
母は10日前に行ったときもずっとおなかがすいたと言っていましたが、今日もデイサービス中の母に会いに行くと空腹感をを訴えていて、他のことは考えられないようでした。
かなり認知症の症状が進んでいるようで、表情も起伏がなくなっているようにみえ、今後どのようになっていくのか想像もつかなくなっています。
いつもいつも何か食べたいという欲求は、どのように話を持って行っても戻ってしまい、紛らわすことが出来ません。
じゃんけんで遊ぼうというと「子供みたいでいやだ」と言います。
しかしこちらがじゃんけんをするとちゃんと応じますが、勝っても何ももらえないのは嫌だと言います。
いままでに一度も真正面から認知症の人と交わったことのない私は戸惑うばかりです。
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認知症の症状の一つに満腹感がかけることがあるが、母も例にもれす食べたくて仕方がなくなていた
母の認知症がどのようになっていくのか、見極めたいという私の思いは、私が母を見る目を少し和らげてくれるようです。
なんでも時間の許す限り向き合ってみれば何かが見えてくるのではないことこの頃思い始めました。
そんな思いを自分で容認できる様にになった時に、壊れていく母を看取ることもできそうな気がし始めています。
私が母を訪ねた時に、丁寧にあいさつをしてくれた入所していた方と話してみると、とても穏やかに昨夜はキリンやタヌキやキツネが訪ねてきてくれたと言ったいました。
相槌を打つと後から後から動物の名前が出てきます。そしてその動物が来てくれたと嬉しそうに言っていました。
その方と話していると夫は知っている方かと聞きますが、私は初めて会った方ですが、そんな話をするご高齢の認知症の方はどんな人生を歩んでこられたのかと興味があります。
今朝は朝食の時間に近所の一人暮らしの方から眩暈がして動けないと電話があり、救急車を呼ぼうかと言ったら呼んでほしいと言うので、救急車を呼び、家から出るまでのお手伝いをしました。
ご家族はさほど遠くはないものの連絡が取れないまま、救急隊員の方に電話番号などを伝えて、病院に搬送していただきました。
私も母のところに行くことになっていたので救急車にはのっていけませんでしたが、さほど重病でもないようでしたので、救急隊員の方にお願いすることにしました。
それから母のところに行ったので、体の弱い私はかなり疲れました。
しかし母の認知症の進行を見て、できるかどうかはわかりませんが、いろいろなことを容認して生きていくことを教えられるような年になってきたのだと言う思いを新たにしました。
病院探しなど、譲れないことはたくさんありますが、今後は私の力の及ばないことは受けいれながら生きていこうと思いなじめています。
今の母はたぶん私に大きなことを残してくれると思っています。
徐々に認知症が進んでいく母は、これからも私の想像のできないような顔を見せてくれると思います。
私も体力がありませんから、できることは限られていますが、そんな母から生きることの意義を教わろうと思っています。

