり、新自由主義の経済政策がイギリスからアメリカ、日本にと広がって、人件費を削り、民営化に経済は傾いていき、貧富の差が大きくなり国民生活に影響を与えるようになっています。

ポピュリズムは世界に広がり、共同体的人間関係が打ち砕かれ、社会が分断されるなかで憎悪と暴力があふれていく世界になっていることを憂い、市場経済にとどまらず非市場領域も考察の対象として包括することが必要だと考えています。

そんな時代にありながらも、家族や共同体を形成して営まれる人間の生活も加える財政社会学という方法を提唱してきた著者はそれまでの学びを総括して考えて見たいとしています。

第2章 大切なものはお金では買えない―――私の至高の原点

人間は妥協なしに生きることはできない。しかし、妥協は自己の「点」を失わない限りにおいてなされるものだと著者は言います。

著者は戦後間もない1946年、緑豊かな埼玉で2年前に亡くなった祖父の生まれ変わりとして生まれたと言われてきたという。祖父は1代で財をなしたと言うが軍需に協力することを拒んだため没落してしまったということです。

小さな時から読み聞かせをしてくれた母は、本をたくさん与えてくれた。その母の教えは「お金で買えるものには価値がない」と言うことだと書いています。それが「財政経済学」に進む道につながっていくようです。

第3章 社会を選び取る責任―――「知」と格闘するなかで

東京大学に入学して、読書三昧の生活にと溺れて行くさなか、東大紛争が起き、紛争の渦中でいかに生きるべきか苦悶することになるが、大学紛争に関わることを回避し、経済学の古典の道に迷うことなく進み、「国富論」「資本論」など玉野井義郎ゼミで学ぶことになりました。

その当時玉野井氏は「マルクス経済学と近代経済学」をまとめていたことでより多くを学べたようです。

また財政学を学ぶために加藤三郎ゼミナールにも参加することになりました。

しかし、大学紛争は過熱化し、学問をできるような常態ではなかったことで、自分の「点」は「知識人」になることを忘れまいとしながらも、日産自動車に就職することになりました。

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第4章 人が生きる場に心理を求めて―――大学を離れて生産の現場へ

日産自動車に入ると工場実習をすることになり組み立て工として働くことになりましたが、ラインで働く仕事は人間とのふれあいもない孤独な作業であり、辞めていく人が後を絶たなかったようです。

工場実習が終わると労務管理を希望しました。しかし、労務管理の対象となる工場労務実態を認識していなかったため、現場体験を希望し、半年にわたって工場労働を体験し、現場作業員の寮で寝起きをともにし現代の労働の孤独と寂しさを再認識し、労務管理の職務を遂行していくとになります。

その当時、日産自動車では大学卒の社員は、入社して2年たつと原則として全員、販売店ねセールスマンとして、出向することになっていました。しかし教えに反し購入してくれた家に何度も足を運ぶうちに購入した人の紹介により購入してくれる人が増えたことにより、トップセールスマンになったのです。

その後、重化学工業化による高度成長期が終焉を告げ自分の「点」を失うのではないかと言う不安を感じ、日産自動車を退職して研究者への道へと進むことにしました。

第5章 経済学は何をすべきか―――研究者への道

恩師の加藤三郎の「学ぶと言うことに遅いと言うことはない」という言葉に勇気づけられて大学院に入るべく必死に受験勉強をして、加藤先生の元で学ぶことになり、多くの研究者とのふれあいと財政学を学ぶ姿勢が書いてありますが、なかでも金子勝氏との出会いに私は興味を抱きました。

第5章 人間のための経済学を目指して―――学問と社会の連携へ

この時期の著者は様々な審議会に属し、税制にも関わり、様々な課税方法に心を砕くようになります。所得税が主だった税制に消費税が加わったのもこの頃のようです。

また、地方分権改革有識者会議の座長として、地方分権改革を推進する使命が与えられることにもなります。

その頃、宇沢弘文氏より、氏が主催する地域研究の研究会に参加するようにとの頼りをいただき、出会いとともに著者は宇沢先生の虜になったと書いています。宇沢先生の語りの背景にある「人間主義」とも呼ぶべき思想を信じる敬虔な信者に帰依したと書かれています。

宇沢先生との出会いにより、財政学領域を逸脱し、市場の領域だけでなく、非市場の領域も包括する総合的社会科学としての充実させていくために宇沢先生が提唱される「社会的共通資本の経済学」は導きの星となったと回顧しています。

地域研究の研究会での成果をとしてまとめたものが、2002年『地域再生の経済学』が石橋湛山賞を受賞することになり、この受賞を宇沢先生はことのほか喜んでくれたと書いています。

その後、幾たびもスウェーデンを訪れ、スウェーデンから多くを学ぶことになったようです。

終章 悲しみを分かち合うために―――経済学の使命

経済学に社会学を取り入れた功績により、2009年紫綬褒章を受賞することになります。

最終章では多くの学生を大学院で受け入れて共同研究をすることになりました。その初めての教え子は慶應義塾大学院で教授をしている井出英策氏であることが書かれています。私が先日読んだ『欲望の経済を終わらせる』の著者であることも経済学に疎い私はここで初めて知ることになります。

その後も多くの教え子に恵まれ、様々な大学で活躍したり、政治家としてかつやくしている方も多いようです。

自宅の近くに「小さな家」を建てた、「学び会う共同体」の場は、教えるものと教えられるものとの共同作業の場となっていて、その参加者は、誰もが悲しみを分かち合おうとしていると書いています。


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