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『モモ』ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳

作者のミヒャエル・エンデはドイツの児童文学作家で、『ジム・ボタンの機関車大旅行』でドイツ文学賞を得て世界各国で広く知られる作家になったようですが、私は1973年に出版された『モモ』という作品を今頃初めて読みました。

岩波少年文庫2020年7月15日31刷発行になっていますから50年近くも出版され続けていてロングセラーになっているようです。

訳は新しくなっているところも多いようなので読んでいて、それほど年月が過ぎた本だとは思えず、まさに今現在の私たちの生き方を書いているようで、考えさせられる本であると共に、児童文学でありながら、年代を問わず、生きているすべての人に感動を与えてくれる物語です。

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『モモ』のあらすじと感想

第一次世界大戦後30年近く、日本と同じ敗戦国であるドイツの作家によって書かれた物語であることを知り、とても感慨深いものを感じました。

この物語のように高度成長期に入った世界、特に日本は時間を惜しんで働くようになり、人々の余裕を奪っていた時代だったのだろうという思いと、それが現在まで続いていて、豊かな心を取り戻すことが出来ない社会を生きているように感じます。

『モモ』のあらすじ

大きな都会の南の外れの森の中にある昔々に栄えたえ円形劇場にモモという女の子が住んでいるという噂が広がり、近くに住む数人が様子を見に来て、いろいろ聞き出そうとしました。

モモという名前は自分でつけたと言い、年齢もどこで生まれたか何も知らないことが分かったので、警察に届け施設に入った方がよいというのが皆の意見でしたが、モモは施設はとても厳しくそこを逃げ出してきたのだから絶対に行きたくないと言います。

それを知った人たちは、ベッドを作り、古い円形劇場を住みやすいようにそれぞれの得意な分野で作り、食事はみんなが少しずつ届けることにしました。モモはとても酷い格好をしていましたが、目のとてもきれいな女の子でした。

何よりも人の話を何も言わずに聞いていて、話した人は話し終わったときに解決策が見つかり、とても穏やかになったので、困っている人がいると誰もが「モモのところに行くといいよ」と言われるまでになりました。

誰もがとても仲のよい人が出来るように、モモには道路掃除夫の無口のペッポと言うおじいさんと器量よしの若者のおしゃべりの観光ガイドのジジととても親しくなりました。

円形劇場には子供たちもたくさん集まり、とても楽しい日を送っていましたが、ある日灰色の男たちが時間を節約して貯金をするようにと人々に触れ回り、時間が少なくなった人たちは何をする暇もないほど忙しくなり、モモのところには誰一人訪ねてこなくなってしまったのです。

大人が忙しくなったために子供を面倒を見る余裕がなくなってしまったが、家は豊かになりいろいろなものを買ってもらえるようになり、すべての人が猛烈に働くようになったために同じような家が建ち並び道路もきれいになりました。

それまで訪ねてきた人たちが来なくなったことを寂しく思っていたモモのところに灰色の男が訪ねてきて、素敵な人形や様々な洋服などを車から出すのですが、モモは喜びませんし、灰色の男はモモを眺めているうちに自分の手に負えないことだけではなく、ひとりでに時間泥棒であることを話してしまったのです。

次の日ペッポとジジと子供たちが訪ねてきて、それらのことを知りたがり、モモは話してしまいました。そして子供たちと一緒に横断幕とプラカードをつくり町の中を時間が盗まれていることを知らせようと練り歩きましたが、大人たちは忙しく誰も気が付きませんでした。

道路掃除夫のペッポはモモに話したという男に裁判をしている灰色の男たちの集団がゴミの山で集まっているところを見てしまい、次の日モモを訪ねたのですが、モモが消えてしまったのを知り、考に考えた末警察に届けたところどこの警察も取り合ったくれず、精神病院に入れられてしまいました。

それを知った時間泥棒はモモを人質にしていることにして、ペッポの時間を奪ってしまいます。ジジも同じように時間泥棒の言いなりになり、有名人になっていたのです。

モモがいなくなり、ペッポやジジが心配していた頃、モモを時間泥棒から助けようと亀のカシオペアに案内されて、人間に時間を配っているマイスター・ホラのところに行っていたのです。

ホラのところでモモはそれまでに見たことのないよな花を見せてもらいました。それがモモの時間だと言うことでした。誰のところにもそのようなきれいな花の時間が配ってあるということでした。

その後モモは眠りに落ち、目が覚めたときには円形劇場の自分の住処にいて、どんなにまっても、誰も訪ねてきません。亀のカシオペアの背に「誰も来ない」と文字が光りました。

モモはみんなに会いたくて、いろいろな人を訪ねましたが、誰もが忙しくしていて話す暇もありません。灰色の男たちは、子供たちも将来の資源と言い、子供の家という施設を建て将来役に立つようにいろいろと教えることにしました。それで子供たちも遊んでいる暇がなくなりました。

立派な家に住んでいるジジの家を訪ねてジジに会いましたが忙しそうで話している暇もなく、空港まで行くという車の中に乗りましたが、同乗の女の子がうるさくて何も話が出来ずに戻ってきてしまいましたが、それでもジジに会いたくて、何度もジジの家に行きましたが会うことが出来ません。

そんな折子供たちに会いましたが、子供たちも忙しく話している暇がないようで、子供の家に吸い込まれてしまったときに、灰色の男が出てきて話をしたいと言われたので、円形劇場跡にも帰れません。

灰色の男に会わないように人混みを歩いていたときに、疲れて三輪トラックの上に乗っていたら動き出して姉妹しばらく走ったため、モモは家に帰る道が分からなくなって困っていたときにカシオペアにあったのです。

もう、一歩も歩けないというモモにカシオペアは時間の家はすぐ近くだと言います。そこでマイスター・ホラ似合うことが出来、おいしいごちそうを食べさせてもらい、とても難しいが、灰色の男たちに盗まれた時間の取り返し方を教わります。

灰色の男たちは、盗んだ時間の花を蓄え、それを葉巻にして吸っていなければ生きていけないと言うことです。葉巻がなくなればきえていなくなるがまだたくさん凍らせて貯蔵してあるが場所が分からないが、今から時間を止めるので、灰色の男の後についていき、その扉を開けること、そのための時間は1時間で、マイスター・ホラは時間を止めるために寝なくてはいけないのでモモがすべて一人でやらなくてはいけないといいます。

ただカシオペヤだけはついてきてくれると言うことでした。

時間が止まったため、灰色の男たちは生きるための葉巻がつきると次々と消えていきますが、生きるために時間をためている場所にと葉巻を奪いながら向かう灰色の男を追って時間の花を凍らせてある場所に急ぎ、盗まれた時間を町の人たちに返すことに成功しました。

しかし、時間が止まっていたことは誰も知りませんでいたが、ペッポはせかせかした気持ちがなくなり、モモの身代金が戻ってきたと思いました。そこにモモもがいてモモが住んでいた円形劇場に一緒に戻るとたくさんお人が集まっていて、喜び合い宴会が始まりました。

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『モモ』の感想

この物語を読んで、日本の高度成長期からなにも変わらず、現在はもっと大変な時代の中に生きていることを感じました。

生きるという意味を問い直させてくれる物語で、現在の子供たちが置かれている現状に危機感を覚えます。

すべての子供たちが、モモのような素敵な子供時代を過ごすことの出来ることを願わずにはいられません。

「ある日きゅうに、何もする気がしなっくなってしまう。何についても関心がなくなり、何をしても面白くない。この無力感はそのうちに消えるどころか、少しずつ激しくなっていく。・・・・・心の中はますますからっぽになり、じぶんにたいても、世のなかにたいしても不満が募ってくる。そのうちに感情さえなくなって、およそなんも感じなくなってしまう。・・・・・

灰色の煙が時間の中に混じると人間はこうなってしまうと言う、マイスター・ホラの言葉は現在疲れ切って病気になってしまっている人と同じようだと思いました。

私たちは一日も早くそれに気づき、自分が楽しいことをして生きていけるような世の中になってほしいと思うと共に、この児童文学が読み継がれた意味がよく分かり、今では大人にも人気のある物語になっているのは危機感を感じていることなのだろうと思います。

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