私はテレビをつけて、いろいろと仕事をしながらニュースを聞いていることが多いのですが、気になるニュースがあるとテレビの前に向かいます。
1月の住宅が全焼をして、99歳の母親と同居する63歳の息子の2人が助け出されたようですがその後死亡した火事の原因は、寝ていた母親の布団に灯油をまいて、心中を図ったのではないかとみられるというニュースでした。
99歳の母親は8年あまり寝たきりに近い状態で63歳の息子との二人暮らしだったと言う事です。
担当していたヘルパーとやりとりしたノートには「疲れた」とか「楽になりたい」といった記述があったということで無理心中の可能性が大きいようだと言う事でした。
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高齢の母親を介護している息子には行政の助けが必要だったと思う
私はこのニュースを聞いただけですが、年齢から察するとこの息子は55歳くらいから寝たきりに近い90歳を過ぎた母親の介護をしていたことになります。
年齢的に働かなければならない状態で、母親の面倒を見ると言う事の大変さは思っても余りあります。
私も93歳の母親がいるので、デイサービスに行っていたとしても介護は一人では背負いきれないほど大変だったことが痛いほどわかります。
現在の介護制度で、このような状態の介護老人をケアマネージャーなどは救いきれないほど、介護の現場は大変なのでしょうか。
施設はどこもいっぱいで入居待ちの状態が続いているようですが、早急に入居待ちの介護老人を受け入れるところを増やさない限り、同じような事件は後を絶たないのではないかと思わされています。
どのように考えても、住み慣れた自宅で人間らしい最期を送ることなど夢物語だと言う事を介護の現場も政治家も厚生省の役人も知るべきではないかと思います。
認知症だったり、寝たきりに近い老人を仕事をしながら、一人で看ることなどできることではありません。
地域ぐるみと言ったところで、現在は元気な方が家にいるなどと言う事は少なくなっています。
母は昔から、地域とのつながりの大きな場所に住んでいましたが、現在はそのようなところでも、皆が忙しくしていて、他所の老人の面倒を見てもらうことなどかなわないことなのです。
その地域の中で、きちんとしたシステムが出来て、常時介護に携わってくれるところでも作らない限り口先だけで住み慣れた家でと言う言葉は私は聞き飽きるくらい聞いています。
しかし、現状はそのようなところはないに等しく、デイサービスに介護保険を使っていくか、ショートステイに行くかと言う選択肢しか残っていないのです。
そして、それ以外の時間は家族の誰かに介護が重くのしかかってきています。
認知症になった老人の介護は、体力がなければ気持ちだけでできるものではありません。
私は老人性うつ病から認知症になった母と真っ向に向き合ってきましたが、介護で一番大切なのは症状がで始まった時であり、その時の対応によって症状の軽減もできるのではないかと思ったことですが、そんな時は誰も手助けしてくれないのが現状でした。
そして悪化してからはとても介護が大変になっていました。
現在、軽度の認知症のために介護を受けることが出来ずに行方不明になる方が続出しています。
そのような時期こそ、何らかの助けがほしいときなのです。
老人性うつ病がきっかけだった母は一人でいることが出来ずに泣いてばかりいて、歩けない足で寂しさから逃れようと他所の家に行って車に接触したりしていました。
そして、ケアマネージャーさんが来たときは、寂しくないと言いますが、お医者さんは分かってくれましたが、ケアマネージャーさんはその意味さえ分かってくれませんでした。
そこに誰かがいるのですから、寂しくもありませんし、認知症がかなり進むまでは症状が分かりませんから、介護度はなかなか上がりませんでした。
誰もいない時に寂しいのですから、誰かが、「どうですか。」と聞けば「元気です。」と答えるのが当たり前だということから、かかわる必要があるのです。
そんな陰の状態を理解しようとするケアマネージャーを育てなければ、病状を悪化させてしまい、介護が大変な老人が続出すると思います。
心中を図らなければならないような状況を少しでも減らす努力は急がなければならないと思っています。