瀬戸内寂聴の「孤独を生ききる」を様々な思いを抱え込んでいる私の心の解決策になってくれることを願いながら読みました。
「孤独をいききる」は瀬戸内寂聴が70歳前後のころに書いたもので現在は90歳を過ぎているようです。
宇野千代の小説は数編読んだことを覚えており、瀬戸内晴美の小説はあまり読んでいないと思っていましたが、年表を調べていたら数編読んでいたようです。
小説は数編読んだだけでしたが、いろいろな本を読み漁っていましたので、子供を置いて夫の教え子と駆け落ちをしたり、さまざまな男遍歴をしていたのは知っていました。
そんなことから、たくさんの小説を書いていた瀬戸内晴美が出家すると聞いたときはびっくりしました。
宇野千代が男遍歴を書いていたり、着物のデザインをしたり、年をとってもあっけらかんと生きているように見えたのとは対照的だったのかもしれません。
岩手県二戸市浄法寺町の天台寺の住職になっていたころ、そこでの法話は庭を埋め尽くすほどの人が訪れたと何度かニュースで見たことがありました。
私はそのころに、人気のない天台寺には行ったことがありますが、山の中にひっそりとして人影もまばらでテレビで見たような光景は思い描くこともできませんでした。
自分の寂しさというより、他者の寂しさはどのようなものなのだろうかという思いで手に取った本です。
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人は一人で生まれ一人で死ぬ
私が本当に孤独を感じ、孤独だと思っていたのは若いころだったのかもしれません。
自分というものも見えず、何をしたらよいのかいつも考え続けていたように思いますが、そのころに男女数人で夏山を楽しんでいたのは、孤独から逃れるためだったと思ったこともあります。
また、休日は映画を見歩き、暇があれば本を読んでいました。
ほとんどが誰かと行動を共にしていましたが、それでも消えない孤独を抱えていました。
よく「若いころに戻りたい。」という話を聞きますが、私は一度も今の時点より前に戻りたいと思ったことがありません。
それは、結婚しても、子供が生まれても同じで、少し変わってきたのは数年前のような気がします。
それまでは、そんな気持ちを紛らわすためにか、それとも性分なのか自分でもわからないくらい何かしらに夢中になっていました。
不思議と孤独を感じなくなったのは、犬を飼ったためかと思うこともあります。
犬はどんな代償も求めることもなく、どんなときにも寄り添っていてくれますし、起きてくれば喜んで尻尾を振り、私のしぐさをいつも見つめています。
夫が大きな声を出しただけで、私の前に来て私をかばってくれて吠えるのですから、夫も大な声を出せなくなっています。
病気と死の恐怖からの孤独
昨年は、老人性うつ病で認知症で寂しさから抜け出せなくなってしまった母が93歳で亡くなりました。
母にとっては本当に寂しい晩年で、私が知っている限りにおいて(苦労はあったでしょうが)あのような寂しい母を最期に見たことと、それをいやすことができなかった悔いが燻り続けています。
私は一緒には暮らしていませんでしたが、最初から病院に連れていき我が家に連れてきて話を聞いてあげ母の心はつぶさに見ていました。
一緒に住んでいないから話を冷静に聞くことが出来たのかも知れませんが、母はいろいろなことを話してくれました。
自分が家族に疎外されていることが一番つらいようでしたが、私の家では暮らすことが出来ないようで、やはり家が良いようでした。
そして、認知症もかなり進んでいた死の1年くらい前、「いくつになっても死にたくないね。」としみじみといった言葉が忘れられません。
母は死の恐怖とそのように戦っていたのだろうかと今も思い出し、最期を見てあげられなかったことも大きな悔いとして残りました。
その時、いくつになってもこれで良いという人生などないのだと思いましたし、死んでいく人の孤独をどのように支えられるのだろうかと考えました。
私も若い時に死と隣り合わせのような病気をしたことがあり、死の恐怖を抱いて何度も涙を流したことがありますが、こうして現在生きていれば、今その真っ只中にいる方の心の痛みがはかりようがないのがわかります。
昨年は私も喪中ハガキを出しましたが、今年はご主人を亡くされたという喪中ハガキが2通ほど届き、今どうされているかと心が痛みました。
長年連れ添ってきたご主人を亡くされて寂しい思いをしているのだろうと、残った方の寂しさと孤独を思いました。
そういえば、父が80歳で亡くなった時に、母がしみじみと「一人ぼってになってしまった。」といっていた言葉を思い出しました。
親友が現在、数えきれないような心配事を抱えて病気と闘っていても、遠くに住んでいる私にはメールくらいがせいぜいで何もできいないのが辛く、悲しい日々となっています。
繊細な心の持ち主で、親族のお世話をずっとしてきた方になぜこのような苦痛と孤独をと思うとどのような言葉をかけたらよいかと悩む日々が続いています。