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『火の山ー山猿記』 津島祐子著|戦中戦後を生きた有森家の生と死と愛の物語

『火の山ー山猿記』は富士山のふもとの甲府で、東京帝大を卒業して、山の草や木、富士山の研究に心を奪われていた父有森源一郎の8番目の子供として生まれ、アメリカにわたって物理学の研究をしている勇太郎が、3番目の姉笛子の次女である由紀子に頼まて書くことになった、有森家のメモワールが物語の中心になっています。

由紀子と牧子あてのとても長いメモワールのコピーをその源一郎の日本語ができない娘牧子に送られたものを、牧子の夫が死んだ後に見つけ、日本語を勉強している牧子の息子勇平が読むという複雑な設定になっています。

NHKの朝の連ドラ「純情きらり」の原案となった小説ののようですが、私はドラマを見ていなかったので、思い入れを抱くことなく読むことができたことは幸運だったようです。

このような登場人物が多い長編小説をドラマを見てから読んだのでは、純粋に読み進むことができなかったのではないかと思いました。

田畑を売って甲府の街に家を建てた、源一郎の父母と源一郎と妻のマサの子供たちの物語ですが、あやふやな先祖の物語は戦国時代の武田信玄にとさかのぼっています。

村の大きな農家の出である有森家の小太郎夫婦が、息子である父の源一郎を学問させるために田畑を売り、その源一郎を迎えるために最後の土地を売り町に家を建てた。『火の山ー山猿記』はそこで生まれ死んでいった8人の子供たちの戦中戦後の愛と生と死の壮大な物語です。

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『火の山ー山猿記』 有森家の8人の兄弟の戦中戦後

長女の照子とメモワールを書いた一番下の勇太郎とは21歳も違っていて、勇太郎が生まれた時には照子は結婚していたというから親子ほども年の違う兄弟でした。

私もこの小説の作家とは同じ年代で、戦争は知りませんが、父は7人兄弟、母は8人兄弟という生い立ちなので、この小説の背景が分かるため、人が生まれ死に行くという人知を超えて生き継いでいく人間の切なさを自分の身に置き換えるように読み進めることができました。

我が家の父の弟妹も母の弟妹もこれほどにドラマチックではありませんがそれぞれにその時代を生き抜いて現在は数人が残っているのみです。

父も父の弟も戦争に行きましたが、戦地の様子など一度も聞いたことがありませんので、私の戦争の知識はすべて本から得た知識ですが、本人たちはそのような経験は話したくなかったのだと今は思っています。

この物語の中の源一郎と妻のマサの2番目の子供である長男は生まれてすぐに死んだので実際は7人兄弟ですが、父親の妹が子供を産んで間も亡くなくなり、祖父母の養子となっていたキヨミは長兄小太郎より1歳下で実際は男2人女6人の子供たちと父母、祖父母との11人家族で生活を共にしていることになります。

勇太郎は兄の小太郎とは10歳以上も離れていた上に、小太郎は学業、運動ともに優れていて、社交家でもあり、仙台の高等学校に行き、東京帝大の医学部に合格、一家の希望を一心に背負っているような子供でしたが、在学中に病死してしまうことから一番下でありながらその後は家長の座を担うことになるのが勇太郎なのです。

数年前に父源一郎もなくなっており、キヨミも女学校を卒業後祖母の実家の寺尾家に移り横浜に嫁いだがそこを出てしまってデパートに勤めていました。

有森家で一番頭が良かった笛子は父親が理工系に進むことを望んでいたが、東京の女子高等師範学校に行き小太郎を尋ねるようになっていました。

話は前後しますが次女の駒子は東京の女子大学を卒業と同時に恋愛結婚をして上海に渡っていたが、子供が亡くなり結核になって戻ってきていたのを、杏子がかいがいしく看病していたが、小太郎の死後亡くなります。

デパートに勤めていたキヨミはその頃の学生が読んでいたようなマルクス思想に近づいていて小太郎との間の連絡を取ってしていました。

その時代の学生にとってその思想は誰もが少なからず影響を受けていましたが、運が悪いと特攻につかまってしまうような左翼思想で大学教授などが捕まることも良くあることでした。

そのような中で小太郎が亡くなり、駒子が亡くなり、キヨミの子供が亡くなり、日本は満州事変へ進み、国民の生活が脅かされるようになっていきいました。

北海道に嫁いだ優しい杏子が夫の暴力で耳が聞こえなくなって戻ってくるという事件もあり、有森家は寂しさを増していくことになります。

勇太郎の二歳上の姉桜子は音楽学校に行くことを強く願っていたが、有森家にはそのような経済的な余裕はなくあきらめざるをいませんでした。

迷いながらも長女の照子のお眼鏡にかなった松井達彦と結婚することになり、嫁入り支度を整え結婚という段階で、達彦は徴兵されて7年も待つことになってしまうのです。

桜子は知り合いの旅館に泊まっているという杉冬吾という画家の絵と人物に惹かれ、婚約者の達彦を戦地に見送った後に、笛子に手紙を書いたことから、杉冬吾と笛子が結婚することになります。

この杉冬吾という画家のモデルは太宰治なのでしょうが、画家として父源一郎が集めた様々な石に興味を抱き、富士山のふもとの甲州に住む有森家の抱えているカオスのようなものを描くことによって認められるこの物語では画家であることの必然性が感じられます。

その間に太平洋戦争が勃発、照子の二人の息子も徴兵され、勇太郎も兵学校の教官になり、日本は戦争一色になってゆく中で母と二人で甲府の家を守っていた桜子だったが、母が体調の悪いのを我慢していたために手遅れになり亡くなってしまいました。

日本中に空襲警報が鳴り響き、焼夷弾が落とされて東京をはじめあらゆる場所が焼け野原となっていく中で一人寂しさを抱えていた桜子のもとに杉東吾と笛子が子供たちを連れて疎開してきましたが、甲府も焼夷弾を落とされ住む家がなくなってしまいます。

東吾と笛子たちは青森に疎開することになり、桜子も間もなく姉の照子ともとに身を寄せることになりますが、生き残っていた姉たちと勇太郎はそれぞれに大変な思いをしている中で終戦になります。

終戦になったからと言って、生活が楽になるわけではなく、食糧不足と物価高に悩みながらの生活ですが、そんな折長女照子のの2人の息子は結核で倒れるように戦地から帰ってきますが、相次いで亡くなります。

この時期は結核は死病として恐れられていて、亡くなる若い方が多かったことは誰もが知っていることでした。

今は結核も少なくなり良い薬が出ていますが、その頃はそのような薬を手に入れることさえ大変な時代であったようです。

日赤に勤めていた杏子が、結核で奥さんを亡くし、2人の結核患者の子供のいる人と結婚しますが、この子供たちも亡くなります。

終戦から2年も過ぎたある日、桜子の婚約者の達彦が無事に戻ってきて結婚、妊娠した桜子は下痢が続き腸結核だということが判明、子供は無理だと言われたのですが、7カ月で帝王切開で産むことになります。

医師に子供はあきらめなさいと言われるが、桜子にはそんな気持ちは毛頭ない。授かった子供を産むのは女の喜びと言いきって子供を産むが、その子を一度も抱くこと亡くなくなってしまいます。

桜子が輝一を帝王切開で産んだのが4月、笛子が3番目のこの物語の作者となる由紀子が生まれたのが10月です。

その頃東吾には取り巻きの女たちが増えていて、笛子の悩みが深くなっていたのですが、ある日東吾は謎の死を遂げてしまうのです。

それは桜子の命が消えようとしている時と重なり、姉たちや弟の勇太郎には耐えがたい悲しみの時をもたらしますが、乳飲み子を抱えた笛子の嘆きと動揺は察して余りあるものでした。

『火の山ー山猿記』は兄弟、姉妹、父母、祖父母たちが生まれ、どのように死んでいったかを綴った物語ですが、自分でつかみ取ったように生きられたとは言えない生を、富士山のどっしりと構えたすそ野で生まれ育った人たちが、時代に翻弄されながらそれぞれが懸命に生きた、生きざまと死が綴られています。

東吾の謎の死と桜子が腸結核で亡くなる時期が重なるころの描写は、読者である私の心に生きることの切なさと死を迎える悲しさが交錯して、生きることの真の意味が問われているような心地で読み進みましたが、自分が心のままに生きているという思い上がりを知らしめさせられました。

最後に死についての思いを書いた本文を書き残しておきます。

死ぬ時に、ああ、私にはもっと別の人生があった筈なのに、と自分の生涯を後悔しなければならない程不幸なことがあるだろうか、と今まで私は思い続け、そして死ぬのも怖れ続けていた。でもこうした後悔は随分傲慢な思いなのかもしれない。

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始まりがあれば、終わりがある。

単純な終わり。後悔も満足もない。ただ、それだけ。

死とはそういうもの。

 

ちなみに作家津島佑子は太宰治の娘です。


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