私は、実家から300キロ以上も離れた地で、誰にも頼れず子供を育て、家を建て、借金返済のために昼夜働いてきました。
父が70歳を過ぎたころから何度も入院をしましたが、私も仕事を休んで何度も病院に付き添いました。
母も老いていたので、一人では無理だという思いからでした。
スポンサーリンク
母は昔自分がしたように家族が老後の面倒は見てくれると思って疑うこともなかった
その時の母は父が残したお金を持っているようでしたが、孫や、家のためにつぎ込んでいるのを見て、私も精いっぱいの生活だから、お金は残しておくようにと何度も言ったのですが、のんきな母はそんな時には家の人が面倒を見てくれるだろうというのが常でした。
私が病院に付き添っていても最後は自分の家の人が面倒を見てくれると疑うこともしないようでした。
家の人に最後は面倒を見てもらうつもりだった母は貯蓄がいくらあるかも言わなかったので私は何も知りませんでしたが、孫が結婚するときは部屋の増築費用を出してあげたり、曾孫にはかなり高価なものも買ってあげていたので、貯蓄はかなりあったのではないかと思っていました。
その後父が亡くなった時に、母の面倒は見てもらえると信じていた私たちは私たち兄弟はすべての財産放棄をしました。
田畑、山林、家、父の貯蓄など、今一緒に住んでいる家族が相続をしていますし、不動産はかなりあるのはわかっていますが、貯蓄はどのくらいあったかも聞きもしませんでした。
そんな母が老人性うつ病になり、認知症になりました。
全財産を引き継いだ家族は介護医療費の負担が大変だと顔を見るたびに言います。
現在はさほどかかっているとは思えませんが、それでもそのように口癖のように言うのを聞くのはつらいものです。
現在の状態からして、今後大変になるのは目に見えています。
それでもお金がかかるから、介護度をあげると負担金が大きくなるという母の家族に私は何をすればよいのだろうかと思うと胸が痛みます。
私も誰の世話にもならずに2軒の家をたてて、いつ自分が介護を受けなければならないかはわからない状態でも、少しは働いているので金銭的な援助はしたいと思うが、それも受け付けないので困っています。
そんな現状の中で、話の通じない母を病院に連れて行っていますし、一人でさびしくて仕方のない母が一人でいる時間が少なくしたいと思っています。
私も夫の親にはこんなに親身になることはできないと思うので、仕方がないと思うし、今後は夫の親を共倒れになるまで見ることはないだろうから、母のような高齢者は増え続けると思うと最後まで住み慣れた家でという政府の考えは、社会情勢とのギャップが大きいと思っています。
そこに長生きをする高齢者を看取る子供も体力が衰えているので、持病を抱えた私の現状からは介護施設のお世話にならなければとても体が持ちません。
病院に連れて行くだけでも、体力的に大変になっている私も、様々な問題を抱えて投げ出したい気持を持つこともしばしばです。