著者は北海タイムズ、北海道新聞に勤務後朝日新聞に入社、3.11では翌日から現場で取材、2011年9月には特別報道部に。原発事故懸賞企画「プロメテウスの翼」などに参加し、2013年、特別報道部の『手抜き除染」報道を手がけ、取材班は新聞協会賞を受賞したと言うことです。
個々に書かれているような、現実は新聞やテレビなどの報道でも見聞きしていたことであり、そのたびに愁いていたのですが、このように1冊の本として、取材した現実を読むことでより大きな原発事故後の問題点を知ることになり、政府のずさんな対応に憤りを感じざるを得ませんでした。
『地図から消される街』取材を通して書かれている真実と問題点
著者は2011年原発事故後の翌日から2018年まで取材を重ねて、あらゆる方面の人からの証言のもとに書いています。
未だに様々なことを隠そうとする政権と東電、そしてこんな大きな事故を忘れ去ろうと仕向けているようにとしか思えない政権に私たち国民は絶対に忘れてはならないのだと思わされます。
著者は序章から、第6章までをそれぞれの視点から書いています。
序章 「すまん」原発事故のために見捨てた命
2017年、避難していた住宅提供がなくなり、避難民たちの生活の逼迫が大きくなりました。
除染したとはいえ、汚染が酷いふるさとには帰ることも出来ず、避難先で病気になり自殺する人も多くなっているようです。
10年という歳月は、小学生の子が大学生になるような大きな歳月なのです。元に戻ることなどかなわない歳月を辛抱して生きてきた家族にとっては支援打ち切りは死をさえ考えなければならない時間なのです。
子供たちへの被災を恐れて、夫を県内において避難した家族は自主避難という形のため、夫との狭間で離婚になったり経済的な苦しみを味わうことになったようです。
報道は除染が済んで復興が進んでいる面ばかりを伝え、なかったことにされようとしている現状の中で、避難した人の中には生きていく困難を抱えている人も多くいるようです。
第1章 声を上げられない東電現地採用者
辺鄙な福島原発がある地域は、子供のころから東電に就職することが夢だった人が多かったと言います。原発は安全だと誰もが思っていたし、ほかに働くところも少なかったため、原発で潤っているといっても言い過ぎではなかったようです。
そんな幸せな街を地震で津波が襲い、原発事故が起きたのですから、すべての近辺の街の人たちの生活は一変することになります。
現地採用の東電社員は非常灯が切れた中で、出来ることをしようとしたが何も出来なかったようです。1号機の建屋の屋根が吹っ飛び、放射性物質が放出され、安全だと言われていた原発が安全でないことが分かり、被曝をした人も多く、自殺者もかなり出たようです。
いつも現場で働く人に多くの負担がかかっているようです。
第2章 なぜ捨てるのか、除染の欺瞞
除染作業員は全国各地から日雇い労働者たちが集められ、除染作業に当たっていたということです。
放射性物質に汚染された草を刈ったり、表土を取り除いて袋に運んだりするのが主なな作業のようです。
そんな作業員が数人亡くなったが引き取り手のない遺骨が安置されている寺があると言います。危険性と隣り合わせで、ストレスの多い仕事だが飲みに行く場所もなくひとりで部屋で深酒をする人もいるようでした。
犯罪も目立ち逮捕、摘発された作業員は706人にも上るということです。
急峻な山で落ち葉を集めていたとき、班長が汚染した落ち葉を川に流してよいというような指示を平気でだし、それが認められるような除染だったのです。
大手ゼネコンからのピンハネも大きく除染作業員に約束通りの手当ても渡っていませんでした。
著者は証拠がないと何も出来ないというキャップの意見から、作業現場の様子を写真に写し記事にしました。
政府も知ることになりますが、まだまだ安全とはいえない状態が続いているようです。
第3章 帰還政策は国防のため
2017年2月避難指示解除に向けた「浪江町住民懇談会」がおこなわれたが、避難者たちには、解除に伴って賠償や支援が打ち切られ、生活再建の当てもないままに帰るしか選択肢がなくなることへの不安が広がっていました。
「せめて第一原発から溶け落ちた核燃料を取り出せた後での復興を考えたらどうか」との声も上がったようです。今は、寝ているライオンがいつ起き出すか分からない心配がつきまとうといいます。
しかし、町と政府が一緒になって帰還を進めていて、解除後1年をめどにひとり月10万円の精神的賠償金を打ち切る方針のようです。
原発を残す理由は国防のためもあり、日本は核兵器への転換が可能な原発を止められないという事情があるようです。
核兵器保有国にはなっていない日本だが、いざ核兵器をつくろうとすると1年もかからないで核兵器をつくることが可能なようです。「核抑止力」のために原発を止められないのだと言います。
第4章 官僚たちの告白
福島第一原発事故は重要な情報が隠蔽されたようです。
放射性拡散予測が出ていながら公開されなかったこと原発がメルトダウンしていたのに隠されていたため、事実が分からず右往左往していたようです。
東電が事実を公表せず、政府もかなり苦労したようです。
ずっと福島原発で技術系の仕事をしていた男性から著者にメールが届き、事故前のこと、事故後、そして今も隠蔽を図っていた事実を明かし始めたと書きます。
がれきも取りのぞかれ、道路もきれいになり、外観上は大分整ったが、外から見えないところが問題だと。溶け落ちた燃料はどうなっているのかさえ専門家でさえ分からないとい言うことです。
自分が生きている間に燃料が取り出せるかどうかも分からない。「まだ帰るんじゃない」と彼は言ったようです。大気中へ海へ原発の建屋から放射性物質は拡散され続けている、ところが、基準以上の地点が散見される土地が、人々が「普通に住める土地」とされているようです。
危険な作業はまだまだこれからなのに、都合の悪いことは隠されます。
2013年の夏、南相馬市で収穫された米に基準を超える汚染が見つかり、現場は対策に追われたようです。この記事は私も報道から知り、今でも記憶しています。
この地域に基準値を超える米が出た原因は、原発のがれき撤去の可能性があると筆者が記事に書いたことにより、農産省が東電に再発防止を要請することになったようです。
しかし、再稼働するために、これらのことも「原因不明」として、隠蔽されいますいます。
結局は「核抑止力」のため東電を守るという、結論になったようです。
第5章 「原発いじめ」の真相
原発いじめは本当に大変だったようです。
個々に書かれていることは、いろいろと報道されて、私も記憶に新しいことばかりです。
子供の被爆を心配した母親と仕事で動けない父親が別居して、次第に心が離れ、離婚したり、家族がバラバラになったり、自殺したりと本当に大変な方が多かったのは報道されています。
それにもまして子供たちは、福島から来たと言うだけで、いじめにあい、つらい思いをした人も多いようです。
これには大人も加担していたようで、補償金のことでいろいろ言われたり差別をされたのは記憶に新しいことです。
特に自主避難をした人たちが、様々な面で苦労をしたようですが、働きながらのストレスで精神を病み、自殺をしてしまった方も少なからずいたようです。
原発事故は新たないじめを生み出してしまったし、まだまだ危険だと思われる地域にも除染が進んだという理由で、住宅提供を打ち切られ、政府が把握する避難者数は減っていくようです。
第6章 捨てられた避難者たち
郡山市でも放射線量が高く、肌を出してプールに入ることも出来なかったという。
子供を持つ親にとっては子供の被爆は深刻でした。そのため避難地区でない人も子供のために避難する人が多くいたようです。
そのようなとき、仕事を持つ夫と意見が合わず別居する家族も多かったようです。
このように母子だけ避難する家庭が増え、「母子避難」という呼称が一般化するまでになったと言うことです。
夫と意見が合わなくなり、生活費を止められ仕事を増やしたあげくに体を壊すようになった人も多いし、離婚した母親もいたと言います。
避難指示区域以外の避難者に対する風当たりが強かったようで、「勝手に逃げてきた」という扱いを受け、特に、事故後も自宅に住み続けている福島県民からの事故後もインターネット上の批判が激しかったようです。
冷たい視線の中で、自主避難者に追い打ちを掛けたのが、2017年3月末の住宅提供の終了でした。
自主避難者で住宅打ち切り対象は1万2千世帯以上に及んだが、「住宅提供を打ち切られると路頭に迷う」と、要望や署名が集まったが、「除染など生活環境が整ってきている」として打ち切りを決定し、避難者たちの声は届きませんでした。
除染は終わろうとしているが、放射能線は元通りではない。「国は面倒な除染はしないことに決めてしまったようです。
若者の未来を奪い、弱いものにしわ寄せがいく仕組みにどうすることも出来ない人たちが多いことを忘れてはいけないと思います。
『地図から消される街』感想
世界で唯一原爆の犠牲になった日本が、多くの原発を持っていることに疑問を感じます。
戦争を知らない世代になった研究者や官僚、政権を担っている政治家は「核抑止力」という名の下に核兵器を持とうとするのでしょうか。
日本は多くの原発を抱えて、もしよその国から狙われたら全滅することでしょう。
原爆で多くの命を失い、原発事故でその安全性は覆されたのに、いまだに「核抑止力」という名の下に原発を止めようとしない日本政府とそのご用学者たちの意のままに日本は動いています。
そして、その危険性の多くは隠蔽され、守られるべき弱い国民はいつの時代も翻弄されて生きていくことになります。
それでも、私たちは原発は必要ないと反対し続けなければなりません。