『風の歌を聴け』は村上春樹の長編第一作であり、群像新人賞を受賞しています。
1979年に発行されたことから40年近く過ぎて読みことになりました。後で書かれたものから読んできてやはりデビュー作を読んでみようという思いになりました。
それまではかなり分厚い長編小説を読んできたので、あっけないくらい短い時間で読み終えました。
デビュー作とはいえ、思っていた以上に素晴らしい作品でした。何気ない日々を書いていながら、人間のどうしようもない寂しさや不完全さが伝わってきます。
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『風の歌を聞け』のあらすじと感想
「完全な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
僕が大学生のころ偶然知り合ったある作家は僕に向かてそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めととることも可能であった。完璧な文章なんて存在しない、と。
この小説はこのような書き出しで始まります。
『風の歌を聴け』のあらすじ
この話は1970年の8月8日に始まり、8月26日に終わります。大学で生物学を専攻している僕が港のある町に帰省している間の出来事を書いています。
そこで、ジェイズ・バーにいた「鼠」という人物に出会い飲みまくりますが、「鼠」は自分の家が金持ちであるが故か、とても金持ちを嫌っています。
「鼠」との出会いは3年前大学に入った春に、公園の垣根を突き破り、つつじの植え込みを踏み倒し石柱に思いきり車をぶつけて、けがひとつなかったという朝の4時からの付き合いです。
ジェイズ・バーは高校生のころから利用していて、オーナーのジェイとは年齢差があるが良い友達でした。その店の常連の僕と鼠はよく会い飲んでいました。
ある日、ジェイズ・バーで、洗面所に酔いつぶれていた女の子を見つけたが、知り合いもいなそうだったので、ビールの代金を彼女のバッグから払い、手紙が入っていたので、その住所を探し当て送った後に寝てしまいました。朝起きてみるとその女の子は左手の指が4本しかありませんでした。会社に遅れるという彼女を送ることになりました。
偶然、ラジオのディスクジョッキーから電話あり、5年ばかり前にコンタクトレンズを探してあげた女の子から、そのお礼にビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」のレコードを借りていたが、その女の子が僕あてに、その曲をプレゼントしてくれるという。返していないことに気が付き、そのレコードを返すために寄ったレコード店で先日の左指が4本の女の子が働いていました。
そこでレコードを購入して、できる限りの手を尽くしましたが彼女に連絡できる手段が見つかりませんでした。
そんな折、レコード店の彼女から電話がありジェイズ・バー出会うことにしました。その時父親が脳腫瘍でお金を使い果たして家族は空中分解したこと、双子のそっくりの妹がいるが行方不明であること、小指は子供のころ電気掃除機に巻き込まれて無くなってしまったことなどを聞きました。
後日、ビーフシチューを作りすぎたので食べに来ないかと電話があり、ごちそうになった後、明日から旅行に行くので帰ったら電話をすると言われ、旅行から帰ったと電話がありましたが、彼女は旅行に行くと言ったのはうそだといいいます。そして今日はとても寂しいので、一緒にいてほしいと言われ、ベッドにはいったが、彼女は妊娠中絶をしたといいます。そんな悲しみを淡々とつづっています。
しかし、冬に町に帰った時には、レコード店もやめ、アパートもっ引き払っていて2度と会うことができませんでした。
鼠は時々自分が金持ちだということに我慢がなくなるような性格で、大学もやめて小説を書き始めているようです。昔は貧乏だったようだが。
夏が終わるころには鼠は落ち込むことが多いようで、僕に女の子に会ってほしいと言いましたが結局は会わないことになりました。
そのことについて、「世の中にはどうしようもないことがあるんだと、一晩考えてやめた」と言います。
例えば虫歯さ。ある日突然痛み出す。誰が慰めてくれたって痛みが止まるわけじゃない。そうするとね。自分自身に対してひどく腹が立ち始める。そしてその次に自分に腹を立てない奴らに対して無性に腹が立ち始めるんだ。わかるかい?」
「少しはね。」と僕は言った。「でもね、よく考えてみろよ。条件はみな同じなんだ。故障して飛行機に乗り合わせたみたいなものさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる。金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並外れた強さを持った奴なんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何か持っているやつはいつかなくすんじゃないかとビクついているし、何も持っていないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。ふりをするだけでもいい。そうだろう? 強い人間なんてどこにも居やしない。強いふりのできる人間がいるだけさ。
東京に帰る夕方、「ジェイズ・バー」に寄りビールをごちそうになり、フライドポテトをビニールの袋に入れて持たせてくれました。
後日談として僕は29歳になり、鼠は30歳になっていました。僕は結婚していて、鼠は小説を書いていました。
『風の歌を聞け』感想
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』僕の3部作といわれるように、『羊をめぐる冒険』の僕と鼠はこの作品でも重なるところがあり、「ジェイズ・バー」も懐かしさと安らぎを与えてくれる場所として書かれています。
まだ、『1973年のピンボール』をこれから読もうと思っているので、また違った思いを抱くかもしれません。
「ハートフィールドに出会わなければ小説なんて書かなかったろう、というつもりはない。けれど僕の進んだ道は今とはすっかり違っていたものになっていたことも確かだと思う。」と「あとがきにかえて」に書いているように人生は巡り合ったものや、出来事で、その後の生き方が変わるのかもしれないと思いました。
村上春樹の書いた小説もかなり読んできて思うこのは、感性や考え方はそれほど変わらないのだろうと思わされました。そしてその変わらなさの上に生きてきた年輪と知識が加わりより深く物事の深層を覗くようになるのだろうと感じました。
しかし、書いた時期による優劣ではなく、その時にしか書けないものがあることも事実で、その意味で、この小説はとても素晴らしいと思いました。
感受性の強い鼠と僕は同一人物かもしれないし、僕の思っていることを鼠が語っていることも多いのではないかと思いながら読みました。
誰もが、何かを失いながら生きていく、その喪失感を何もない日常の中から、拾い上げて書いていく作者の力量のようなものが感じられ思っていたよりも素晴らしいデビュー作でした。