「風葬の教室」は都会から田舎の学校に転校してきた杏(アン)が最初は受け入れられるのですが、あることをきっかけに陰湿ないじめに合い、自殺まで考える小説です。
「火花」の選考委員だった山田詠美の選考に至った文章を読んでいて、山田詠美の小説を読んでいないことに気づき購入して読みました。
また、中学生の国語で使われることが多く、その頃に出会ったという感想文が新聞の「読書」の欄に書いてあったことも読むきっかけにっています。
「風葬の教室」は、平林たい子文学賞を受賞した作品であり、心理描写が巧みで登場人物の心のひだが伝わってきて一気に読んでしまいました。
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学校でのいじめが蔓延している中一つの解決策を提示している
父親の転勤で転校することの多い「杏」は小学生としては感受性の豊かな少女で、都会から田舎に転向した時に、気がかりだった嫌われないことには成功しました。
しかし、「同じ年齢の子に好かれるのはとても面倒くさい。」と思う大人びたところがある一風変わった子でもあります。
風葬の教室 本文より抜粋
生まれてしまった人間は、もう変えられないものを体の芯に持っていると悟った私は、土地が変わるとカメレオンように肌の色は変化するけども、結局は同じだと思っていました。
私は、無駄な抵抗をとうにあきらめて、どこに行っても、私自身であることを変えないようにしようと決心していました。
何度も転校を繰り返した杏はかなり大人になっているようです。
平穏に学校生活を送れることになったと思っていた杏にその平穏さは長く続きませんでした。体育の吉沢先生に好意を持たれたことによります。
吉沢先生はクラスを仕切っている学級委員の恵美子が好きな、若くて格好の良い先生ですが杏を特別扱いをするのが誰の目にもあからさまになったことによります。
クラス全体からいじめの対象とされた杏は担任の先生からも叱られるようになって行きました。
いじめとは宗教のようなもので、すべてを巻き込んでしまうようでした。
教室中に広がるいじめの輪を感じ取った先生は幼稚さゆえに、その輪の中に入った方が楽であると感じたようでその輪の中に入ってしまったのです。
先生でさえ、宗教のようにはびこって行くいじめをなくすために努力するよりは、その輪の中に入った方が楽なのだと気が付いたとたん、先生の幼稚さとクラスをまとめることの難しさを感じました。
ここに現在、蔓延しているいじめがなくならない要因があるようです。
いじめに先生も加担しているようなニュースを聞くたびに疑問に思っていたことを作者は杏を通じて教えてくれています。
あろうことか、女の子の輪の中で恵美子が吉沢先生にラブレターを書いているところを通りかかった時に罵倒と暴力を受けていた杏に何も知らない鈍感な吉沢先生が助けに入ってくれて保健室に連れて行ってくれたことによりいじめは過酷化してしまいます。
ついに死を覚悟して、いじめた人たちへの復讐の遺言を書き始めることになりますが、その遺言の下書きを書いて、首を吊れそうなものを流しの下から物色していたときです。
隣の部屋の母と姉が、杏のために明日シュークリームを焼いてあげる相談をしているのを聞いたとたん我に返ります。
正直に言って、私は自分が死ぬことなど少しも怖くはない。
けれども、後に残された人々のことを考えると恐怖で体が震えます。
私は、その時、生まれて初めて責任という言葉を噛みしめました。
私は自らの手で自分を消してしまいたいと決意した時に、責任という足枷の存在に気づいてしまったのです。
私はただの一個の人間ではなかったのです。目に見えない足枷によって身動きの取れない幸福な奴隷だったのです。
風葬の教室 本文より抜粋
次の日学校に行った杏は疲れた頭の中で、ふいに聞こえてきた理科の先生が血をたっぷり吸った蚊を殺した方が楽だと言っているのを昨夜の姉の言葉と重ね合わせていました。
姉は小さいときにいじめられたことを「全然平気だったわ。いじめっ子を一人ひとり自分の心の中で殺して行ったったもの。」という言葉を思い出して心の霧が晴れて行ったのです。
杏は生き返り、軽蔑という方法でいじめっ子を殺す方法を選んだのです。
吉沢先生に気をひかせるような行動をとりながら、恵美子をを貶めて心の中で殺していきます。
私の心には墓地がある。けれど、私は死骸に土をかけてやる程、親切ではありません。
死んだ人を野ざらしにしておくことを風葬というのだそうです。
風葬の教室 本文より抜粋
風葬の教室は1988年3月に出版されました。
30数年前に書いた本が少しも古びていないのです。名作とはこのような本をいうようです。