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『東京奇譚集』村上春樹著ー5作の短編集

東京奇譚集

村上春樹の作品は短編は簡単に読め、長編より軽い気持ちで読めますが、どちらも面白くお勧めできる作品です。

奇譚とはありそうにない話ということですが、そんな短編が5作品からなります。2005年発行で「新潮」に発表さえたものに書き下ろし1篇を加えた短編小説集です。

長編小説でも現実からはなれた作品がほとんどなのですが、短編集は回りくどくないため簡単に読めます。

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『東京奇譚集』のあらすじと感想

「偶然の旅人」「ハナレイ・ベイ」「どこであれそれが見つかりそうな場所で」「日々移動する腎臓のかたちをした石」「品川猿」5篇まとめた小説集です。

分厚い本が3冊という作品が多い中で、気楽に読み進むことができるので、移動の際などに読むのに適しているようです。

「偶然の旅人」あらすじ

ケンブリッジのジャズ・クラブでトミー・フラナガン・トリオの演奏を聴いていたが、その夜の演奏はあまり感動的ではなく、そのまま終わることに焦りに近い子持ちで聞いていたようです。

もし、「聞きたい曲があるなら、2曲ほど行ってくれ」と言ってくれないかと思いながら聞いていたところ最後になって何も言わないのに、その2曲「スタークロス・ラヴァーズ」と「パルバドス」というあまり演奏される機会のない曲を弾いてくれた。

その2曲が演奏される確率は天文学的だと書いている。まさに思いが演奏者に届いたような瞬間だった。

二つ目の出来事はバークレー音学院近くの中古レコード店でレコードを探していてペーパー・アダムズの『10 to 4 at the 5 Spot』リヴァーサイドのふるいLPレコードを見つけた。ニューヨークのジャズクラブで演奏したもので彼らは熱くなって、午前4時10分前(10 to 4)まで演奏した時のライブ盤でとても状態の良い物でした。

レコードを買って店を出ようとしたときに、すれ違いに入ってきた若い男に「今何時」と声をかかられました。機械的に「Yeah, it,s 10 to 4」答えた後で、そこにある偶然の一致に気づいて息を吞んだ、と書いています。そんな偶然の中で気づかずに私たちは生きているようです。

次は知人のピアノ調律師の話で彼はゲイです。それを家族の知るところとなり、家族の中で一番親しかった姉がまじかに結婚を控えていて、結婚話が暗礁に乗りあげそうなり、何とか相手の両親を説得できたのだが、そのために姉は半ばノイロゼー状態になり、ひどく腹を立てて仲たがいしてしまいした。

結婚式にも出ず、親密さは戻らないままに、彼は調律師として仕事にも恵まれて満ち足りた生活を送っていました。

火曜日になるとモールの大きな書店に入り、面白そうな本を買い求めて書店の一角に設けられたカフェでコーヒーを飲みながら本を読むのが彼の火曜日の過ごし方でした。

そこで『荒涼館』を読んでいたのだが、疲れたためにウエイトレスを呼んでコーヒーのお代わりを頼みトイレに行って帰ってくると隣で静かに本を読んでいた同じ年齢らしい女性に声をかけられました。

彼女とは同じ本を読んでいたのです。彼女は子供が二人いるので家ではなかなか静かに本を読む時間が取れないとのこと、『荒涼館』は読書クラブで読むことになった本であることなど話し、一緒に食事をしました。

次の週もそこに行くと彼女は別のテーブルで本を読んでいたが、昼前になると彼女が彼のところにやってきて、先週と同じように食事をし、帰りに静かなところに行きたいと手を取られました。彼はゲイであることを告げると、彼女はいやなことを言わせてしまったと謝り、彼女を優しくなでて上げたとき、右側の耳たぶにほくろがあることに気が付きました。

彼女はあさって乳がんの再検診を受けることになっていて、本当だったらすぐ手術をしなければならないといい、夫にも誰にも言っていなくとても怖いというのです。

次の週の火曜日は彼女は来ていなかったしジムに行く気にもなれずに家に帰り、姉のところに電話をかけると姉は喜んで時間があったら、彼のところに来るといいます。姉もずっと彼に謝りたいと思っていたようです。

そして、いろいろないきさつを語り合って、お互いが納得できた時、姉は明日入院して乳癌の手術を受けることを打ち明けます。彼は病院には毎日のように見舞いに行きましたが、幸いがんの移転はなく、姉の夫や姪や甥とも仲良くできるようになりました。

姉と仲直りできたことで彼の人生はひとつ前に進むことができ、以前に比べてもっと自然に生きることができるようなったという。それにはきっかけが必要だったと答えました。

「ハナレイ・ベイ」あらすじ」

サチは19歳の一人息子がハナレイ湾でサメに襲われて死んだという電話を受けショックを受けたが、間違いかもしれないが、確認のために行ってみることにしました。

カウアイ島に着き、近くの警察署で出会ったのは息子に間違いなく右足をサメに食いちぎられていました。サメは人間を食べることはないので、息子の死はショックでおぼれ死んだ溺死ということになっていました。

そこで、火葬にして、泊まっていた宿に支払いが残っているかも知らないからと場所を教えてもらった時、警官はこの美しい自然は時としてこのような参事を起こすことがあるが、この地を憎まないでほしいといいました。

警官は、母親の兄はナチに包囲をされたテキサスの大隊を救出に行ったとき、ドイツ軍の直撃弾に当たって亡くなり、母は人が変わったようになったといいます。大義がどうであれ、戦争における死はそれぞれの側にある怒りや憎しみによったものであるが、自然には側というものがありません。あなたの息子さんは自然の循環の中に戻っていったのだと考えてほしいと。

それから、息子が亡くなったサーフ・ポイントに行き、サーファーたちが波に乗る様子を1時間ほど眺めていたが、心を整理するためにハナレイに1週間ほど滞在しました。それ以来毎年息子の命日を挟んで、3週間ほどハナレイに滞在し、サーファーたちがの様子を眺めることになりました。

ヒッチハイクで日本から来た若者のサーファーに出会い車に乗せて、宿の面倒を見て上げることにもなりました。

サチは高校生の頃にピアノを始め、音感が良かったようで、聞いた曲はすらすら弾けたために高校の若い音楽教師が手ほどきをしてくれ、その教師から勉強すればプロのピアニストになれると言われますが、彼女はコピーするのは上手だったがオリジナルの曲は弾けなかったし、何よりも楽譜を読むのが苦手でした。

そのようなことから、高校卒業後、父親がレストランの経営をしていたことから、その店を継ごうと思い料理専門学校に通うためにシカゴに行きました。その学校で料理を勉強してうちに同級生に誘われてピアノ・バーでピアノをアルバイトで弾くようになっていました。

耳にしたことのない曲でも口ずさんでもらうだけでなんでも弾けたし、愛嬌のある顔だったので彼女目当てに来る客も増えたので学校にも行かなくなりました。

そんなことだから、息子が高校にもいかず、サーフィンに明け暮れていたのも仕方がないと思っていました。わたしだって若いときには似たようなことをしていたんだと。

そんなことをしていた時、不法就労をしていたことが見つかり、日本に送られれてしまいます。

日本に戻っても、ピアノを弾く以外に生活の方法は見つからず、ホテルのラウンジ、ナイトクラブ、ピアノ・バーで、ピアノを弾いたが、客層に合わせてどんな曲も弾けたので、仕事には不自由しませんでした。

24歳の時1歳年下のギタリストと結婚して、息子をもうけたが夫はドラッグをやり女癖は悪かったし、暴力も振るったので皆に結婚には反対されたし、結婚後も離婚を進められたが、5年後に夫は別の女性の部屋で心臓発作を起こして、病院に運ばれる途中で亡くなりました。

夫の死後、貯金と生命保険と銀行から借りた金で、六本木に小さなピアノ・バーを開き、有能なバーテンダー兼マネージャーをよその店から引き抜き、彼女は毎晩ピアノを弾き、予想以上に繁盛するようになりました。

その中で息子は成長してサーファーになり、力強い波を待っていた時に、カメを追って湾に入ってきたサメに襲われて死んでしまったのです。

息子が死んだあと、それまで以上に仕事に精を出し、秋に3週間ハナレイに行くという生活を続けています。海岸に行きサーファーを毎日眺め、コテージの同じ部屋に泊まり同じレストランで本を読みながら食事をします。

そんな生活を10年も過ごしていると知り合いもでき、あるレストランでピアノを弾かしてもらうこともありました。

そこに、面倒を見てあげた日本の青年2人が来て赤いボードを持った右足のない日本の青年が海岸にいるところを見たと聞き、サチは毎日探しますがどうしても見つかりません。

自分の息子を好きだと思ったことがないというサチですが、日本に帰る前日、気が付くと涙が零れて枕が濡れていました。彼らに見えることがどうして私には見えないのだろうと声を殺して泣き、警官が言ったこの土地を受け入れなくてはならないのだと思うようになります。

日本に戻って2人組の1人が彼女を連れてスターバックスでコーヒーを飲んでいるのに出会い、女の子とうまくやるほうを聞かれ、「話を黙って聞くこと」「着ている洋服をほめること」「できるだけおいしいものを食べさせること」だと答えます。

第一次世界大戦、日本に駐留していたアメリカ海兵隊の横柄な態度など、平和に対するメッセージも語られて、興味深い内容になっています。

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「どこであれそれが見つかりそうな場所で」あらすじ

浄土宗の住職をしていた夫の父が酒に酔って寝ていたところを、路面電車に轢かれて死んだために、自分の夫と住んでいるマンションに母親が越してきたが、夫の事故によるショックのために不安神経症のようになり、息子である夫がいるときは夫が、いないときは相談者である夫の妻が母のマンションに行くということです。夫は証券会社に勤めていて、一人息子だということです。

ある朝の10時ころに、母から電話があり、夫が行ったのですが、今から帰るという電話があった後返ってこずに、警察に電話をしたが2日後まで戻ってこないようだたらもう一度連絡するようにといわれたあまり相手にされませんでした。

彼女たちは26階に住んでいて、母親は24階に住んでいるが、夫はエレベーターは嫌いなので移動は階段を使うということです。母親のところに行っても夫は帰ったというし、階段を上り下りしても見つからず、お金もカードも持っていず、ひげも剃っていなかったということでとても不思議なことだといいます。

無料で相談に乗っている私は、毎日そのマンションの24階から26階までを行き来したり、25階に置いてあるソファに座って、誰かが通りかかった時など話を聞いていました。

ビルの管理人には手土産を持っていき、簡単にそのビルに入ることができるようになっていましたが、手掛かりのようなものは見つけられませんでした。

そんなある日、依頼主から、夫が仙台駅のベンチに寝ていたという連絡をもらったという電話がありました。

夫は結婚前から10キロ太っていたというが20日分の記憶が亡くなり、10キロ痩せていたということです。電話をかけた後の記憶がほとんどなく時間をかけた結果家の住所と電話番号を思い出したといいます。

現在は病院で精密検査を受けているという事です。

「日々移動する腎臓のかたちをした石」のあらすじ

淳平が16歳の時、父親から男が人生で出会う女性の中で、本当に意味を持つ女は3人しかいないと言われたが、打ち解けて話すような間柄でない父が言ったことは後でいろいろな疑問がうかぶことになります。

東京の大学に入り、何人かの女生徒付き合うことになったが、そのうちの一人は「本当に意味の持つ」女性であったことは確信を抱いていたし、今でもそう思っているが、その女性は彼の一番の親友と結婚してしまいました。

もし、父親の説を受け入れることになるなら後二人ということになりました。

そんなことから、新しく知り合った女性と何か月か交際したあと、その人柄や言動に何か一つでもどんな些細なことでも気に入らないことや神経に障ることがみえてくると心の片隅でほっとするようになり、多くの女性たちとつかず離れずの淡い関係を結び続けるようになっていました。

穏やかに関係を解消できない相手とは、最初からかかわることを避けるようになっていました。それがもともとの性格なのか、父親が言ったことが関係しているのかは彼自身にも判断できんませんでした。

大学を出るころに父と激しい口論をして交際を絶っていたが、父親が言った「3人の女」の説だけは一種の強迫観念となって彼の人生に付きまとっていました。

知人が小さなフレンチ・レストランを開店して、そのオープニングパーティー招待され、そこで落ち合うことになっていた友人が急に来られなくなったので、時間を持て余していて、帰ろうと思いオーナーを探しかけていた時に、一人の背の高い女性が近づいてきました。

「あなたは小説家だと聞いたけど本当?」と声をかけられ小説について幾分話をしたが、生き生きした話し方や容姿から淳平は彼女に惹かれていることに気が付きました。

彼女はキリエといい36歳、淳平は31歳だったが、彼は成熟した女性のほうが好きだったので年齢のことは気にしませんでした。仕事ののことを聞いたが誰でもできる仕事ではないということ以外は教えてくれませんでした。

その夜、彼女は彼の部屋に泊まり、起きたときには仕事があるから行きますという置手紙の中にその気があったら連絡してと電話番号が書いてあったので、連絡して土曜日の夕方に会い、食事をして淳平の部屋で一緒に寝ました。

キリエは頭が切れたし、話がうまく、小説以外の本を読むのが好きで伝記や歴史や心理学や科学書、建築関係の本などを読んでいて知識がとても豊富で、話題に不自由するということがありませんでした。

次の日は日曜だったが、「仕事があるので消えます」という書置きがあり、彼女の姿は消えていました。

彼女は淳平が書いた小説を読み、とても良いといいました。小説をあまり読まないのはバランスの取れていない小説や音楽に会うと乗り物酔いををしたみたいに気持ち悪くなるといい、淳平の小説はとてもバランスが取れていて素敵なので、もっと長い大柄の小説を書くようになると思うといい、それによってもっと重みのある作家になっていくと思うといいました。

その後、彼には好きな人がいるのではないかと聞かれたので、いるが結婚はできないちうと、彼女はいないが結婚はするつもりはないという。誰かと日常的に深い関係になることはできないと言われます。

そして、彼が今書いている小説のことを訊ねたので、「3人称で書かれていて、主人公は30代前半の内科医で大きな病院に勤めていて独身だが、同じ病院に勤める40代後半の外科医の妻帯者と秘密の関係を持っている。」と答えます。

彼女は休暇をとって山あいの小さな宿に泊まり、谷川に沿って散歩をしていた時、赤みがかった黒でつるつるしていて、サイズも色合いも厚みも、本物の腎臓そのもの石を見つけました。彼女はその石を持ち帰り病院の部屋で文鎮として使うことにしました。

しかし、数日後彼女は朝になると、その腎臓石の位置が移動していることに気が付く。そこで行き詰っているというとキリエは「その腎臓石は自分の意思を持っているのよ。腎臓石は彼女を揺さぶりたいのよ。少しづつ、時間をかけて揺さぶりたいの。それが腎臓石の意思」という。そして「この世のあらゆるものは意思を持っているの」といいます。

それから5日ばかり、淳平はほとんど外に出ることなく、腎臓石の物語を書き続けました。彼女は自分の腎臓石を彼の背中にこっそりと埋めこみました。彼女は腎臓と会話をして交流します。

彼女は夜ごと居場所を変える真っ黒な腎臓石の存在に少しづつ慣れていくが、そのうちだんだん石から目を離すことができなくなり、催眠術をかけられたように、外の物事に対する興味を失っていきます。

恋人にも興味が亡くなり、誰もいないとき、彼女はその石に語りかけ言葉ではない言葉に耳を澄ますようになります。

物語を書いている淳平は、その石は外部からやってきたものではなく、彼女自身の内部にある何かなのだとわかってきます。

そしてそれは彼女に何かしらの行動をとることを求めているのだと感じます。彼女は外科医と別れ、休日に東京湾フェリーに乗り、デッキから腎臓石を海に捨てます。その石は深く暗い海の底に向かて、地球のましたに向かって真っすぐ沈んでいきます。

彼女はもう一度新しく生きなおそうと決心します。

しかしよく朝病院に出勤した時、その石は机の上で彼女を待っていました。ぴたりと所定の位置に収まって。

淳平はタクシーに乗ていたとき、FM放送でキリエが話している声を聴いたののです。最初は証券会社のアナリストをしていたが、ビルとビルの間に綱を張ってそこを歩くのだということです。いろいろなスポンサーとかをつけてやるみたいですが、この前はドイツでもやったということです。

それだけでは食べていけないので、ビルの窓ふきの会社を経営しているのだとタクシーの運転手は教えてくれました。

彼女は言います。「変化を遂げないことには生き延びていけないのです。高い場所に出ると、そこにいるのは私と風だけです。風がわたしを包み、私をゆすぶります。風が私というものを理解します。同時に、私は風を理解します。そして私たちは互いを受け入れ、ともに生きていくことに決めるのです。他の物が入り込む余地はありません。

淳平はキリエからの連絡を待ち、いろいろなことを話したかったが、携帯電話も接続できないままだった。キリエには彼に会うつもりもないのだということがわかりました。

彼が長いあいだ他の女たちに対しておこなった来た事そのままだったと思い返します。そして淳平は彼女に対して一度も感じたことのない、特別の感情を抱くようになっていることに気が付きます。そして彼女を二人目にしようと思いました。

そして、大切なのは誰か一人をそっくり受容しようという気持ちだと彼は理解します。それは最初であり、最後でなければないのだと。

同じころ、女医の机の上からは腎臓の形をした石は消えています。それは2度と戻て来ないはずだと女医は気づきます。

「品川猿」のあらすじ

3年前に結婚して大沢みずきから安藤みずきは自分の名前を思いだせなくなってしまいます。住所や電話番号など外の事は問題ないのですが、急に名前を聞かれると答えることができず、頭の中が空白になってしまいます。

安藤になり落ち着いた1年前からそのような状態になったのです。夫にも内緒にして名前を書いたブレスレットをつけて名前を聞かれたときはそれを見て答えることにしていました。

心配になって医者に行ったのですが「それは精神科の分野でしょうね」といわれてしまいますが、その後区役所で「心の悩み相談」を週に一度面談してくれるというので行ってみることにしました。

カウンセラーは坂本哲子といい、夫は区役所の土木課の課長をしているということでした。そんなことから区民相談を受けることになったが、初めてなので相談者がいないのでゆっくり話を聞いてくれるということでした。

それまでの人生を聞かれるままに答えたが、それを黙ってメモを取って、来週も来られますかと聞かれ、ゆっくりやりましょうねと言われました。

次の週に行ったとき、「名前に関連して思い出せる出来事ってことがありますか。」と尋ねられ、いろいろと考えた末に、名札についての思い出を話しました。

中学から高校にかけて横浜の一貫教育の私立女子高にいき、寮生活をしていて一人で寮にいいたとき、親は金沢で旅館をしていて美人で成績もよく目立つ子だった一級下の松中優子という子ができたら少し話をしたいと訪ねてきました。

自分の気持ちを外に出すタイプではなく、感じはよいのですが何を考えているのかわからないという印象を受ける彼女とは、それまで個人的に話したことがなかったので驚いたが紅茶を入れました。

「みずきさんはこれまで嫉妬の感情というものを経験したことがありますか?」と尋ねられ、「ないと思うけど、ユッコにはそうゆうことがあるの」と聞くと「いっぱいあります」といわれみずきは言葉を失ってしまった。

彼女はみずきに嫉妬の感情みたいなもの体験したことがあるか一度訪ねてみたいと思っていると言って、名札を託して「猿にとられないように」と去ったが、そのまま実家には帰らずに自殺してしまっていました。

その名札を家に帰って探しますが、なくなっていることに気が付きます。その話を聞いたカウンセラーの坂木哲子は土木の仕事をしている夫に猿を捕まえてもらいました。その猿が、松中優子に心を惹かれていて、探しあてて名札を盗んだといいます。

そして猿は大沢みずきの名札にも心を揺さぶられたといいます。みずきがどうしてもその理由が聞きたいというと、「みずきのお母さんもお姉さんもみずきのことを愛していません」というのでした。

そのように言われてみるとみずきには心当たりがありました。多分みずきはそのように思うことに強いためらいがあったのでしょう。それを松中優子はわかっていたのかもしれません。


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