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『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹著|走ることと書くこと

2016年2月2日

村上春樹が小説家になって間もなく世界中の路上で走り始め、その数年後からフル・マラソンに毎年のように参加するようになったことを日々思いを交えて書いています。

40代後半からレースのタイムが伸びなくなったのをきっかけに、トライアスロンもするようになり、冬はマラソン、夏にはトライアスロンに挑戦するという生き方の中から、それを力に変えて小説を着実に書き上げているといいます。

村上春樹にとって走ることと小説を書くことは並行して行うことであり、それが生き方を深めることになり、哲学になっているようです。

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村上春樹の生き方と哲学-走ることと書くこと

村上春樹は22歳の時に学生結婚、間もなくジャズ・クラブのようなものを経営していて、軌道に乗りかなり多くの借金が返せるめどが立ったある日、突然「小説を書こう」と思って、原稿用紙と万年筆を買ってきて書いたのが「羊をめぐる冒険」ということです。

その小説が、第22回群像新人文学賞を受賞、その後もジャズ・クラブを経営しながら、「1973年のピンポール」書いたが、深い内容を持った、奥行きのある小説を書きたいと思い、周りの多くの方に反対されたが1981年店をたたみ小説家としてデビューしました。

「羊をめぐる冒険」、「1973年のピンポール」ともに芥川賞の有力候補、野間文学賞候補となったのですから、文学的才能は充分だったようです。

仕事を辞めて書いたのが長編小説「風の音を聞け」で、野間文学賞を受賞しました。

体を動かさなくなり太り始めたことから、ジョギングを始めた

日常的に走り始めたのは1982年の秋33歳の時というから小説家になって間もなくのようですが、初めてフル・マラソンを走ったのは観光記事を書くために1983年の7月ギリシャに行ったときにアテネからマラトンまでを一人で走ったというから驚きです。

毎日1時かあまり走って毎年のようにフル・マラソンを走っている4半世紀の様子を2005年の夏から2006年の秋にかけて書いていたのが、『走ることについて語るときに僕の語ること』です。

40歳後半になってレースのタイムが伸びなくなってきてから、トライアスロンにも出るようになり、トライアスロンの競技の様子も書かれています。

どちらの競技も体の限界に挑む競技であり、その限界をどのように乗り越えていくかが細かに書いてあるのですが、それは村上春樹という作家の生き方であり、哲学であると読み始めてすぐにわかります。

小説を書くことは、フル・マラソンを走ることに似ているといい、走ることにより小説を書く多くのことを学んできたと言い切る村上春樹にとって、走ることはすなわち小説を書くことに繋がっていると思わされます。

村上春樹にとって走るということは日常的なことであり、それはとても孤独で精神的にも肉体的にも限界に挑むことであり、そこから導き出される思考も哲学的でもあり、物を書くプロである小説家にとっては限りなく深い感情をくみ上げることが出来るのではないかと思います。

走ることによって紡ぎだされて感動した村上春樹の言葉

次に走ることによって紡ぎだされた言葉をいくつか上げてみたいと思います。

孤絶間を癒し、相対化してしていかななくてはならない時

誰かに故のない(と少なくても僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったような時、僕は少しだけ少しだけ長い距離を走ることによって、その分自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。

アテネでフル・マラソンを走った後に

いくら経験を積んだところで、年齢を重ねたところで、所詮は同じことの繰り返しなのだ。

そう、ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない、僕はそう思う。そしてそのプロセスとどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできることは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ。

ボストンマラソンを走った後に

視線を向けなくてはならないのは、おそらく自らの内側なのだ。僕は自分の内側に目を向けてみる。深い井戸の底をのぞき込むみたいに。そこには親切心が見えるだろうか。いや、見えない。底に見えるのは、いつもながらの僕の性格でしかない。個人的で、頑固で、協調性を欠き、しばしば身勝手で、それでも自らを常に疑い、苦しいことがあってもそこになんとかおかししみを-あるいはおかしみに似たものを-見出そうとする、僕のネイチャーである。古いボストンバッグのようにそれを下げて、僕は長い道のりを歩いてきたのだ。気に入って運んでいたというわけではない。中味のわりに重すぎるし、見かけもパッとしない。ところどころほつれも見える。それ以外運ぶべきものがなかったから仕方な運んできただけだ。しかしそれなりに愛着のようなものもある。もちろん。

新潟県村上市のトライアスロンの後に

「苦しい」というのは、こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう。苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ自分が生きているという確かな実感を、少なくともその一端を、僕らはその課程に見出すことが出来るのだ。生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くことが出来る。

・・・・・・・

効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心で感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか会得できないものなのだ。


走ることと登山は似ているか

私は若いころから登山を楽しんできました。

春から秋にかけてがほとんどで、景色が何も見えないという山には登ったことはありませんがアイゼンを付けて雪の上を歩いたことはあります。

少し高い山は万年雪になっているので、雪の上を避けるというわけにはいきません。

マラソンは走ったことがないので、登山と似ているかどうか比べることはできませんが、登山はよほどのことがない限り登った以上は自力で降りてこなければならないという辛さはあります。

私のように下りが苦手という人間にとって登ることが出来ても、下りのほうで時間がかかってしまうということもしばしばで、どうして登ったのだろうと何度思ったかしれませんが、下りてくると忘れてしまうのはマラソンに似ているかもしれません。

毎回限界ということはありませんが、なぜ山に登るのだろうと考えたことはあります。

若かった時ほどいろいろな悩みを和らげるためであり、自分と向き合うためだったような気がします。

1人で登るということがない分、人に迷惑をかけられないので、つらいのぼりにも根を上げるわけにもいかないことで、頑張る力もついたと思いますし、それはどこか長距離ランナーに似ているのかと思いました。

『走ることについて語るときに僕の語ること』を読みながら、私は登山の経験と似ているところがあるような気持がしました。

私は若いころに病気をして、あまり丈夫ではありませんでしたが、40年近く年に数回山に登っていました。

メニエール病の後はしばらく登りましたが、突発性難聴になりめまいが日常的になってからは、回数が減り、その後網膜剥離になって視力が弱くなってからはやめてしまいました。

そして現在は毎日3キロくらい歩くのを日常にしています。

視力が弱くなって少しの段差も危ない状態でしたが、これも慣れが解決してくれ、1日1度は外の空気に触れて季節の移り変わりを感じる楽しさを味わっています。

このように人は年齢と折り合いを付けて行かなければならないのだと思っています。

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