私が胞状奇胎になったのは数十年も前のことであり、現在はこのようなことはほとんどないのではないかと思いますし、治療法も変わっていることと思いますが、産婦人科医も経験が浅かったり、勉強不足の方もいるかと思いますので、自分自身が納得できないときは転院して大事に至らない様にとの思いを込めて書いておくことにしました。
長女が1歳半になった時、もう一人の子がほしいと思っていた矢先に妊娠したのが分かった時は本当にうれしい気持ちでいっぱいでした。
生まれる予定は5月で育てるのが楽な時期になります。
長女は2月に生まれたので寒いさなかで、何をするのも大変な時期でしたし、その時は2歳3カ月になっている予定でしたのでとてもうれしい思いでした。
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胞状奇胎とわかるまでの初期症状
長女の時は一人で病院に行けましたので少し遠いとは思いながらも私立病院に行きましたが、小さな子を連れての受診は大変でしたし、お世話になる人もいなかったので遠い実家に帰っての出産になる予定でしたので、あまり深くは考えないで、近い産婦人科を受診していました。
妊娠が分かって間もなく、とてもひどいつわりに悩まされましたが、長女の時もつわりがひどく、生まれるまでつわりが続いたくらいでしたので、さほど気にも止めませんでしたが、茶色の下り物のようなものが出始めました。
産婦人科に行くと、流産予防の注射をしてくれても止まらず、何度か通いましたがつわりはひどくなる一方で、起きていることもできない状態になり、小さな子供にご飯も食べさせることが出来なくなってしまいました。
自分も食べられない上に、子供にもお菓子などを与えているような状態になった時に、実家に戻ってお世話になることにしました。
実家に帰れば、私はつわりで吐いてばかりいても、子供だけは食べさせてもらうことが出来て安心しましたが、それでも私のつわりはひどくなるいっぽうでした。
その時も開業をしている産婦人科にかかっていましたが、なぜか患者の少ない所でした。
現在のようにネットもありませんし、調べる気力も何もなく寝ているだけでしたので、少しでも楽になればと勧められるままに入院して点滴を毎日受けました。
そのおかげで、少しは改善したように思いましたが、茶色の下り物は相変わらずで、4か月くらいなのにお腹がどんどん大きくなっていきます。
その時はおかしいと思いながらも病気を疑う事もありませんでした。
最初の子の時につわりがひどかったことが、頭にありますので、家の戻ったのは小さな子供の世話が出来ないためで、その子が生まれるまでは同じようなつわりに悩んだことがあったために対処を遅らせることになりました。
入院していても良くなる気配もないので、こちらから話して自己退院をすることにしました。
今になって思えば、お医者さんは心音を聞いたり診察をしていたのですから、異常であることがわからないことが不思議です。
退院は簡単に認められ、診察の後支払いをして退院する間際に、看護師をしている医師の奥さんが、胞状奇胎と言う事もありうると教えてくれました。
母はびっくりして、家に帰って昼食を食べた後に別の産婦人科に連れて行ってくれました。
私は、動くのも嫌な状態でしたが、仕方なく診察を受けることになりました。
後でわかったことですが、私が入院していた産婦人科で、その少し前に胞状奇胎を見逃したために、評判が悪くなって患者がいなくなっていたようでした。
妹が一年前に出産した時はたくさん入院して患者数も多かったようですが、その一年の間の出来事だったようです。