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『孤独を生ききる』瀬戸内寂聴著|老いの孤独の厳しさ

2016年3月20日

『孤独を生ききる』は1998年10月20日の初版となっているので、20年近くも前に書かれたもののようですが、人間が生まれて死ぬまでの孤独というのは、いつの時代であっても変わりはないようです。

1973年に得度し瀬戸内晴美から瀬戸内寂聴と名前を変えて執筆活動のかたわら、名誉住職を務める天台寺(岩手県二戸市)、四国(徳島県鳴門市)、京都・寂庵(嵯峨野)などで定期的に法話を行なっていたようで、法話のある日はたくさん人が集まっていたのをニュースなどで見たことがあります。

『孤独を生ききる』は、寂庵を尋ねてきた方の悩みに答えるというかたちをとって書かれた部分がかなりの部分を占めていて、主に恋愛や失恋などの悩みにどんなに愛し合っていても所詮は相手のことは分かり切ることはできないので恋愛にも孤独感はつきものだということを書いています。

最終章は老いの孤独を文学を通して書いていますが、老いの孤独は死と隣り合わせであるがゆえに逃れようのない孤独感を味わわなければならないといいます。

現在の社会の中で経済的に、体力的に弱いご老人がどうしようもない孤独の厳しさと闘っている方が多いのではないかと心を痛めながら読みました。

作者は現在90歳を超えていますが、この本を書いたころは70歳くらいですので、かなり元気で精力的に執筆活動や法話などをこなしていた時期のようです。

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人生経験の豊富な作者が孤独感とともに生ききるすべを説く

瀬戸内寂聴は奔放とも見える生き方をしてきたと思われていましたが、それが故の寂しさも人一倍感じてきたのではないかというのが読後感です。

3歳の子供と夫をおいて夫の教え子と恋愛関係になり家を出るが、結婚には至らずその後も何人かの男性と恋愛関係になったようです。

小説の中では妻のいる男性との恋愛も書いていますが、暮れ正月、クリスマスなどの行事の時の寂しさはたとえようもなく、暮れから正月にかけては毎年旅先で送るのが習いとなっていたというようなことを書いていますが、実際にそのようなことがあったのかもしれません。

感受性が大きければ大きいほど、心の空洞も大きかったのではないかと思われるように、このエッセイはそんな悩みを持った方に親身に答えてくれます。

人間の心は移ろいやすいのが常ですし、一寸先も見えないからこそ生きていけるのではないかと思いますが、その寂しさの中にある人にとっては出口の見えないこともあることでしょう。

結婚をして子供にも恵まれ幸せそうに見える人が寂しいと言っても心の寂しさは誰にも見えないかもしれません。

長い人生の中ではだれでも病苦や人間関係で悩み、出口が見えなくなったという方も私のみならず多くの方が経験していることと思います。

たくさんの方に祝福されて結婚しても、かなり離婚する方が多いように分かり合えたと思って結婚しても人の心など何年たとうが分かり合えることなどありようもなく、ますます離れていくこともありうるのです。

私は、夫の心も分かりませんが、かなり成長した子供の心さえも見えないし、想像ができないと時々感じますがそれも仕方のないことだと思えるようになっています。

自分の心の中さえ見えなくなることがあるのですから、どんな身近な人であっても見えないのが当たり前だと思えば孤独感はぬぐいきれないものだという事が分かります。

人に頼らないで、人のせいにしないで自分を見つめて生きていかなければならないと思っていますが、そこまでの覚悟はできず頼り切っている自分が見えるだけに、老いて本当に一人で生きていかなけれならなくなったときにはどうなるのだろうという不安はぬぐいきれません。

瀬戸内晴美が出家すると聞いた時には私もびっくりしましたし、たくさんの方が驚いて止めた方もいたようですがその気持ちも書いてはありますが、私には想像を絶するものだったように感じられます。

修道女を志すも過去の行動から断られ、出家をするために寺院をあたったが断られ、作家で天台宗僧侶の今春聴(今東光)大僧正を師僧として中尊寺にて天台宗で得度したといいます。

そう考えると並々ならぬ決意のもとに仏門に入ったことが思われ、平安時代の昔から折に触れ仏門に入って行ったような心境がよみがえってきます。

その後、犯罪にかかわった方と交友を持ったことなどがあるようで、永山則夫連続射殺事件で死刑執行された永山則夫などとも親交があったということで、様々な方の心の支えとなり寂しさを慰められたようです。

孤独の中でも老いの孤独感ほど凄まじいものはない

若い時の失恋や離婚などによる様々な孤独感があり、そのような寂しさは日薬という時間が孤独感を和らげてくれることもあるが、老いの孤独というのは逃げ道がなくその孤独感はかなり大きいと書いています。

私も昔で言えば、寿命の年齢になっていますが、それほどの孤独感を感じないのはなぜなのだろうと思うことがありますが、子供が小さかった若いころに死に直面したことがあるので、その時に比べたら今は何の心配もなく死を迎えることができるという気持ちがあるのだという思いもあります。

しかし現在は死に直面するような病気になっているわけでもないのでこのようなのんきなことを言うことができるのではないかという思いはかなり大きな部分で持っています。

私と同年代の友人が病苦の中で苦しんでいるのを見守っている今の時点で、このようなことを書いていることに傲慢さを感じないわけにはいきません。

どんな時でも、人も苦しみをわが苦しみと同じように考えてはいけないのでしょう。

また93歳で1昨年に亡くなった母の晩年の寂しさを見ながらもどうすることもできなかった私自身が2年を過ぎた今でも情けない気持ちを持ち続けています。

母の場合の寂しさは老人性うつ病も引き金にはなっていたのでしょうが、認知症もありそれまで優しかったと思っていた家族が急に相手にしてくれなくなった寂しさが孤独感となって凄まじい寂しさになったのだろうと思いました。

私が今まで生きてきた中であれほどの孤独感と寂しさを抱えた人間を見たことが無く、それが自分の母親だったという現実は、私の生涯の寂しさとしてひきずらなければならないものです。

脳梗塞を若いころに患い、寝たきりで言語障害になっていた父を5年ほど看取り亡くなった時に、独りぼっちになったような気がすると言っていたのは聞いていました。

その後、同居のの曾孫、外に嫁いだ孫の子が次々と生まれて遊びに来ていてかわいがっていたので、本当の寂しさを感じることが無かったのでしょう。

私たちがたまに行ってもいつも明るい顔で迎えてくれましたが、ある時を境に陰りのある顔つきになっていましたので、私が精神科に連れていき、元のように明るくなってほしいと思いましたが、私の願いはかないませんでした。

我が家に引き取ろうと思い、まだ話が分かる段階の母を連れてきましたが、自分が住んでいた家より良いところはないようで我が家にもいることができませんでした。

この本を読んでいて、「孤独の中でも老いの孤独感ほどすさまじいものはありません。」と書かれたものを見て納得することになりましたが、それがあの母の寂しさだったのかと思い出しました。

誰もが通る道であったもその大きさは人によって変わるでしょうし、私も何人かの人を見送りましたが、母のような寂しさと孤独感を抱いていた人は見たことがありません。

母は苦労はしましたが、人間関係には恵まれていて、いつも大勢の人に囲まれているような人だったために孤独感は普通の人よりも少なかったような気がします。

その反動があの寂しさと孤独感になったのだと思うと複雑な気持ちになります。

今後の私のことはどのように考えても想像がつきませんが、私も母のような寂しさと孤独感を抱いて旅立つのだろうかと考えるとやりきれない思いになります。

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