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『職業としての小説家』村上春樹著|一貫した村上春樹の小説家としての生き方

2016年2月27日

『職業としての小説家』は35年あまり小説を書き続けている村上春樹の自伝的エッセイで、2015年9月に発売されているので最新のエッセイと思っても良いのでしょうが、以前に書かれた内容も入っているので、私は初めて読んだような気がしませんでした。

1995年11月に行われた「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」と2007年10月に、文藝春秋より刊行された「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでいるので、村上春樹の考え方や哲学はある程度私の中に根付いていました。

そのうえでこのエッセイを読むことになったので、より深く村上春樹という小説家を知ることになりました。

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村上春樹という小説家の自伝を読むことにより、村上の小説を深く理解することができる

小説家について何も知らない状態で作品を読んだ場合と、その作家をある程度知った上で小説を読むのとでは読後感はどのくらい違うのだろうか、と考えてみることがあります。

中学生や高校生の頃は、作品から読み始めて感動した時に、その作家の書いたものを何作も読むという感じだったような気がしますが、1作しか読んでいない小説家も多かったような気もします。

しかし、その頃はさほど難解な小説を読むということもなかったし、「野菊の墓」など涙を流しながら読んだ本は歌人、伊東左千夫の小説であり、小説家としてよりも歌人として活躍した人なので、小説は「野菊の墓」しか読んでいません。

また「次郎物語」は何度も何度も読みましたが、作家の下村湖人についてはほどんと知らず、次郎物語しか読んでいません。

どちらも有名な作品で、何度も映画化されたり、テレビドラマになったりしましたが、私の本との出会いはこのようなところにあるようです。

海外の小説は「赤毛のアン」であり、「風と共に去りぬ」ですので、作家について知らなくとも理解できるような小説を読んでいました。

同じ作家のものを数多く読むようになったころから、作家の生い立ちや考え方を知りたいと思うようになって自伝やその作家について書いたエッセイのようなものを読むようになった気がします。

しかし、太宰治の「人間失格」などは自伝的な要素が大きいので、どのような家に生まれて幼少時を過ごしたかなどの生活がかなりわかるので作家を特別に理解しなくてもある程度は分かるような時代背景を持っていました。

しかし、村上春樹のように実生活とかなり異なった小説を書く作家についてはある程度の作家像があった方が理解し易いように思いました。

私は小説から読み始めたのではなく、自伝的なものを先に読んでいたので、私生活と小説の大きなギャップに戸惑いました。

そして「職業としての小説家」を読んで、村上春樹がどのように小説を書いているかを知って、私が今まで読んだどの作家とも異なる文体をもって意識の底から救い上げた物語を書いている作家であることを知りました。

現代という時代の中で小説を書き続けることの大変さを改めて知ったような気がします。

河合隼雄にどのくらい思い入れがあるかもこのエッセイを読んでわかりますし、私はどのくらい理解しているかは別にして、河合隼雄という人の人間の深さに驚きを感じながら本を読んだ時期を思い出しながら、どこかで相通ずるものがあるのだろうと思いました。

それが顕著に出ているのが、「ねじまき鳥クロニクル」であり、この小説は今まで読んだ村上春樹の作品の中では大好きな作品です。

それとは別にして、村上春樹がたくさんの読者を持っているのは、かなり苦労して作り上げた文体であり、作品を世に出すまでに何度も何度も書き直し、ゲラ刷りになった段階でも真っ黒になるくらい数度は書きなおすという作業に、体力が無ければ小説は書けないという村上春樹の考え方が伝わってきます。

ご自分でもおっしゃっているように、音楽を聴くように心地よい文章を手に入れることになったことで、内容が複雑でも読みやすいという文章につながったではないかと思いました。

そして、その美しさがある読者にとっては嫌いな部分となり、きれいすぎることが反感を買うことになってしまうのではないかと思いました。

ネットの時代だから、このくらい反感を持つ作家が出てくるのかどうかは分かりませんが、私が初めて読んだ小説、「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」のレビューの嵐を呼んでびっくりしました。

これくらい反感を持たれる作家もいないのではないかという思いと、村上春樹ファンの多さにも驚きの念を感じました。

今までの私の考え方ですと、嫌いな作家は読まない、分からなかったら止めてもう一度読み直してみるという考え方をするのが普通だと思っていましたが、それがこれほどまでに好みが分かれるのは何だろうと考えてしまいました。

その結果感じたことは、華麗な文体と読みやすさによって誰もがある程度は読みこなすことができることから、その作品の読み方によって賛否両論だできるのだろうということでした。

しかし、読みやすさと裏腹に言わんとしていることはかなり深く、読み込み切れないもどかしさも感じることになります。

国境の南、太陽の西」の僕と島本さんの関係はどのように理解したらよいのか今も私の心に引っかかっています。

これは、読者に託された読み方になるのでしょうが、この二人の問題をどのように読み解くかが好き、嫌いの分かれ目になるのだろうと思っています。


これは、「ねじまき鳥クロニクル」を書いた時に入っていたもので、詰め込み過ぎということで、別の作品として出版したと書いていますが、「ねじまき鳥クロニクル」にはこのような甘い部分はどこにも見当たらないことからも私にとっては分からない部分になっています。

作家としてどのように書いたかは、作品が世に出てしまえは問題にならないことですし、そのことと作品は切り離されて読み手にすべてがゆだねられることになるのですが、読み手の裁量も問われることになるのではないかと私は思っています。

私は古典と言われる小説を若いころに読んで、ある程度の年になった時にその小説の良さが分かったという経験を何度もしているので、分からないものはそのままにしておくことにしています。

そして、人間は一人ひとり異なっているのですから、はっきりと嫌いだと言ってくれる読者がいることの方が作者にとっては良いことなのかもしれません。

ほめ殺しという言葉があるように。

私はマスコミに媚びず、文壇にも属さず、このくらい徹底して小説を書き続けている村上春樹という作家の姿勢をとても好ましく思いました。

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