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何歳になっても母を失うのは寂しい

著作者 daniel.schiersner改変 gatag.net

93歳の母が6月29に亡くなり、喪中のはがきを書きました。

喪中のはがきが届いた数日後に、20数年前に住んでいたところでお付き合いしていた数人の方から心温まるお悔やみのお便りをいただきました。

父は80歳で亡くなったのですが、父を亡くした時と違った寂しさを引きずっています。

妹と夫と3人で外食をしていた時に妹とそんなことを話していましたら、夫がとても怪訝そうな顔をしていました。

父親の死も、母親の死も悲しいのは一緒だろうと思っていたようです。

親との関わり方によって、それぞれに異なる感情を持っているのでしょうし、どのような最後だったかが大きく影響していて年齢ではないのかもしれません。

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親の死はかかわり方で悲しさが異なる

93歳で亡くなったのですから、天寿を全うしましたと書く方も多い中で、私は喪中のはがきにその言葉は書けませんでした。

悲しみが抜けないのは幸せな最後にしてあげられなかったことと、最後を看取ることができなかったことが大きいのだと自分では思っています。

年齢的には十分だと思いますし、私が入院をすることになって十分なこともできず、これ以上長生きしてくれても体力的に面倒を看きれないと思っていますが、それでも悲しみは引きずっています。

私たちが行くたびに母は、「娘が一番良い」と言って、認知症が入っていても最後まで私のことをわかってくれたのが救いでした。

そして、何よりも良かったことは最後までトイレに連れて行ってもらえただろうことです。

3人の寝たきりのおむつの世話をした母の最後のプライドを保つことができたことは、本当に良かったと思っています。

施設の待遇など、色々と問題になっているところも多いようですが、母は最後まで人間らしく扱ってもらうことができました。

父は何度目かの脳梗塞のため半身不随になってしまってからは排尿の感覚がなくなっていたので、本人は気持ちが悪いこともなく、母が世話をしていたので安心しきっていたようでした。

その点、早くに病気になったことは別にしても、父の最後はとっても幸せだったと思います。

母のことは母個人の問題ではなく、今後増えていくだろう介護老人全般のことなので、忘れることなく今後の課題として覚えておこうと思っています。

それにしても、母からは最後までいろいろなことを教わりましたので、折に触れて思い出すだろうと思っています。


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