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『騎士団長殺し』村上春樹著ー雨田具彦は留学時代の戦禍を絵に残して死んだ?

『騎士団長殺し』という題名にどことなく違和感を覚えたために、読むことを先延ばしにしていましたが、読み終えてみてもっと早く読んでおきたっかったと感じられるような作品でした。

村上春樹の作品は多くのファンを持ち、予約して購入し読む人が多いのですが、レビューの良否もかなり分かれるのが特徴のようです。

私自身はハルキストというほどではありませんが、かなり好きな作家であり、『騎士団長殺し』も興味深く、様々なことを想像しながら読み進むことができました。

村上春樹の作品はかなり読んでいるので、ファンタジー的な出来事が多く出てきてもすんなり読み込むことができるようになっているので、読みにくさは感じません。

源氏物語の「御物の怪」とか古典文学やイソップ寓話など古くから書かれ今に伝えられる文学を思い起こすとき、それほど違和感がないのだろうと思います。

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『騎士団長殺し』のあらすじと感想

『騎士団長殺し』は第一部 現れるイデア編、第二部 遷ろうメタファ編 からなり、上下合わせて千ページを超える長編になっています。

私が題名から読むのを後回しにしていたのとは異なる作品で、村上春樹の作品の中でもかなり好きになった作品であり、『騎士団長殺し』という題名は必然だったのだろうと思いました。

現れるイデア編 あらすじ

3月半ばの日曜日の午後に、私は妻のユズに「離婚をしてほしい」と告げられ、赤いプジョー205に乗って家を出ました。家を出たときは行く先を決めていなかったが、関越道に入り、新潟から海岸沿いに北上し山形から秋田に入り、村上市の安いビジネスホテルに泊まり、ゆっくり休むことができました。

私は美大に入っていた時は、抽象画を書いていたが、それでは食べることができないので、肖像画家として絵を描き、ユズが建築会社でが働いていました。家事は一切私がやり、うまくいているように思っていたので驚きましたが、彼女には付き合っている人がいるということでした。

私は北海道に渡りあてもなくまわり、4月の後半に青森、岩手、宮城と海岸線を走りながら、妻とのこれまでのいきさつを思いで出すままに語っていきます。

妻は私より3歳年下で、その当時付き合っていた女性の級友であること、先天的な心臓病を持っていて12歳の時に亡くなった私の3歳年下の妹によく似たまなざしをしており、一目で気にいってしまったこと。

その後時間をかけて彼女と結婚して、満ち足りた結婚生活を送っていたなどが書かれています。

その旅の間に首を絞めてほしいなどという異常な女性に誘われ、関係を持った時に、食堂で2度見たスバル・フォレスターの男を絵にかくことになりますが、完成させることができないのは、その暴力性のためだったのだろうと読み終えて思いました。

5月になったころ、いわき市の手前で、車の寿命が尽きたため、車を置いて常磐線で東京に戻り、美大の友人である雨田政彦に電話で事情を話し、どこか泊まる場所がないかと尋ねました。

政彦は著名な画家である父の雨田具彦が住んでいた家が、養護施設に入ったために空いていて、生活必需品はすべてそろているので住んでみたらよいと提案してくれました。

そのようなことから、小田原郊外の山頂の家に身を落ち着けることになりました。家の持ち主である雨田政彦が、小田原の家に案内してくれ、アルバイトの絵の先生の仕事を紹介してくれ、中古車センターに行き、カローラのワゴンを購入して小田原の山の上での一人暮らしが始まりました。

絵画教室は、大人向けと子供抜けの教室があり、大人向けの教室で知り合った人妻と交際するようになりました。

ほとんどは家でキャバスに向かうのですが、何も書けないままに、雨田具彦について知りたいと思い図書館で調べたところ、芸大卒業後ウィーンに滞在していたのは1936から39年までの3年間で、その時期はヒトラーが政権を握っていた時代で、ウィーンがドイツに併合された激動の時代でした。

しかし、その時代の雨田具彦についての記事は何一つ知ることができませんでした。

夜中に寝室の屋根裏からがさがさという音が聞こえたことから、上ってみたところみみずくがいることが分かったが、「騎士団長殺し」という不思議な題をつけられた雨田具彦の絵を発見することになりました。

厳重に包装されたその絵は縦横が1メートル、1メートル半位で、茶色の包装用和紙に包まれ、頑丈に紐がかけてありました。その絵を見たいという好奇心に駆られ開けることになってしまいます。

その大きな日本画は、雨田具彦の作品で、飛鳥時代の格好をした男女の絵で、息をのむほどに暴力的な絵でした。

二人の男が重そうな古代の剣を持った年老いた男と若い男が争い、年老いた男の胸に剣が刺さり、大量の血が噴出しているのを若い上品な真っ白の着物を着た女性が口を大きく開けて悲鳴を上げているように見えます。

もう一人は若い男で身なりもそれほど立派ではないことから、誰かの召使なのだろうと思います。四人の中で中で驚いていないのは若い殺人者だけのようです。

おそらく彼は人の息を止めることに躊躇を感じることはないようで、理に適たことをしたという風でした。

画面の左下に奇妙な目撃者がいます。その男は地面に着いた蓋を半ば押し開けて、そこから首をのぞかせています。「顔なが」となずけた男の後から私が地下の世界にと入っていくことになるとはその時は思っていませんでした。

肖像画を扱っているエ-ジェントから肖像画を書かなかかと電話がかかってきたので、「肖像画はもう書かない」というと、それが法外な値段であり、彼を指定しているというということです。

その報酬に心ひかれたが、すぐに返事ができないので、考えてみるということで電話を切りました。

その肖像画の依頼主は免色渉といい、白髪の美しい、隙のないおしゃれの私の家から見える豪邸に住んでいる54歳の男性で、その後いろいろなことに巻き込まれることになります。

免色さんはIT関係の仕事をしているということだが、現在は少ししか仕事をせずにほとんど無職に近いので、いつでもモデルになれるという謎の多い男性でした。

免色は厳密な肖像画でなくともよく、好きなように書いてほしいといいます。しかし私は今までのように簡単に筆が運びませんでした。

ある夜、目を覚ましてて寝付けないので、スコッチ・ウイスキーを飲んでいると、耳慣れない音が聞こえた。虫の声もやんでいて鈴かそれに近い音のようでした。

不規則なその音がどこでなっているのか確かめたくなった私は玄関を開けて外に出た。左手に進むと小さな七段ほどの石段があり、それを進むと雑木林になっていて、そこをしばらく行くと小さな祠があり、鈴らしき音はそのそのあたりから聞こええきました。

その裏側当たりに行くと音が大きく聞こえてきて、あたりには方形の石が無造作に積み上げられている塚のようなものがあることがわかりました。鈴のような音はその石と石の間から聞こえてくるようでした。

その音を聞いていた私は恐怖を覚え、急いで戻ってデッキチェアに座り意識の迷路を行きつ戻りつしていました。その音は45分くらいして止み、ベッドにもぐりこみましたが、そのころには虫の音がいつも通りに鳴いていました。

次の日の夜も午前2時前から鈴の音が聞こえました。その翌日はモデルの免色が来る日だったので、絵の時間が終わってから免色に話したら夜に来てもよいかということになり、2人でその音を午前2時前後に聞くことになります。

時間が来るまでに免色は自分には女の子がいるらしいことをほのめかしました。その当時付き合ていた女性が最後に来た日に妊娠して生まれたといいます。

その後他の人と結婚して、その人の子供になっているが、その女性は子供が6歳の時にスズメバチに刺されて死亡してしまったが、もし自分が死んだら免色のところに届けてほしいと法律事務所に頼んでいたらしい手紙を受け取り、その事実を知ったということでした。

免色は子供にも家族にも興味を持てない人間だったが、それを聞いてそのまりえという娘に目を離すことができなくなり、今住んでいる豪邸を無理やり手に入れ、高性能の望遠鏡で、まりえの住んでいる家を見ているということをのちに聞くことになります。

鈴の音の聞こえる場所を見に行って実際に音を聞いた免色は、それが上田秋成の「春雨物語」という中に同じようなことが書かれていて、入定してミイラになった400年後に同じように鈴を振っていたという話が書いてあるということです。

免色さんはその石を業者に頼んでどかしてもらうことを提案します。わたしはそんなお金がないというと免色さんがすべて手配してお金の心配はないということで、地主の雨田政彦の許可を得て行うことになります。

業者が重機を持って大きな方形の石をどかした後には2メートル四方ほどの方形に石が整然とし敷かれていてその下に厚みのある四角の重そうな格子の木製の蓋があったがそれもどけられていました。

下は直径1メートル80センチ高さは2メートル80㎝で、周りは石壁で囲まれていて下は土で石室のようでした。中は空っぽで鈴のようなものが底にぽつんと置かれていました。

その作業の後、誰かが落ちないように厚い板を何枚か穴の上に渡し、重しとしていくつかの石をのせて、ビニールシートがかけられました。

その時期、免色さんの肖像画は芸術性を持った絵として描き進めることができっていました。肖像画とは言えないと思い、免色さに見せたところとても喜んで乾かないうちに自宅に持ち帰り、お祝いに招待されることになりました。

そのころにはアトリエに置いた鈴がなるようになり、騎士団長のイデアが姿を見せるようになっていて、騎士団長も招待を受けることになります。

その後、宮城県の海沿いのファミリーレストランで、出会ったスバル・フォレスターの男を書き始めていました。

下絵を描いただけで、まりえにも完成しているといわれたことから、それ以上書けなくなってしまうのだが、この男については、最後まで謎なのですが、村上作品にはこのような人が出てくることがあります。

私はイデアの騎士団長と一緒に免色の家に招待され、その家のすばらしさと、料理のすばらしさを堪能しました。そして、娘かもしれない谷をへだてた家を見るための軍事用の精巧な双眼鏡を見せてもらいました。

この項は免色という人間の深層がかなり掘り下げられていて、生と死のぎりぎりを生きることの怖さを覗き見る思いでした。

それは先日、免色が穴の中に閉じこもった1時間の間に、経験したことに依るようです。

その夜、娘であるかもしれない秋川まりえの肖像画を高価な値段で書いてほしいといわれますが、私はその絵が出来上がったうえでどうするかは決めることにして、自発的に書くということで納得してもらいます。

描いている途中で、免色が何気なく訪ねて来たいというので、それは構わないといいます。

秋川まりえはとても変わった女の子で、気が向かなければ話をしないが、気が向けばいろいろと話すようで、私のモデルをしながらはかなり話したことから気に入られたようです。

そして、まりえは騎士団長殺しの絵をかなり熱心に見つめていました。

また、免色から雨田具彦がウィーンにいた時代背景などいろいろと調べてくれ、政治犯の処刑があり、雨田具彦は恋人たちが起こした暗殺未遂事件巻き込まれ、それが政治的な問題にまで発展しそうになったが、ベルリンの日本大使館が動いて彼をひそかに帰国させたといいます。しかし、記録は一切残っていないとのことでした。

日独防共協定が結ばれていたために、雨田具彦は日本に救出されたのではないかということでした。

ユズから離婚届にサインをして送ったことに対する返事が来たが、その後いろいろとありすぎたことと、ユズに対する気持ちが残っていることから返事は書けませんでした。

第二部 遷ろうメタファ編

秋川まりえは伯母の秋川笙子と一緒に次の日曜日にも同じようにきたがその日は絵を描けませんでした。昼食を勧め終わりかけたころにもう二人は帰ったのだろうと思った免色が尋ねてきたので、紹介したがかなり緊張している様子でした。

私が書いた免色の肖像画を見たいということで、次に来た時二人は免色の家に行くことになります。その日の夕刻にまりえは秘密の道を通って私を訪ねてきました。免色が叔母の笙子に気があるのではないかなど、免色に対する疑問を持っているようでした。

雨田具彦について調べてくれている免色から、具彦の弟で継彦は才能に恵まれたピアニストだったが、徴兵され南京虐殺事件にかかわることになり、1年の兵役が終えて帰ってきたが手首を切って自殺をしたということを教えてくれました。

私は雨田政彦に会って話を聞いてみたいと思い、電話をし真実だったことを確かめました。また、「父の具彦もウィーンの大学に通っていた反ナチの地下抵抗組織に加わっていたオーストラリアの娘と恋仲になり結婚の約束までしていたが、彼女は強制収容所に送られ、そこで命を落としたのだろう」という話をしてくれました。

そして雨田具彦は口止めされて国外強制退去となったようでした。それは親戚のものに聞かされた話で具彦は何も語らなかったということでした。

そして、父は今は何もわからなくなているが、強い人だったから意思の力のようなものは残っているようだといいます。そして、父の魂みたいなものに取り付かれないように気を付けるようにと言われます。

次の日曜日、モデルをしているまりえとはほとんど話すこともなく作業に集中でき、お互いの交流のようなものが生まれて、あっという間に2時間が過ぎていました。

そのころに、免色のジャガーのエンジンの音が聞こえ、免色が来て3人で免色の車で彼の家にいき、戻ってきたのは5時ごろでした。

その週はまりえの絵と祠の裏のススキが踏みつぶされている「雑木林の中の穴」絵を並行して描いていました。

ある真夜中の2時ごろに大きな音がして目が覚めたので家の中を確かめたところ、アトリエに雨田具彦にとても良く似た人がスツールに腰かけて「騎士団長殺し」の絵をじっと見ていまいた。

声が聞こえて、電気はつけないほうが良いというので、しばらく見ていましたが、動こうとしないので扉を閉めて戻ってきてウィスキーを飲んで寝ました。

次の日に雨田政彦に電話をしたが、父はまだ死んでいないということで、そこに行くときに借りている私のところに寄るということでした。」

その夜は遅くまで飲んで泊まっていきましたが、ユズが付き合っている相手は、政彦の同僚で、ハンサムであること、彼女が妊娠7ヶ月であるということなどを話していきした。

私は政彦の父の具彦に会いたいので、伊豆高原の療養所に行くときに連れて行ってほしいといい、行くときには連絡するということになりました。

翌日は秋川まりえたちの来る日だったが、政彦は会わずに帰っていき、まもなく来たまりえはあまり話さず、絵を描くことと書かれることに熱中していましたが、まりえに「あとで来ていい」といわれました。

まりえが4時ごろに来て、叔母の笙子と免色があっているかもしれないこと、訪ねて行ったときに双眼鏡が秋川まりえの家が見えるようになっていたことなどを話したが、私には何も言えることはありませんでした。

秋川笙子から夜にまりえが金曜日に学校に行った後返ってこないと電話があり、心配して免色と林の中の穴を除きに行ったが、ペンギンのフィギュアが見つかっただけでした。

その井戸の高さの話から思い出したように、インサイダー取引と脱税の容疑で435日独房に閉じ込められていたことを免色は話しました。

その夜は免色は心配して私の家に泊まっていきましたが、騎士団長のイディアが「土曜日の午前中にかかってくる電話を断ってはいけない」と教えてくれました。

電話は雨田政彦からで、今から伊豆の療養所に行くから、立ち寄るということでした。

雨田具彦は立派な病室で熟睡していました。そしてその老人が少し前の真夜中に、スタジオを訪れていた謎の人物と同じであることは一目でわかりました。

目覚めるのを待つ間、政彦はユズの状態が安定していること、しかし、ユズはその男と結婚するつもりがないということで、男性が困っているという話をしてくれました。

具彦は3時少し前に目覚めた。政彦はガラスの吸い飲みから慣れた手つきで水を飲ませてやり、ガーゼのようなもので拭いて、具彦の家で絵を描いていると私を紹介すると私のほうを向きました。

いろいろ話してくれというので、自己紹介をした後に屋根裏部屋に上ったことを言うとそれまで膜がかっていたと見えた瞳がきらりと光ったように見えました。

「屋根裏部屋は興味深いところだった」といった言葉に具彦は身じろぎもせずに私を見つめていました。呼吸も浅くなっているようだが、その奥深くに潜んだ秘密の光は、さっきよりいっそう鮮明になっているように感じられました。

具彦は、みみずく、屋根裏、絵の保管・・・という単語の意味を一つに結びつけているのだ、と思って彼の孤独な切実な作業を静かに見守っていました。

私から目を離さないことに、羨望のような思いを感じていたのだと思っていた時に、政彦の携帯電話が鳴りました。仕事の話らしく、時間がかかりそうだと病室を出ていき、その間父と話をしていてほしいと頼まれました。

その時、イデアの騎士団長がいることに気が付きました。具彦が見ているものは騎士団長ではなく、その怒りは他に向けられていること、具彦には騎士団長とは違ったものが見えているといい、それは雨田具彦が江良だものであり、騎士団長と具彦の石の硬さがを見て、私は騎士団長を刺すほかはないと感じました。

騎士団長が自分を殺せとくれた剣は小さすぎるというと、政彦が持ってきて見つからなくなっていた出刃包丁がタンスに入っていることを教えてくれたのです。

しかし、私にはその決心がなかなかつきませんでしたが、環を閉じるため、再生のための死だといわれた。その時、宮城県のラブホテルで首を絞めてほしいといわれたこととスバル・フォレスターの男のことを思いました。

「秋川まりえを取り戻すには、どうしてもそれをしなければならない」その声の響きに騎士団長の心臓により深くのめりこませていました。

雨田具彦はかっと大きく目を見開いてそこにある光景を直視していました。彼が目にしているのはナチの高官か、南京城内で弟に日本刀を渡した少尉なのか、それらすべてを生み出した邪悪の根源なのか読み取ることはできませんでした。

騎士団長が崩れ落ちると雨田具彦は「見るべきものは見届けた」というように大きく息を吐き出し、目を閉じました。

雨田具彦の絵に描かれていた「首なが」がいるのがわかり、蓋が閉じないように表に引きずりだして秋川まりえのいる場所を聞いたが自分はメタファなのでわからないといいます。

明かりを持って行ったほうが良いとのみいうので、ベッドの下の懐中電灯を持ち、「首なが」の後から地下に降りて長い長いトンネルのような場所を超え、渡しで川を渡り、風穴のようなところを通り抜けて自分がいる場所が、あの祠の後ろの井戸のような穴であることがわかりました。

そこにはあの鈴があったので、時々鈴を鳴らし、疲れると眠るという繰り返しの中で意識はどんどん希薄になっていきました。

そんな時に誰かが呼ぶ声が聞こえました。免色さんです。光になれるまで待ってもらって外に出ることができましたが、「あなたはどこから入ってきたのだろう」と免色さんに言われましたが、私にもわかりません。

免色さんは「私は昔から論理的に思考する人間です。しかしあの祠の裏の穴についてはそれほどロジカルになることができません。あの穴の中では何が起こっても不思議ではない。何一つ覚えていないということで押し通すほかはないでしょうね」と免色は言いました。

疲れておなかがすいていたが、家に連れて行ってくれ、免色さんは温かい紅茶やリンゴ、オムレツなど作ってくれたので、ようやく空腹は落ち着きました。

日曜日に、電話に出ないのでと尋ねてきたら、雨田政彦さんが施設から消えてしまったと心配していたと言い、電話をかけたほう良いでしょうと言われました。

秋川まりえは1時間前ほどに泥だらけで帰ってきたが、何も言わないのでどこに行っていたかわからないということでした。

穴から出てきてアトリエを見たが何も変わったことがなく、騎士団長殺しの絵もまりえの肖像画も、雑木林の中の穴の絵も、そして、秋川まりえの絵は彼女の何かを守るために未完成のままに留め置かなくてならないと感じていました。

雨田政彦には、秘密の出口はお父さんの具彦さんに教えてもらったが、3日間の記憶が全くないと説明した。政彦は納得しなかったが仕方がないと思ったようでした。

その後、ユズに電話をして一度って色々話したいといい、会う日を決めました。

秋川笙子のところには何度か電話をしていたが、電話にはでなかった。そして秋川笙子のほうから電話があって、まりえが何も言わないので話を聞いてほしいと言われ、午後の3時ごろに来ることになりました。

叔母の笙子が車に乗せて来たが、まりえと二人だけで話をしたいと了解を得て5時ごろに迎えに来ることになりました。

まりえと二人になった時に、騎士団長殺しの絵とスバル・フォレスターの男の絵を見せて、自分がどのような経験をしてきたのかを語り、その二点の絵をしっかり包装して屋根裏にしまっておくことにして、まりえに手伝ってもらいました。

屋根裏にみみずくがいるのに気が付きまりえを誘って一緒に見ていた時、まりえは私の手を握って涙を流していました。彼女は涙を流すことが必要だったがうまく泣くことができなかったのだろうと思いました。

まりえの話したことは、免色さんがまりえの家を覗いていることを確かめたいと思って忍び込んでしまったが出ることができずに、私と同じ日まで隠れていて、家のクリーニングサービスが来て、その間免色が留守にしている間に抜け出してきたが、その間どうしていたかを怪しまれないように森の中に迷っていたと言って洋服などを汚しボロボロにしたということでした。

免色の家にいた間に女性の洋服が入っているクローゼットにも閉じこもっていてとても懐かしかったこと、メディアの騎士団長が出てきてアドバイスをしてくれたことなどを話しました。

まりえの絵は完成させないことにして、未完のままにまりえに上げることにしました。免色も納得しました。雑木林の中の穴は免色に助けてもらったお礼に上げることにしました。

私が穴の中から助け出された4日後に雨田具彦はなくなったということでした。もう鈴の音も騎士団長も現れず、私は、営業用の肖像画を描くことにしました。

私はユズと会い、ユズが生まれてくる子供について付き合ていたいた人の子供ではないような気がするといい、もう関係がないし、離婚届けも出してないので、私たちの子供ということになるといいます。

お互いにもう一度やり直そうということになり、その夜は分かれて帰ってきました。

妻のもとに戻って生活するようになった数年後の3月11日に東日本大震災が起こった。テレビが放映していたのはかってあてもなく走った岩手県から宮城県沖の町が次々に破壊していく様子でした。

ユズは生まれた女の子に、夢が教えてくれた「室(むろ)」という名前を付けました。ユズは建築事務所の仕事に復帰していたので夕方5時には保育園に迎えに行きました。

東北の地震があった2ヶ月後の未明にかって住んでいた小田原の雨田具彦の家が焼けました。騎士惨長殺しの絵もスバル・フォルスターの絵も焼け、騎士団長殺しの絵が焼けたことには、責任を感じざるを得ませんでしたが、あまりに強くあまりに深く魂が注ぎ込まれていたことから、何かを招き寄せる力を有していて、事実私は其の環をひらいてしまったのだ。そんな絵を公衆の目にさらすのは適切でないと雨田具彦も感じていたのかもしれないと思います。

親子の問題を免色と同じような立場で生きるようになったが、自分は免色のようには考えないだろうと思うのでした。

『騎士団長殺し』の感想

村上春樹の作品はある程度読んでいますが、読む人により感想はかなり異なるのだろうと思いながら読んできました。

作品の中には様々な要素が絡み取られています。わたしは騎士団長殺しという題名を中心にして読み進みましたが、恋愛、父と子の問題などかなり深い部分からも読むこともできそうです。

有名な日本画家の家を借りて、屋根裏から騎士団長殺しという題名の絵を見つけた私はその魂を揺さぶられるような絵を見たことによりイデアである騎士団長が目の前に現れ、様々な体験をすることになります。

その絵は飛鳥時代に置き換えられて、若者が、老人の胸に剣を刺している絵ですが、そこから感じられるのは、青年、雨田具彦が、ウィーンに留学していた時に経験してきたことと何かのつながりがあるのだろうという思いで読まざるを得ませんでした。

アンシュルスとクリスタル・ナハトにより、それを阻止しようとした地下抵抗組織の中に、雨田具彦とその恋人がいました。恋人はとらえられ殺されたのでしょうが。具彦は強制送還という形で日本に戻ってきたといういきさつがあるようですが、子供の政彦にも誰にも話していないということです。

3歳年下の弟、雨田継彦は音大でピアノを学んでいたが、招集されて南京虐殺にかかわり帰ってきが、自死してしまったようです。

雨田具彦は油絵を学んでいたが、戦中は一切絵を発表せず、戦後、日本画作家として大成したようだが、子供の政彦にも近寄りがたい存在だったといいます。

そんな、具彦の絵は口に出して言うこともできないような魂を込めた絵が騎士団長殺しだったのではないかと思われます。

そしてイデアとしての騎士団長が現れ、私に殺すようにと命令した時に具彦が見ていたのは、騎士団長は同じものではないといいます。

それは誰にも分らないことですが、それを見ることにより、具彦はそれまで抱えていた魂を解き放つことができたのかもしれません。

具彦が見ていたものは、「ナチの高官か、弟に刀を渡した将校、またはもっと根源的な、邪悪なる何かなのか私にはわからない」と思いながら、騎士団長を私が刺したときの具彦の顔を見ていたと書いています。

その後狭いところを降り、川を渡って現実の井戸のようなところに戻るのですが、それは『ねじまき鳥クロニカル』に似ていますが、それよりもわかりやすくなっていると思いました。

私は『騎士団長殺し』について書いてある書評を少しは読んでいましたが、それらとは全く違った読後感を得ることができました。

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